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ブックマーク / chuta.cocolog-nifty.com (1)

  • ★近代建築探訪★

    前回紹介した山形の建物では、あまり聞き慣れない人物(失礼)が設計に携わっていました。 ■済生館(原口祐之) 済生館は円形平面を持つ横浜イギリス海軍病院を参考にしたと言われています。 藤森照信氏は済生館の設計者について「当時の県庁の役人の名が挙がったりもしているが、決め手がない」、「誰があのような奇抜なデザインを考えたのか」として、県令の三島通庸設計説を唱えています(建築探偵奇想天外、日の近代建築)。 県庁の役人として名が挙がるのが、筒井明俊と原口祐之です。 筒井明俊(1837-1893年)は江戸で儒学と医学を学び、山形で町医者をしていた人物。維新後は県の官吏となり、病院建築掛に任命されました。三島とともに上京し、横浜イギリス海軍病院などを視察したと言います。『済生館史』には「筒井明俊が平面図を製し」たとありますが、この平面図が円形プランだったのか、明確ではありません。 原口祐之(1823

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