タグ

ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (28)

  • 皆さん「ダダ漏れ」についてちょっと思い違いをしてはいないか? - H-Yamaguchi.net

    「ダダ漏れ」という言葉があちこちで見られるようになった。いうまでもなく、「ケツダンポトフ」の「そらの」さんの活躍によるものだ。事業仕分けやウェブ学会など、名だたるイベントに乗り込んで起きていることをノーカットで中継するスタイルは、マスメディアによる編集された情報に慣れた目には新鮮に映る。「あれはジャーナリズムじゃない」という批判も、もはや無視できない影響力を持っていることの裏返しだ。 とはいえ、もちろん全員とはいわないが、どうも世間の少なからぬ人々の間に、「ダダ漏れ」に関連してある種の誤解があるように思われるのでひとことだけ。ちょっと釣りっぽいタイトルだが、実際若干挑発的でもあり、でも一応割とまじめで、かつ前向きのつもりだったりもする。ちょっと長文。 知ってる人は多いだろうが、そもそも「ダダ漏れ」とは何か?たとえば地域情報サイト「品川経済新聞」の記事「大井町のすし店が「ツイッター割引」-「

    皆さん「ダダ漏れ」についてちょっと思い違いをしてはいないか? - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2010/02/06
    Amazonがいい仕事している
  • 首相の発信は公の色を帯びるから本心は語れない、という話 - H-Yamaguchi.net

    コラムは、首相が最近ブログ「鳩Cafe」とtwitter(@hatoyamayukio)を始めたことについて、「退職後に喫茶店をやる人」にたとえている。そういう気ままな暮らしに対する願望を持つ人は多いだろうと。とはいえ首相はまだ退職してないし、だいいちきわめて責任重大な激職だ。そんなひまあるのか、という批判をしたいようだ。昨日、自民党の加藤紘一議員が首相にtwitterを使うなといったとかいうニュースが流れていたが、それも引用しながら曰く: ネットで発信し、国民との距離を縮めたいそうだ。だが、マスターの世間話と違って、どんな小声だろうが首相の発信は公の色を帯びる。これで心は語れまいs。無愛想な店主のごとく、面白くもない言葉が並ぶだけだろう。 側近と相談して発するつぶやきに、政治の近さを感じる国民がどれほどいようか。 で、「気楽なカフェは「退職後」がふさわしい」と結んでいる。そう遠い先でも

    首相の発信は公の色を帯びるから本心は語れない、という話 - H-Yamaguchi.net
  • 私がバブル崩壊から学んだこと - H-Yamaguchi.net

    あちこちで「不況対策に日の教訓を」みたいな話があるんだが、「日の教訓」が何かについて、必ずしも社会的合意があるようには見受けられない。極論するとこっち方向とこっち方向があるように思うが、どちらかというと今はどうも後者のほうが「優勢」なんだろうか(参考)。もちろん個人的な意見はあるんだが、専門外なのであまり自信はないうえに、特にネット界隈で繰り広げられてるこの分野の口汚い舌戦に参加する気もないので、ここでは元企業人としての経験と実感を書いてみることにする。当時を知る人なら、共感いただける方が少なからずいるのではないかと思う。 私が元職場である保険会社に就職したのは1986年だった。折りしも「バブル」と後に呼ばれることになる資産価格の上昇が都内で始まろうとしていたころだが、まだ世間は「円高不況」で騒いでいたかと思う。私が配属されたのは不動産管理の部門。いわばバブルの膨張をかぶりつきで見られ

    私がバブル崩壊から学んだこと - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2009/04/11
    結果として「景気対策」は、もちろんすべてではないにせよ、無駄遣いと非効率の温存から逃れられない部分を少なからず含むということになる。
  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
  • H-Yamaguchi.net: 凶悪犯罪の高年齢化が止まらない、となぜ書かない

    「殺人事件」というキーワードでGoogleニュース検索をかけてみる。俗物的世代論の話は前にも書いたことがあるんだが、同種のネタを、少しアプローチを変えて再び。 以下、考えてみれば当然の、何をいまさら話。見た目不謹慎ぽく(人はいたって大真面目なんだが)、かつどちらかというと救いのない話なので、そういうのが嫌いな方にはお勧めしない。 検索トップに出てくるのは広島県の保険金目的放火殺人事件に関する無罪判決のニュース。これは無罪の話だからおいとこう。次は「神戸テレクラ放火殺人」事件に関して死刑判決が出たというニュース。被告はテレクラ元経営者(66)。 その次の「浅見光彦祭り」はおいといて、その次の「勿来の殺人事件でいわき南署に部長賞状」というニュースも犯人の年齢が出てないのでパスして。次の久留米の連続殺人事件の話は未解決なので犯人は不明だが、「30‐50歳の男1人による犯行」とみられる由。その

    H-Yamaguchi.net: 凶悪犯罪の高年齢化が止まらない、となぜ書かない
  • H-Yamaguchi.net: 地方分権時代の「市場万能型」リスク管理手法について

    先日、例によって衆議院TVをつけっぱなしにしていたら、予算委員会の分科会の質疑で、民主党のなんとかいう議員が、地元の新潟県で暖冬のため建設業者が除雪の収入が上がらず困っている、みたいな質問をしていた。低利融資とかいろいろな支援策がどうとか話していたが、つきつめると、困っている地域のために政府がなんらかのかたちで金を出せないかというそういう類の話、ということになるんだろう。 資源の再配分は政府の主要な機能だから、そういう話はありうるしあっていいわけだが、それがばらまきになってしまってはいけないというのもまた当然。政府の対策というのはどうしても融通が利きにくかったり、無駄が生じやすかったりするし。そこで、というわけなんだが。 といっても、別に新しいことをいおうとしているのではない。以前書いたものを焼きなおして、「自治体間リスク取引市場」を作ってはどうかと再度いいたいだけだ。 タイトルに「市場万

    H-Yamaguchi.net: 地方分権時代の「市場万能型」リスク管理手法について
  • 「ケータイ・スピリチュアル」ないし「癒しのデバイス」についてつらつらと - H-Yamaguchi.net

  • 「ハケン」にまつわる企業の「品格」 - H-Yamaguchi.net

    またも時事ネタ。まずはこの記事を。これはこの一件に関連するものだ。これらをお読みいただきたい。ぜひ熟読いただきたい。 この件は政治的な色彩を帯びているので一応念のため書いておくが、これは特定の政党に対する支援でも同調でもない。単に、この会社の代表取締役会長が、例の「希望の国、日」ビジョンを打ち出した日経団連の会長であるという事実について書きたかっただけだ。 「希望の国、日」ビジョンについては、前にもとりあげたことがある。そのときは主にアクションプランについて書いたのだが、145ページもあるから、他にも内容が盛りだくさんだ。これがまた、上記記事の内容を踏まえるとなんとも示唆的に思われるので、ちょっと抜き書きしてみる。 強調したい部分には下線を引いて太字にしてみた。 第2章「めざす国のかたち」の「2 開かれた機会、公正な競争に支えられた社会」から。 「希望の国」は内外に開かれた挑戦のフロ

    「ハケン」にまつわる企業の「品格」 - H-Yamaguchi.net
  • H-Yamaguchi.net: 「STORY」世代と受験産業についてつらつらと

    黒田知永子さんという人がいる。この分野には特段詳しくないのだが、もともと女子大生あたりをターゲットにした光文社の雑誌「JJ」のモデルだったのは当時から知っていた。その後(一時期引退してたのは知らなかったけど)当時のJJ世代が歳をとるにつれ、「VERY」「STORY」と場を移しながら、光文社発行の雑誌のモデルとして活躍し続けているのも。最近は「カリスマ主婦」みたいな肩書きがつくことも多い。 とはいえ別に追っかけをやっているわけではないので、この人が早稲田塾のイメージキャラクターになっているのを今回初めて知ってちょっと驚いてしまったわけだ。だってさー、リンク先のサイトで見てもらえればわかるけど、この人が早稲田塾の教室で生徒用のいすに座ってにっこり笑ってるんだよ!?一瞬、いったいどうしちゃったのと思ったね。 もちろん、意図はわかる。受験生を抱える世帯の主婦層が、ちょうど「STORY」世代と重なっ

    H-Yamaguchi.net: 「STORY」世代と受験産業についてつらつらと
    setamise
    setamise 2007/02/19
  • 「焼畑型」というか「往復びんた型」というか - H-Yamaguchi.net

    いや、捏造自体が「またか」なのももちろん。もともとそういうものじゃんという声があるのもいってみればその通りで、「ウソをウソと見抜けない者には」という話は、テレビについても残念ながらある程度あてはまる。今回のはフジ系(制作は関西テレビで実際は外部制作会社に外注)だが、テレビ東京も今回の件と同じ制作会社に外注した番組で花粉症対策に関する同様の捏造事件があった。NHKも「プロジェクトX」、日テレビも「ニュースプラス1」でのイセエビ、TBSも「NEWS23」で世論調査の件で捏造事件とか疑惑とかがあったし、テレビ朝日も、ちゃんと探せば何かしらその類のことはあると思う。 ただ、この件に関する今のマスコミの取り上げ方のほうが、どうも納得いかないのだ。こうした不祥事の報道一般にいえることではあるのだが、どんな組織でもたくさんの人が関わっていれば、程度の大小こそあれ、この種のことがある確率で起きることは事

    「焼畑型」というか「往復びんた型」というか - H-Yamaguchi.net
  • ワンフレーズの効用、再び - H-Yamaguchi.net

    最近話題になっている、例の「ホワイトカラー・エグゼンプション」についての、安倍首相の発言だ。2007年1月5日付の朝日新聞記事ではこう伝える。 残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」 安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。さらに「(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化(対策)にとっても必要。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を見直していくべきだ」とも述べ、出生率増加にも役立つという考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。 首相は「家で家族そろって卓を囲む時間はもっと必要ではないかと思う」と指摘。長く働くほど残業手当がもらえる仕組みを変えれば、労働者が働く

    ワンフレーズの効用、再び - H-Yamaguchi.net
  • 「天下りがなぜ悪いか」より前に「なぜ天下りがあるのか」だと思う - H-Yamaguchi.net

    念のためだが、「公務員叩き」とかそういう目で見る人がいたら、それはちがう。私の、政府や公務員に対する基的な考え方は、以前書いたこのあたりとかこのあたりとかにも現れていると思う。昨日のものも、単に公務員が悪いとかいいたいのではない。 bewaadさんは「なぜ天下りが悪いのか」をまず問うべきとしておられるのだが、私としては、「なぜ天下りが悪いか」を問う前に、「なぜ天下りがあるのか」を考えるべきだと思う。天下りというのは、単に公務員が定年前に退職することではない。公務員の人事制度運営を円滑に進めるために、定年前に(定年後の場合もある)多くのキャリア公務員、少なからぬ数のノンキャリア公務員を関連諸団体、関連産業の諸企業などに転職させること、そのために公務員のマンパワーと権力を使って有形無形の支援をしたり斡旋をしたり推薦をしたり圧力をかけたりなど、事実上組織的な関与をしていること、そうした一連のシ

    「天下りがなぜ悪いか」より前に「なぜ天下りがあるのか」だと思う - H-Yamaguchi.net
  • H-Yamaguchi.net: 天下りを云々する前にやっておきたい小さなこと

    天下り論議がまたしても噴出している。何度も出てくるのは何度やっても成果がないからで、何度やっても成果がないのは何を決めても同時に抜け穴が用意されるからで、何を決めても同時に抜け穴が用意されるのは気でやってないから、というあたりまではもはや公然の「秘密」ですらない常識。 もちろんそのまた裏には、「天下りのしくみは必要だから」というそれなりの「音」があるわけだ。確かにそれもわからなくもない。人には職業選択の自由があるし、せっかく蓄積したノウハウを生かさねばもったいない、というのも道理。問題はそれを天下りでやろうとするといろいろな弊害がついて回ること。難しいよねぇ、となる。 しかしちょっと待て。私たちは1つ忘れていることがあるように思う。ちょっとした、しかしとても大きなことを。 もったいつけるほどたいしたことではない。ただ、公務員の人事慣行の中で1つ、民間とは大きくちがっている点がある。この

    H-Yamaguchi.net: 天下りを云々する前にやっておきたい小さなこと
  • いじめもゲームのせいになる、という話 - H-Yamaguchi.net

    このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日)。 まずは記事から。最初の

    いじめもゲームのせいになる、という話 - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2006/11/16
    詳細未読
  • 最悪の教育 - H-Yamaguchi.net

    これまでもそうだったと思うが、教育関係者に対する風当たりは最近特に強い。トンデモ事例に事欠かない、という批判は正直かなりのところあたっていると思う。ただ、それはやはり全体からみれば一部のことだろう。私は教員としては新米なので、部外者からの視点にかなり近いとは思うが、それでも、大半の教員の方は懸命に仕事に取り組まれているものと思う。 この問題については、いろいろな背景が語られている。大学の入学試験のやり方、高校間の競争、少子化、そもそも必修科目は何であるべきか、その他もろもろいろいろな条件が重なっている。もちろん、だからといって歴史やら何やらを教えなくていいということにはならないわけだ。学校の教育方針を決めた方々は、当然承知のうえでやったはず。真剣に悩んだ結果ではあったのだと思うが、まちがっていたといわれればそれまで。 この問題について、誰がどのような責任をとるべきかについても、寛大なものか

    最悪の教育 - H-Yamaguchi.net
  • 問題の本質は、金利とか生保とかではないと思う - H-Yamaguchi.net

    このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日)。 いわゆるグレーゾーン金

    問題の本質は、金利とか生保とかではないと思う - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2006/09/22
    借り手は金融リテラシーに問題がある「金融弱者」だという前提で考えなければ。問題は貸し手の責任。貸した金額、融資実行時の審査性、融資の管理が充分か。貸し手としての責任を問う余地がある。
  • H-Yamaguchi.net: めでたい日に思う

    この件については、長い伝統がここで断ち切られてしまうのかと、私だけではなく、多くの日人が懸念していたはずだ。一時はどうなることかと思ったが、ようやくこの日を迎えたわけだ。まずはともかく、この喜びを一人の日人として、深くかみしめたい。 前にも書いたことがあるが、私は、伝統とは変わり続けることにある、と思っている。環境の変化に応じて自らも変化し続けること、それこそが長く続く伝統の質ではないか、と。もちろん変えるべきではない部分、変えてはいけないタイミングというのもあろう。変えるもの、変えないもの、そのバランスが大事なのだと思う。 とりあえず一息ついた観があるわけだが、問題が抜的に解決したわけではない。懸案事項はまだ残っている。というか、むしろこれから、なのかもしれない。今後も状況に応じて柔軟に対応していくこと。社会に受け入れられていく努力を怠らないこと。関係者の皆さんはもちろん誰よりも

    H-Yamaguchi.net: めでたい日に思う
  • 被害者実名報道の条件 - H-Yamaguchi.net

    2006年7月2日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、実名報道に関する特集をやっていた。被害者の実名を公表すべきかどうかを警察が決めることについて「それは危険だ」と訴える内容のもの。要するに、警察は信用できないから、という理由のようだ。 悩み深いね。どちらもどちらだし。と思う向きもあるかもしれないが、被害者に関していうなら、ことはそんな複雑ではないと思う。 とりあえず、件のおおもととなった内閣府の犯罪被害者等基計画案(骨子)について。この中に、「警察による被害者の実名発表、匿名発表について、『個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく』」というくだりがある。これに対して、日新聞協会が2005年10月21日付で意見書を出している。新聞に限らず、メディア各社共通の見解と考えて差し支えないだろう。 …日新聞協会は反対し、削除を求める。被害者は実名で発表されなければなら

    被害者実名報道の条件 - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2006/07/06
    sidhoさんの「そもそも被害者がいない場合のことも考える必要がある」に同意。
  • H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話

    目からウロコの落ちる瞬間、というのはうれしいものだ。今日もまた新しい「大発見」をして、ちょっと興奮ぎみなので、あまり時間はないが手短に書いてみる。たぶん、皆さんには先刻ご承知のことなんだろうが、私には新しい、そして大きな発見だった。 新聞記者はなぜえらいのか、についてだ。 新聞記者がえらい、という点について、疑問をもつ方はそう多くないのではないかと思う。新聞記者はえらい。えらくなければ旗を立てた黒塗りの車でどこへでも乗り付けたりできるわけないし、記者会見という公の場で人をつるし上げ、なんて大それたこともできようはずがない。もちろん全員がそういう人ではないのは重々承知した上で書いているのだが、「この人はえらい」と考えるしか納得のしようがない人、というのは確実に、それもけっこうたくさんいるように思われる。 私がわからなかったのは、それがなぜか、ということだ。なんでこんなにえらそうにふるまえるん

    H-Yamaguchi.net: 新聞記者はえらい、という話
  • ブログ世界は「理不尽」に「未成熟」らしい - H-Yamaguchi.net

    花岡氏は元産経新聞論説副委員長で今はフリーのジャーナリストだ。ウェブサイトやらメルマガやら、ネットでもちゃんと活動しているわけだが、基的にはどリアル系、なんだろう。で、この人、第2回のコラム「これでいいのか、ブログ世界の理不尽な未成熟さ」で、ブログ界の皆さんに対してご立腹、となっている。 きっかけは、NHKのトリノオリンピック中継に関する同氏サイトのブログだ。NHKの中継で荒川静香選手が日の丸を身にまとってウィニングランをしているところを放映しなかったとかで騒がれているところへ、「国際映像の制約による」とブログに書いたら批判が殺到したとか。要するに、「祭り」の対象にされてしまった、というわけだ。 この一件、花岡氏にとってよほど怒り心頭だったらしい。こんなふうに書いてる。 総務省の予測によると、2007年3月末で、ブログの利用者は782万人、閲覧者は3455万人に達する見込みという。ネット

    ブログ世界は「理不尽」に「未成熟」らしい - H-Yamaguchi.net
    setamise
    setamise 2006/04/06
    未成熟なのは、既存メディアのブログに対する認識かも。多くの既存メディアでは、ブログを扱いかねているか、もしくは履き違えている現状。