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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/donatuo211 (3)

  • ヴァリニャーノと『印刷』 - 活版印刷紀行

    アレクサンドロ・ヴァリニャーノ、この430年近く前に来日したイタリア人の宣教師こそ、日にグーテンベルクの発明した金属活字を使う「活版印刷術」の持ち込みを発想した人です。写真は天草の河内浦のコレジョあとにある彼のタイルの肖像です。 当時の日にあっては、これはかなり破天荒なことといっても良かったでしょう。来日してわずか3年目で彼はそれを実行に移します。 しかも、天正遣欧少年使節にロヨラ・ドラード・アゴスティニョというキリシタン名を持つ3人の少年を随行させ、活版印刷術の習得という大きな課題を託したのです。まさに、大きな決断といえましょう。 それも、成算があったのか、織田信長や大友宗麟、大村純忠、有馬晴信ら使節派遣のサポーターたちに恐らくその計画を打ち明けていると、私は思います。 いくら、日人の能力や才知をかつていたとしても、かなりの冒険だったはず。 実は、彼は、日に来る前、インドのコチン

    ヴァリニャーノと『印刷』 - 活版印刷紀行
  • 高野山の印刷文化 - 活版印刷紀行

    高野山へのケーブルカーは春霞の中を登って行きました。 大曲塾の研修旅行の2日目は、高野山の霊宝館でとくべつに用意してくださったコーナー、「高野山の印刷文化」を拝見するのが、第一の目的でした。 日の印刷史の上では、平安時代の「春日版」についで、鎌倉・南北朝・室町時代に、興福寺や東大寺、西大寺、法隆寺などの奈良の寺院での印刷、この高野山では「高野版」、五山の禅寺では「五山版」と、経典がつぎつぎに開版されたことがよく知られています。 いまさら、いうのもおかしいのですが、日の「百万塔陀羅尼」にしても、韓国の「無垢浄光大陀羅尼経」にしても、グーテンベルクの「四十二聖書」にしても宗教と印刷文化は密接につながっております。 比叡山は信長に焼かれてしまっておりますから、高野山が古書の宝庫、とくに仏書の印刷研究や木版印刷研究でも、まさに、大山なのです。 重要文化財の「大日経疏巻第二」の版木や桃山時代、

    高野山の印刷文化 - 活版印刷紀行
  • キリシタン版の活字の話 - 活版印刷紀行

    高野山で、改めて考えたことがありました。 霊宝館で貴重な版木もたくさん見せてもらいましたが、もっとも私が興味ぶかく拝見したのが、木活字でした。 「活版印刷紀行」で訪ね歩いておりますのは、天正時代に日に入ってきたキリシタン版をメインに、あとは、明治初年からほぼ、昭和の終わりまで日の印刷文化史を支えて来た木昌造らから始まった金属活字、主として鉛活字を使った活版印刷であります。 さて、ここで疑問があります。 キリシタン版と同時代の秀吉は朝鮮から銅活字を持ち帰らせました。家康は駿河版銅活字を鋳造させました。彼ら二人ともが、印刷に心を寄せ、開版事業をしているのに、キリシタン版は家康の禁令や追放令ととも消滅させられてしまいました。 秀吉はともかく、家康は当に、キリシタン版の印刷技術をむざむざと、追放してしまったのでしょうか。 私が家康だったら、先進技術にあたるはずのキリシタン版の印刷術を盗ませ

    キリシタン版の活字の話 - 活版印刷紀行
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