アレクサンドロ・ヴァリニャーノ、この430年近く前に来日したイタリア人の宣教師こそ、日本にグーテンベルクの発明した金属活字を使う「活版印刷術」の持ち込みを発想した人です。写真は天草の河内浦のコレジョあとにある彼のタイルの肖像です。 当時の日本にあっては、これはかなり破天荒なことといっても良かったでしょう。来日してわずか3年目で彼はそれを実行に移します。 しかも、天正遣欧少年使節にロヨラ・ドラード・アゴスティニョというキリシタン名を持つ3人の少年を随行させ、活版印刷術の習得という大きな課題を託したのです。まさに、大きな決断といえましょう。 それも、成算があったのか、織田信長や大友宗麟、大村純忠、有馬晴信ら使節派遣のサポーターたちに恐らくその計画を打ち明けていると、私は思います。 いくら、日本人の能力や才知をかつていたとしても、かなりの冒険だったはず。 実は、彼は、日本に来る前、インドのコチン
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