『図書館雑誌』2021年9月号(vol.115 no.9)が届いた。特集は「地域資料のいまとこれから」。 とにかく、福島幸宏「地域資料の可能性」(p.568-571)は必見。著者のこれまでの図書館再定義論に関する文献と、関連する他の論者による主要文献に言及した、自身によるレビュー論文とでもいうべき論考で、ここを起点に、注記にある各文献にアクセスすることができる。今後、議論を深めるための起点を提供する一本。地域における社会運動や、ボーンデジタル情報への目配りも。それにしても、この論考が図書館雑誌の特集冒頭を飾る時が来た、ということ自体が事件かもしれない。 特集では、取り組み事例として、青森県立図書館デジタルアーカイブ、とっとりデジタルコレクションといったデジタルアーカイブや、丹波篠山市の地域資料整理サポーターの活動、埼玉県立小川高等学校を中心とした「おがわ学」における町立図書館の貢献、福岡ア
今回は10~50代の男女を対象に、ふだんどのくらい図書館を利用しているか調査。また、図書館を利用するときに「こんなものがあったらうれしい」と思う設備についても聞きました。 国や市町村、民間などが運営する図書館や、学校の図書館/図書室などをすべて含め、ふだんどのくらい図書館を利用するかを聞きました。 図書館を利用したことがある人は全体で92%と、ほとんどの人は利用経験があることがわかりました。その中でも、ふだん図書館を利用している人の割合は4割で、年代が低くなるほど利用率が高い傾向でした。一方で、「以前利用したことはあるが、いまは利用していない」人が全体で5割超となりました。 ふだん利用している人の中で割合が多いのは「月1日より少ない」で、全体で2割超。各年代で大きな差はなく、どの年代でも2割~3割弱はいるようです。 次に多いのは「月に1~3日」利用している人で、全体で1割強でした。また、「
【LINEリサーチ】図書館をふだん利用している人は4割、図書館にあったらうれしいと思う設備は「フリーWi-Fi」「電源」「カフェ」が上位にランクインLINEリサーチ、全国の男女を対象に図書館に関する調査を実施 LINE株式会社では、同社が保有する約552万人の国内最大級のアクティブな調査パネルを基盤とした、スマートフォン専用のリサーチプラットフォーム「LINEリサーチ」を運営しております。 このたびLINEリサーチでは、日本全国の男女を対象に、ふだん図書館を利用している回数や、図書館にあったらうれしいと思う設備について調査しましたので、その結果をお知らせいたします。 ※調査結果の詳細はLINEリサーチの調査メディア「リサーチノート」でご覧いただけます:https://research-platform.line.me/archives/38695788.html ※本リリース内のグラフ画像
司書の配置を進めるための方法:【11項目】 改訂版 2021.9.22 登録 薬袋秀樹 2023.4.21 改訂 薬袋秀樹 *【 】内が加筆した部分です。 私は、約20年前の2001年に『図書館運動は何を残したか』(勁草書房,2001)を 出版しました。その「第1部 司書職制度の基礎」の「第1章 わが国における司書 職制度」に「6.4 司書の配置を進めるための方法」の項目を設け、「司書の配置を進 め,維持するためには次の方法が必要である」として、11項目を挙げました。 その当時、1990年代以後、司書制度は広がりを見せていませんでした。図書館関係 団体が「司書制度を導入すべきだ」という主張を繰り返してきましたが、十分掘り下 げられた意見ではありませんでした。 法律で定めた制度を主張するだけでは議論は深まりません。私は制度と実態の間にギ ャップがあったと思います。 ギャップを埋め
新型コロナウイルスの流行下で、公共図書館での電子書籍の貸し出し数が都内でも急増している。いつでもどこでもスマートフォンやパソコンで本を借りて読めるため、来館する必要がない。全国に先駆けて平成19年に電子図書館を導入した東京都千代田区立図書館では昨年、電子書籍の貸し出し点数が前年比273%と大幅に増えた。コロナの流行を機に、図書館利用者の裾野を大きく広げる可能性がある。 千代田区立図書館の電子書籍の蔵書数は、約1万冊と全国トップクラス。ヒアリングができる英語の学習参考書や、朗読機能が付いた子供向けの絵本など、電子ならではの書籍が人気を集めているという。 同館広報室の坂巻睦さんは「来館せずに借りられる点が便利で、人気が高まっている。コロナ流行後は、全国の自治体からやり方についての問い合わせが増え、広がりを感じている」と期待感を示す。 実際、全国の自治体で電子図書館の設置は急速に進んでいる。電子
大宅壮一文庫理事長は評論家の大宅映子さん。後ろの書棚の写真は大宅壮一氏と初代理事長、大宅夫人の昌さん。最近行った対談の際に山根事務所スタッフが撮影 1923(大正12)年9月1日、相模湾を震源とする関東大震災が発生した。東京都心は大火災に見舞われ、首都は壊滅。死者・行方不明者は10万5000人。その犠牲者の87%が焼死という生き地獄だった。 その関東大震災を予測し、想定焼失戸数や死者数を18年前の1905(明治38)年9月に発表した偉大な地震学者がいた。今村明恒(1870~1948年)だ。 雑誌『太陽』(博文館)に「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」という一文を寄稿したが、一般向け雑誌であったため大反響があり、その後「ほら吹き」という批判にさらされることにもなった。2013年には『関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒』(上山明博著、産経新聞出版発行)という
パターソンの伝習以前における洋式製本の移入 従来、日本の洋式製本は印書局に招かれたパターソンの伝習によって始まるとされてきた。しかし、それ以前の洋装本の存在もしばしば指摘されてきた。本章の目的は、曖昧模糊としていたパターソン伝習以前の洋式製本移入の実態を、系統立てて記述することだった。初期の洋装本を一つ一つ掘り起こし、ためつすがめつする作業で明らかになったのは、パターソンの伝習以前に洋式製本は確実に日本に移入され、1873年にはすでに民間で国産の洋装本を製作できる職人や工房が活動していたということである。やや長くなったこの章を終えるに当たって、洋式製本の移入に至る道筋を簡単にまとめてみたい。 模倣から移入、規範化へ 洋装本の製作は蘭書の修復や模倣から始まった。『独々涅烏斯草木譜』の修復には、洋式製本の基本に従いながらも、細部に和本の技法が見られる。この本は、洋式製本の工程をそれなりに学んだ
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