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ブックマーク / www.kclc.or.jp (2)

  • 池上嘉彦 「日本語は<悪魔の言語>か?——個別言語の類型論の可能性」

    German Version 17世紀に布教のため日を訪れたジュスイット派の宣教師が日語の複雑さに困惑した挙句、これは布教を妨げるための悪魔の仕業であるとして<悪魔の言語>であると断じたという伝説が残っている。もちろん勝手な決めつけに過ぎないけれども、ヨーロッパの言語とは異質な言語に遭遇したときの戸惑いとしては十分に理解できる。逆に日の識者の中にも日語の「異質さ」を殊更に強調する向きが一部にあり、これがまた「<日はユニーク>という神話」として外からの批判の的になることも知られている通りである。 言語学の枠内でも言語間の異同という点についての議論は、<相対性>を強調する立場と<普遍性>を強調する立場の間で大きな動揺があった。しかし、もっとも新しい傾向としての<認知言語学>の流れの中では、人間の認知の営みによって規定される一定の枠内での動揺という形で<類型論>的に捉えるという方

  • German Version 何故「民族」言語学か 1.1. エトノスの世紀と言語学 21世紀は民族の世紀だと言われる。しかしそれは、まもなくやってくる次の世紀には民族問題や民族紛争が世界を覆い尽くすであろうという意味においてではない。それはむしろ、第一に、過去2世紀にわたって形成されてきた近代国民国家の構造的崩壊に関わっているからである。18世紀末西洋で形成された国民国家は、恣意的に設定した国境内にさまざまなエトノス集団を閉じこめ、彼らをひとしなみに国民として義務教育・一般徴兵制・国税などの「民主的な」支配手段によって縛りつけてきた。この国民国家的支配体制は、内的には国内のエトノス集団の基的人権の要求によって、外的には外国人(この概念自身が今や時代錯誤となりつつある)の流入など、他民族集団による国境の相対化によって原理的な崩壊の危機にある。次の世紀においてこの状況が世界の至る

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