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ブックマーク / dictionary.sanseido-publ.co.jp (2)

  • 第20回 帝国地名辞典 | 三省堂辞書の歩み(境田 稔信) | 三省堂 ことばのコラム

    明治45年(1912)6月25日刊行(上巻・下巻) 明治45年(1912)7月14日刊行(索引) 太田為三郎編/文1689頁+「朝鮮」53頁(上巻874頁、下巻815頁+53頁)/四六倍判(縦261mm) 【文1ページめ】 『帝国地名辞典』は、語学系の辞書を出版してきた三省堂にとって初めての専門事典である。編者の太田為三郎は帝国図書館に勤務し、『日随筆索引』(明治34年)など索引類の編著があった。書は、起稿から15年を費やして完成したという。 大部分は独力で執筆したものであるが、かつて農商務省地質調査所にいて全国を踏査した東条勝友から助言を得ており、校正では田内八百久万・三浦哲郎らの協力があった。また、朝鮮については吉田英三郎の著作を参照している。 当時、主要な地名辞典は吉田東伍の『大日地名辞書』(明治33~40年)、大西林五郎の『実用帝国地名辞典』(同34年)、富時次郎の『帝

    stkysm
    stkysm 2015/11/23
    おおっ
  • 第1回 はじめに | 「百学連環」を読む(山本 貴光) | 三省堂 ことばのコラム

    これからこの場をお借りして、ご一緒に、ある文書を読んでみたいと思います。今回注目するのは、西周の「百学連環」です。いまではほとんど顧みられなくなった、というより、これからお話ししてゆくように、そもそも目に触れることの少なかった文章です。詳しくは、読み進めてゆく中で述べることにして、読解にとりかかる前に、少しだけ前置きをしてみたいと思います。 この「百学連環」という文書は、明治3年頃につくられたものです。西暦で言えば1870年。いまからおよそ140年ほど前のこと。明治維新と呼ばれる一連の動きによって、江戸幕府が倒れ、明治時代が始まった頃のことです。 先ほど、著者を西周(にしあまね、1829-1897)と言いましたが、実際に書いたのは永見裕という人物でした。ちょっとややこしいのですが、「百学連環」は、もともと西周が私塾で行った講義の記録なのです。その講義を聴いていた永見が、西先生の言葉を筆記し

    第1回 はじめに | 「百学連環」を読む(山本 貴光) | 三省堂 ことばのコラム
    stkysm
    stkysm 2013/11/01
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