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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (19)

  • 差別と比喩(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-entry-487.html *1 またまたOh, Henry*2とその仲間。今回は布引洋aka. 「逝きし世の面影」*3。Oh, Henryのコメント欄で、例えば「たんぽぽ」さん*4を貶めつつ、「たんぽぽ集団の行動様式と思考形態は、在日朝鮮人とも共通するものです」云々と述べている。 差別表現は多くの場合、不適切な比喩の濫用の問題だといえる。誰か特定の男性を貶めようとして、〈あいつは女の腐ったような奴だ〉という。これは女性を貶めつつ、それをそのままターゲットの男性に転用している。また、昔よく言われていた〈岩手県は日のチベットだ〉という表現。これもチベットを貶めつつ、岩手県にそれをそのまま転用している。さらに、日の左翼による実在の差別発言を挙げておこうか――東大闘争の時の大内兵衛による「東大は特殊部落」発言。こうなる

    差別と比喩(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    setofuumi
    setofuumi 2008/09/01
  • スポーツ/文学 - Living, Loving, Thinking, Again

    藤木直美さん経由で廻ってきたメイル; 第一回 公開ワークショップ「スポーツする文学」のご案内 ■企画のことば いま、スポーツを個人として楽しむ者は多い。その一方、スポーツのメディア ・イベント化は進行し、選手達のタレント化も進む。スポーツは自身の身体と向き 合う快楽の一つであると同時に、メディアの運ぶ意味と物語に塗り固められた表象 /商品/プロパガンダとしてもある。 だがその状況は、なにも最近はじまった事態ではない。その祖型は、おそらく 日格的なスポーツ時代が到来した大正末にさかのぼって求められるだろう。 大正の末から昭和にかけて大衆文化が勃興した季節、スポーツはその愛好者を 増していくとともに、メディア産業の主要コンテンツ=商品となり、人々の見る欲 望の対象となり、さまざまな集団──もちろん国家も含む──の示威手段の一つと なり、そして諸芸術の新しい表象対象となった。 この研究プロ

    スポーツ/文学 - Living, Loving, Thinking, Again
    setofuumi
    setofuumi 2007/04/14
    きょうみぶかすぎる
  • 坊主だからって、何か? - Living, Loving, Thinking, Again

    『読売』の記事; 「欲望に負け…」修行中の僧侶、女子高生を買春 3月23日13時3分配信 読売新聞 修行中の僧侶が携帯電話の出会い系サイトで知り合った女子高生に現金を渡してわいせつな行為をしたとして、警視庁少年育成課は23日、山口県宇部市山門の「松月院」僧侶、末次信宏容疑者(25)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕したと発表した。 末次容疑者は「仏門の世界にいるものが、欲望に負け、年ゆかぬ子供とわいせつな行為をしてしまい申し訳ない」と供述しているという。 調べによると、末次容疑者は2005年7月22日、東京都豊島区内のホテルで、携帯電話の出会い系サイトで知り合った都内の女子高生(15)に、わいせつな行為をした疑い。女子高生には「5万円を払う」と約束していたが、渡した現金は3万円だったという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2007

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    setofuumi
    setofuumi 2007/03/23
  • 信じるという動詞 - Living, Loving, Thinking, Again

    少し前の話ではあるが、所謂「ニセ科学」問題に絡んで、「科学」と「宗教」についての議論があった; http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070106/1168076907 http://d.hatena.ne.jp/rna/20070108/p1 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070108#p1 これらの議論とは直接は関係ないのだが、前々から思っていたことを言葉にしようと思う。〈信じる(believe)〉という動詞の奇妙奇天烈さ。こういうことは哲学ではとっくに議論されているのだろうけど、生憎分析哲学には疎いので、御存知の方は御教示されたい。〈信じる〉という動詞は如何にして使用されるのか。これも充分に変な文だとは思うが、 This is a pen. と言ってみる。これはペンがあるという知覚された事実をそのまんま述べている文だといえる。

    信じるという動詞 - Living, Loving, Thinking, Again
    setofuumi
    setofuumi 2007/01/24
    こういう知識欲しい
  • 映画−−「連帯なき連帯」 - Living, Loving, Thinking, Again

    岡田秀則「他人と一緒に見る夢」『未来』483 岡田氏によると、「ある種の演劇やロック・コンサートのように、[映画館の]観衆の感情が一つのグルーヴを共有することはない」(p.19)という*1; もともと映画鑑賞とは、隣席に家族がいようが恋人がいようが、自分とスクリーンとの一対一の体験でしかない。そのことは、年に数百の映画をスクリーンで観た経験のある方になら難なく理解されることだろう。その孤独感を抜きにして、映画を自分の生活に取り入れることはできない。にもかかわらず、いま考えずにはいられないのは、映画館の暗闇の中で、互いに面識のない人々が同じスクリーンを見つめているという単純な事実だ(pp.18-19)。また、 言うまでもなく、現代の子どもたちは、何気ない日常を送っているだけですでに圧倒的な量の映像体験に晒されている。テレビでもインターネットでも構わない、それら映像の大半は、ひとりひとりが分断

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  • 伊吹発言についてのメモ - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061122/1164224217で言及した伊吹発言について、annntonioさん*1が纏めて下さっている*2ので、一読をお勧めしたい。拙文にも言及されているが、私の拙き文をシリアスに読んでいただけるというのは、恥ずかしいけれど嬉しい。これに関しても、拙文へのコメントに関しても、お礼申し上げたい。 その後知った、伊吹発言に関するテクストで興味深かったのは、http://aayumi23.exblog.jp/5012680。私がネタにした新聞記事では引用されていない部分において、伊吹という人は「国民全体の意思でないグループ、あるいは国民全体の意思でない思想によって教育を行うという場合、これは当然それ(不当な支配)にあたる」といったそうな。これを踏まえて、曰く、 これだけ読んだらオウム真理教のことなんぞを思い浮かべ、ついうなづ

    伊吹発言についてのメモ - Living, Loving, Thinking, Again
  • フランクフルト学派 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/kihonhou_13_123.html 数年前まで、子どもの学力低下も歴史修正主義の跋扈もテロの横行も全て〈脱構築〉が悪いといわれていたのに、いつの間にか知的覇権が逆転して、「フランクフルト学派」にオールマイティな能力が与えられているようだ。何しろ、「今日の反戦運動、差別撤廃、フェミニスム、ジェンダーなど、すべてこの学派から出た理論によっている」ということなのだから。 ところで、まさかそんな人はいないと思うけれど、これを参考に社会学とか哲学のレポートを書いた奴は単位を落とす。ルカーチやグラムシを「フランクフルト学派」だとした時点でもうアウトでしょう。具体的なテクストの引用*1がないというのもあれだけれど、アクセル・ホネットやクラウス・オッフェという第3世代は勿論のこと、長老であるハーバーマスも言及されていない。さらに、驚くべ

    フランクフルト学派 - Living, Loving, Thinking, Again
    setofuumi
    setofuumi 2006/10/15
    学問
  • 「本当の怖さ」その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 経験者は語る「ブックオフの当の怖さ」。t-hirosakaさん曰く、 同社では、従来の古書店が買い入れのさいの目安としてきた、内容(ジャンルや文壇・学界での評価)、著者の知名度、元値、市場での希少さ、などを斟酌せず、もっぱら見た目が新しく見えるかどうかという基準で買い取り値段を決める。これによって、採用されたばかりのアルバイト店員にも、古の買い取りが出来、効率もアップする。革命的といえばこの点こそが革命的であった。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20060925#1159163705 これはつまり、古書を古に、〈文化財〉を紙に還元するということなのだが、それとともに最初から〈熟練〉が否定されているということだ。つまり、ブックオフに何年勤めても、目利きとしての能力が養われることはないということ。 ところで、こういう方もいるんだという記事;

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  • 「アテンション・エコノミー」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    仲俣暁生氏*1、古谷利裕という人の 例えば、同じをブックオフで百円で買うのと、普通に千五百円出して買うのとはどこが違うのかと言えば、百円で買えば自分は得をするが、その百円はブックオフのもうけにしかならないのに対し、千五百円で買えば、そのを出した出版社、そのをつくった編集者、そのを書いた筆者それぞれに対する、積極的な評価の表明となり、経済的な支援となる。ただ「私」がを読めれば良いのであれば百円で買う方がいいに決まっているのだが、そのの向こう側には(たんに筆者にとどまらず様々な次元で)作者がいて、この社会のなかで、経済活動をしつつ生きているのだという程度の想像力があれば、必ずしも百円で買う方が(自分にとってさえも)得だとは言い切れないと分る。 http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html を引きつつ曰く、 まさにそのと

    「アテンション・エコノミー」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」 - Living, Loving, Thinking, Again

    さっき届いたスパム。 たしか、数日前にナベ*1のところにも届いた筈。そのままtrash boxに放り込んでしまうのはちょっと惜しい; (前略) 自分のことを少し語ります。 昨年の夏、わけあって主人を亡くしました。 自分は…主人のことを…死ぬまで何も理解していなかったのが とても悔やまれます。 主人はシンガポールに頻繁に旅行に向っていたのですが、 それは遊びの為の旅行ではなかったのです。 収入を得るために、私に内緒であんな危険な出稼ぎをしていたなんて。 一年が経過して、ようやく主人の死から立ち直ってきました。 ですが、お恥ずかしい話ですが、毎日の孤独な夜に、 身体の火照りが止まらなくなる時間も増えてきました。 主人の残した財産は莫大な額です。 つまり、謝礼は幾らでも出きますので、 私の性欲を満たして欲しいのです。 (後略) ところで、シンガポールに「オオアリクイ」はいるのか。 *1:http

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    setofuumi
    setofuumi 2006/07/26
    すごい
  • 要請された「感謝」 - Living, Loving, Thinking, Again

    『東京新聞』(但し共同通信による)の記事; 陸自、サマワ支援で感謝状を要請 地元州議長らに 【クウェート市=共同】イラク南部サマワで約2年半にわたって復興支援活動を続けた陸上自衛隊が、地元ムサンナ州評議会の議長らに対し、撤収する陸自に感謝の手紙を書くよう求める書簡を送っていたことが、15日分かった。現地での評価を日国内にアピールする狙いがあったとみられる。 共同通信が入手した書簡はアラビア語で記され、小泉純一郎首相が陸自派遣部隊の撤収を発表する2日前の6月18日付。小瀬幹雄・第5次復興業務支援隊長が署名し、州評議会のドワイニ議長に送られた。 書簡は、陸自支援の成果を「派遣部隊員の奮闘の結果」と指摘した上で「陸自隊員を含む日国民に、あなたの手紙を伝えたい」などと要請。手紙は日メディアを通じて公表されるとして「(陸自の活動に対する)あなたの心からの支持を多くの人々がはっきりと知ることがで

    要請された「感謝」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • クールな「キモイ」 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://anotherorphan.com/2006/05/post_272.htmlで言及されている「キモイ」という言葉。その言葉の意味がちょっとずれているなと思った。同じ筆者のhttp://anotherorphan.com/2006/05/post_270.htmlを読むと、それははっきりする。この方は高校の先生で、件の「キモイ」は教えている高校生が使っているのに準拠しているようだ。曰く、 一方、今年の生徒は、「ウザイ」も「シネ」もほとんど最初から一度も言わない。変わりに、彼らの口から二言目には衝いて出てくるのは「キモイ」という単語だった。この単語は、彼らの自意識のありようが、個人的なる者に対する執着よりも、むしろ狭い共同体の価値観に対する執着にあることを示している。「ウザイ」とか「シネ」という言葉が依拠していたのが個人的な拒否感であったとするならば、「キモイ」という言葉が依拠

    クールな「キモイ」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • やくざだって供養されたい - Living, Loving, Thinking, Again

    時事通信の記事; 山口組、延暦寺で組長法要=全国から幹部90人出席−県警の中止要請応じず・滋賀 天台宗総山の延暦寺(大津市)で4月下旬、指定暴力団山口組が歴代組長の法要を行っていたことが16日、分かった。滋賀県警は事前に中止を要請していたが、寺側は宗教上の理由などから応じなかった。 県警や延暦寺によると、法要は4月21日に行われ、銃刀法違反罪で服役中の篠田建市(通称司忍)6代目組長は出席しなかったが、全国の直系組長ら幹部約90人が集まった。 (時事通信) - 5月16日21時1分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060516-00000179-jij-soci また、『読売』の記事; 山口組、延暦寺で歴代組長法要…寺「今後は断る」 天台宗総山の比叡山延暦寺(大津市)に先月下旬、指定暴力団山口組の最高幹部ら約90人が集まって、歴代組長の法要を行

    やくざだって供養されたい - Living, Loving, Thinking, Again
  • それよりも「労働」は「自己実現」なのか - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060501/1146445919 労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。たしかに、少なくとも〈資家〉の立場からいえばその通りだし、現実的にもその通りなのだろう。ただ、当に「共通規格の部品で動く歯車」になってしまうと、ネガティヴ

    それよりも「労働」は「自己実現」なのか - Living, Loving, Thinking, Again
  • 道具としての「愛国心」 - Living, Loving, Thinking, Again

    作田啓一先生*1が「教育法改正案」と「愛国心」について触れている。その中で、 第一に、愛国心の称揚は排外主義的ナショナリズムへと通路づけられる危険がある。昨年上海などで大規模の反日デモが展開された時、これを苦々しく思った日政府の要人たちのあいだで、この運動は中国政府が内政に不満をもつ民衆の攻撃的エネルギーを愛国排外主義へと向けさせ、内政批判をそらせた、という見解が出た。この見解がどの程度的を射ていたかどうかはまだ明らかではない。しかしともかく、この見解を述べた政府の要人たちは、愛国心は排外主義的ナショナリズムへと通路づけられること、そしてこの通路づけは政治権力の安定に利用されることをよく知っていたのだ。政府の要人たちだけではない。自民党議員の中にも、そしてまた日人の一部の中にも、この認識は共有されていた。そして彼らすべては中国民衆のこの反日的態度を苦々しく思っていた。だとすれば、日

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    setofuumi
    setofuumi 2006/05/04
  • かぐや姫? - Living, Loving, Thinking, Again

    「かぐや姫症候群」という言葉を知った; 樋口康彦「かぐや姫症候群に関する考察――準ひきこもり行動との関係から――」『富山国際大学国際教養学部紀要』2、2006、pp.31-38. http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi3.pdf タイトルを一瞬見て、「神田川」のメロディが浮かんできましたよ。しかしながら、ここでいう「かぐや姫」というのは、南こうせつとも伊勢正三とも関係なく、あの日に於ける物語文学の鼻祖として称えられる『竹取物語』の「かぐや姫」*1。それにしても、「かぐや姫」の物語を、大学生活に適応できなかったヒッキーの物語として読んでしまうのだから、心理学者というのは凄い!*2 『竹取物語』には中国的神仙思想の影響は当然ある。とすると、ヒッキーというのは、日のみならず東亜細亜の伝統文化を背負った存在

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  • 「難しい」ことが問題なのか - Living, Loving, Thinking, Again

    市民運動的なことを推進する人が敬遠されるのは、サヨク的なことがかっこ悪いとか怖いとか運動の重要性や主張の中身に疑問があるとかいうのもあるだろうけど、その人たちの「語彙」にも原因があるんじゃないかなあと思うことがある。そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味不明というか、偉そうというか… http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060428/p2 この引用はあくまでも取っ掛かりにすぎないのであって、以下ではkmizusawaさんを批判しようとするわけではない。枕にするだけというのは却って失礼か。 たしかに、「そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味

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  • 話題が噛み合わないだけ - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060410/p1経由で、「若者自立塾、ニートの対話力不足に照準(東京)」という『読売』の記事*1を知る; 若者自立塾、ニートの対話力不足に照準(東京) 増加するニート対策として、昨年7月にスタートした「若者自立塾創出推進事業」で、厚生労働省から委託を受けた福生市の「若者自立塾」では、ニート共通の対話能力不足の解消に力点を置いた訓練で効果を上げている。対話をきっかけに、意欲や方策を見いだし、就労に結びつけるケースが増えている。 (黒岩竹志) 新潟県出身の遠藤崇之さん(30)は、大学を中退後、専門学校でコンピューターを学んだ。しかし、仕事に対する漠然とした不安から就職できず、一日中何もせずに過ごしていた。30歳になる前に、何とかしなくてはとの思いから、インターネットで知った「若者自立塾」に入塾した。 NPO法人「青少年自立援

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    setofuumi
    setofuumi 2006/04/11
  • ルサンティマン侮れず - Living, Loving, Thinking, Again

    「高学歴非モテ童貞」について、utsutsuさん*1は書いている; 彼らはほとんどが大企業・官公庁か専門資格職のエリートになるわけです。正直コミュ能力とか不十分な気がしても、余裕で内定がつがつもらってるのが現実。おそらく社内でもそれなりに進んでいくんでありましょう。するとね、今でこそ非モテ童貞バリバリだけども、30前後には立派なモテに変身できる可能性があるわけなんです。この世知辛い格差社会の現在、高収入を期待できる♂には人生に長けた女の子の需要がありまくりです。しかも、こやつら女の子に免疫ないし騙しやすいったらありゃしない。結婚したら自分の思うがままに操れることこの上なしなのです。正直言って、こういう奴らには出世してほしくないよな。金も地位も権力もない現在はそれ故に無害だけれど、一旦金とか地位とかが転がり込んでしまうと、どんな横暴をしでかすやら。ルサンティマンを侮ってはいけない。一個の饅頭

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    setofuumi
    setofuumi 2006/04/01
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