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ブックマーク / marginalreview.cocolog-nifty.com (7)

  • 魅惑する文字。5 - マージナルレビュー

    satoschi
    satoschi 2012/02/12
    『私たちはもっと文字を遊んだほうがいい。』はい。
  • 魅惑する文字。4 - マージナルレビュー

    仕事と文字以外のことは考えないようにしている(日々の雑事はあるにしても)。時々そうやってリセットしないと自分が拡散して、踏ん張りが効かなくなる。情報はほっておくと勝手に流れこんできて思考の集中を妨げる。「とてもアイロニーなことなのですが、社会の問題点を雄弁に論評できる人ほど、自分自身の問題をまったく解決できない。」というモーリーさんの言葉は自戒を含めそのとおりだと思う。反原発であれ、反放射能であれ、自分自身の問題(不安)のはけ口として社会運動を利用すれば、それはまず失敗する。香山リカさんが反原発はオタクが多いといったばかりに逆切れされて袋叩きにあってしまったが、まあそういうことだ。 情報に溺れていることと情報を自らのものにしていることとは違う。どんな情報に対しても批判的に見つめられることが必要だ。信じ込めば足元を掬われる。処理能力に個人差はあるだろうが、無限に流れこむ情報を整理できる人など

    魅惑する文字。4 - マージナルレビュー
  • 誘惑する文字。3 - マージナルレビュー

    友人からモリサワの『光朝』の仮名が『かな民友』であることを知らされ驚いだ。『光朝』は故・田中一光氏がボドニーのような明朝体としてデザインしたという話はモリサワのアナウンスで知ってはいたが、その個性の強さから一度も使ったことがなかった。そんなわけでその仮名が『かな民友』であったことには全く気づかなかったのだ。モリサワのHPを見ても、手持ちのFont発表時のチラシを探してみてもそんな情報は一切なかった。 『基語活字見集成』を調べてみると、『かな民友』とほぼ同じ仮名には、フリーフォントの『もじくみ仮名』以外にも、『游築初号仮名』と『築地体初号仮名』と『解築初号かな』があった。これに『光朝』が加わる。どれも元をたどれば築地活版書体になるらしい。つまり民友社の仮名書体ということではなくて、築地書体の初号仮名という方が正しいのだろう。 上の3が『かな民友』、つまり『築地初号』系。デジタルフォ

    誘惑する文字。3 - マージナルレビュー
  • 誘惑する文字。2 - マージナルレビュー

    写植文字の可能性を徹底的に追求したのが杉浦康平氏。杉浦氏は「文字に何が可能なのか」をほとんどやり尽くしてしまったと言っても大げさではない気がする。杉浦氏を筆頭に、その後に続くエディトリアルデザインの精鋭たち(戸田ツトム、羽良多平吉、鈴木一誌、松田行正……)によって70年代から90年代初頭にかけて生み出された、実験的で斬新な文字組の数々が、実際の書籍や雑誌となって巷にあふれるようになり、文字組そのものがデザインの領域であることが理解されるようになっていった。同時に活字ではありえなかった「読みにくい文字組」というものも増えていったのだ。だがその読みにくさとは活字が育んだ「読みやすさ」を否定するものではなくて、新しい「読みやすさ」を求めた結果と言い換えることもできそうだ。あるいは「読む」ことの多様な意味、重層的な意味が意識され、表現されるようになったということなのかもしれない。読むことに劣らず「

    誘惑する文字。2 - マージナルレビュー
  • 誘惑する文字。1 - マージナルレビュー

    鉛で作られていた文字「活字」が、1960年代に一般化し始めた写真の文字「写植」に移行したあたりから、文字(文字組)の「可読性」「読みやすさ」ということが問題とされるようになったと考えられる。それについて若干の考察を試みたい。 金属の塊である活字は予め用意された文字の大きさ以外のものは使えないし変形させることもできない。ゆえに正方形の文字を単位とした垂直水平の正確なグリッドから逸脱することはなく(若干の調整はできなくはないが原則的に)、文組用の文字、見出し用の文字、タイトル用の文字はシステマチックに製作されていた。それは同時に、活字はすべての人にとっての「読む文字」「読める文字」の常識として了解されいたはずだ。そこに「読みやすい、読みにくい」の問題が発生する余地はなかったと考えていい(他にないのだから)。 一方、写植はその「文字の制度」から文字を開放し、自由な形と組み方を可能にした。だがそ

    誘惑する文字。1 - マージナルレビュー
    satoschi
    satoschi 2012/01/24
  • デファクトスタンダード、中明朝体。 - マージナルレビュー

    ここで試みていることは写植時代の文字組を再現することもあるが、現代の文字に対する考え方がどのように変化していったのかを実際の作業で検証してみることにも繋がっている。写植時代の雄であった写研はすでにない。いや正確にはなくなったわけではないが、一般のデザイナーが触れられる場所からは消えてしまった。DTPの黎明期(1990年代)、多くのデザイナーが写研の文字が使えなくなってしまっことを嘆いたわけだが、今となっては当時写植を使っていたデザイナーでさえ写研の文字がどのようなものであったかを忘れてしまっている。それはもちろんデジタルフォントの世界が写植時代の文字を凌駕するほどの隆盛とクオリティを持ったことのあわられでもあるのだが、しかし活字から写植に変わったことの変化ほどにはデジタルフォントはグラフィックデザインの文字組に大きな変化を与えていないこともまた事実なのだ。 さて題へ戻ろう。 『石井中明朝

    デファクトスタンダード、中明朝体。 - マージナルレビュー
  • マージナルレビュー

    心や体調は日々波打っている。良くなったり悪くなったり…。死ぬまでそれが続くんだろうなと思うと気が滅入ってくるが、死に平穏とか安らかさとかのイメージがあるのはそういうことも関係しているのかもしれない。楽になる、という言い方もある。 何度も大きな手術をされている松岡正剛さんが、あいかわらず千夜千冊を書き続けておられるのに圧倒される。78歳だそうだ。ご自身の体調についても克明に書かれておられるが、その大変さにもかかわらず知への意欲は衰えておられない。最近は宗教について書かれることが多いが死を意識されてのことなのかもしれない。横尾忠則さんもSNSに「生きていることは大変」と書き込まれていた。横尾さんも速いスピードで絵を描き続けておられる。 三宅一成さんが亡くなり後を追うように森英恵さんも亡くなった。僕にとって目指すべきデザインの指針であった戸田ツトムさんも亡くなり、デザインの師でもあった柏木博さん

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