大山のぶ代さん死去 90歳
× 184 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 60 90 34 シェア 桂ざこばが本日6月12日に喘息のため死去した。76歳だった。 大阪市出身のざこば。1963年に桂米朝に入門し、桂朝丸の名で活動したあと、1988年に2代目・桂ざこばを襲名した。人情味あふれる語り口で人気となり、「バラエティー生活笑百科」(NHK)、「たかじんのそこまで言って委員会(現・そこまで言って委員会NP)」(読売テレビ)、「ざこば・鶴瓶らくごのご」(ABCテレビ)など数々のテレビ番組でも活躍。「上方お笑い大賞」「芸術選奨 大衆芸能部門 文部科学大臣賞」といった賞も受賞した。 ざこばの所属事務所、米朝事務所から寄せられた桂米團治のコメントは以下の通り。 桂米團治 コメント私が幼稚園に通い出した時に、入門されたのが、ざこば(当時の朝丸)兄さんでした。本当
4人組エキゾチックロックバンド・NEEのギター/ボーカルであるくぅ(村上蔵馬)さんが、5月12日に亡くなっていたことがわかった。享年25。 バンド公式サイトには訃報を伝える文章が掲載。「葬儀につきましては、ご遺族の意向により親族とメンバーのみで執り行われました」と報告されている。 加えて、今後の出演について、イベントの中止/出演キャンセルが発表。「公演の対応につきましては主催者と協議の上、改めてご案内します」とアナウンスされている。 【開催及び出演キャンセルのライブイベント】 6月18日(火):「音楽と行こう SUPER LIVE」 6月23日(日):「東京、夏のサイレン」 6月29日(土):「FM802 Rockin’Radio! -OSAKA JO YAON-」 8月24日(土):「10th WILD BUNCH FEST. 2024」 9月1日(日):「SWEET LOVE SHOW
「マツケンサンバ2」振付師・真島茂樹さん死去 77歳 虚血性心不全 亡くなる前日まで元気に仕事
1980年代にフジテレビの人気番組「オレたちひょうきん族」などに出演し「アダモちゃん」のキャラクターで人気を博したタレントの島崎俊郎さんが死去したことが分かった。68歳だった。 関係者によると、6日に自宅で急性心不全のために亡くなったという。 島崎さんは、1979年(昭54)に川上泰生、小林すすむらとお笑いトリオ「ヒップアップ」を結成し、リーダーを務めた。1980年(昭55)に「オレたちひょうきん族」のレギュラーとなり、1985年(昭60)2月、番組内でうまれた「アダモちゃん」のキャラクターで一躍人気者に。 「アダモちゃん」は同番組の人気コーナー「タケちゃんマン」で、島崎さんがポリネシアンダンスショーに扮(ふん)したキャラクターが原型。ダンス中、島崎さんがアドリブで「アダモ!!……ペイ!!」と叫び、アダモステとなった。「アダモちゃん」と呼ばれると「ハーイ」と返事をする。他に「ホテマカセ、ハ
「ピアノ売ってちょうだ~い」 財津一郎さんが歌いながら呼びかける『タケモトピアノ』のテレビCM。20年以上にわたって放送され、誰もが1度は目にしたことがあるはずだ。赤ちゃんがピタリと泣き止むCMとして、バラエティー番組『探偵ナイトスクープ』で取り上げられ“伝説の放送回”と話題になったことも。 その財津さんが人知れず亡くなっていたことが週刊女性PRIMEの取材でわかった。89歳だった。 財津さんの知人が明かす。 「10月14日に亡くなりました。18日に通夜、19日に告別式が執り行われました」 財津さんは1962年から1968年にかけて放送されたコメディー番組『てなもんや三度笠』に出演し、藤田まことさんや白木みのるさんと共演。「キビシーッ!」「~してチョーダイ!」が口グセの浪人役で、お茶の間に笑いを届けていた。同番組は、関西地区で最高視聴率64・8%を出したこともある人気番組で、財津さん演じる
谷村新司さんは大阪府出身で、1972年にバンド「アリス」でデビューしました。 “チンペイさん”の愛称で親しまれ、堀内孝雄さんらとともに力強いボーカルで「チャンピオン」や「冬の稲妻」などヒット曲を次々と発表しました。 またシンガーソングライターとして「昴」など長く歌い継がれる名曲を生み出したほか、「いい日旅立ち」を山口百恵さんに提供するなど長年、日本の歌謡界を牽引してきました。 また、谷村さんは、中国・上海にある音楽学院で教授を務めたこともあり、中国で人気の日本人歌手として知られていて、2017年には上海で日中国交正常化45年を記念したコンサートを開いています。 代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。 2015年には日本だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多く生み出し、芸術文化の発展に貢献したことが評価され紫綬褒章を受章しています。 事務所のホー
2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番組でも人気となった。 講談師としての顔や、劇団の主宰、さらに阪神タイガースのオーナーを気どるなど、幅広い知識を生かし、大阪文化をけん引。「芸能生活40周年で隠居する」と公言し、惜しまれながら2
NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなりました。 高見のっぽさんは京都市出身で、俳優で芸人だった父親の元で修行を積み、1966年からNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「なにしてあそぼう」と、1970年に始まった「できるかな」に「ノッポさん」という役であわせて20年以上にわたり出演しました。 ひと言もしゃべらず、ジェスチャーを交えて鮮やかに工作を作り出す姿が子どもたちの人気を集め、「できるかな」では、相棒のキャラクター「ゴン太くん」とのコンビも話題となりました。 また、2005年、71歳の時には、NHKの「みんなのうた」で放送された「グラスホッパー物語」でみずから作詞と歌を担当しました。 バッタのおじいさんにふんして歌いながら踊る姿が反響を呼び、10か月間にわたる異例のロングラン放送となったほ
落語家の笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい、本名・渡士洋=とし・ひろし)さんが22日午前、急性大動脈解離のため死去した。66歳だった。 笑瓶さんは1980年大阪芸大芸術学部文芸学科卒業後、笑福亭鶴瓶に弟子入り。毎日放送「突然ガバチョ!」「ヤングタウン土曜日」など関西の番組で活躍。1987年に東京に拠点を移し、日本テレビ系「鶴ちゃんのぷっつん5」のウィッキーさん役、フジテレビ系「ものまね王座決定戦」のサリーちゃんのよしこちゃんのものまねで人気を博した。TBS「噂の東京マガジン」や医薬品の「コンタック」のCMでも親しまれた。 2015年12月にもゴルフのプレー中に急性大動脈解離を発症してドクターヘリで救急搬送され、約2週間入院していた。
フジテレビ系情報番組で活躍した芸能リポーター、前田忠明(まえだ・ただあき)さんが9月28日にくも膜下出血のため急死していたことが18日、分かった。81歳だった。東京都内の自宅で転倒し、頭を強打したことが原因とみられる。故梨元勝さんらとともに昭和の時代から芸能人のニュースを追い続け、ソフトな語り口と的確な分析でお茶の間にも親しまれた。 「前忠(まえちゅう)」の愛称で知られた名リポーター。情報番組がかつてワイドショーと呼ばれた頃から、石原裕次郎さんや美空ひばりさん、勝新太郎さんら大物芸能人とファンとの橋渡し役を果たしたテレビ界の重鎮が、世を去った。 ここ数年、単発的にテレビ番組やネットメディアに登場していたが…。18日夜、サンケイスポーツの取材に応じた遺族によると、前田さんは9月28日午後2時20分頃、74歳の妻と2人で暮らしていた東京・新宿区の自宅マンションで転倒。都内の病院に救急搬送された
人気映画「男はつらいよ」シリーズにも出演した俳優の佐藤蛾次郎さんが、10日、東京 世田谷区の自宅で亡くなりました。78歳でした。所属事務所の関係者によりますと、死因は虚血性心不全とみられるということです。 警視庁によりますと、10日午前10時すぎ、東京 世田谷区の住宅の浴室で、この家に住む俳優の佐藤蛾次郎さん(78)が風呂につかった状態で動かなくなっているのを、訪れた親族が発見し、119番通報したということです。 遺体に目立った傷などはなく、その場で死亡が確認されたということです。 所属事務所の関係者によりますと、死因は虚血性心不全とみられるということです。 佐藤さんは1人暮らしで、様子をうかがいに家族が頻繁に自宅を訪れていて、風呂場で見つかった前の日も、昼前に長男が訪れていたということです。 警視庁が詳しい状況を調べています。 佐藤さんは人気映画「男はつらいよ」シリーズなど、さまざまな映
YOSHIさん(本人のインスタグラムから)この記事の写真をすべて見る 俳優でアーティストのYOSHIさんの運転する大型バイクが11月5日0時過ぎ、トラックと衝突。YOSHIさんは搬送先の病院で死亡した。19歳だった。 【写真】AERA表紙を飾ったYOSHIさん まっすぐにカメラを見つめた YOSHIさんは13歳の頃、当時ルイ・ヴィトンのディレクターだったヴァージル・アブローにその存在を見出され、モデルデビューを果たした。19年にはミュージシャンとしてアルバムをリリースし、映画「タロウのバカ」で演技未経験ながら主役に抜擢。菅田将暉ら実力派俳優に引けを取らない演技が注目を集めた。週刊誌「AERA」でも、同年12月23日号でYOSHIさんを表紙に起用した。 モデルであり、歌手であり、俳優でもある。そして当時のYOSHIさんは、バラエティー番組で大御所芸人にタメ口を使ったことで、ネットで炎上中。ま
一部報道によると、神田はミュージカル「マイ・フェア・レディ」出演のため訪れていた札幌市内のホテル敷地内で倒れているのを発見され、病院に搬送されたものの死亡が確認されたとのこと。所属事務所は公式サイトにてファンや関係者に対し「このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりません。私共もまだ信じ難く、受け止めることができない状況でございます」とコメントしている。 神田は2002年に「SAYAKA」名義で歌手デビュー。2006年より現在の名義での活動を開始し、歌手以外にもミュージカル女優や声優としても活躍してきた。2014年には映画「アナと雪の女王」日本語吹替え版でアナ役を好演し、2018年には第43回菊田一夫演劇賞を受賞。2020年には黒崎真音とのユニット・ALICesを結成している。
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
女優の辻イト子(つじ・いとこ、本名同じ)さんが、24日にすい臓がんのため、大阪府内の病院で死去したことが26日、所属事務所を通じて発表された。73歳だった。葬儀はすでに家族葬にて執り行われた。所属事務所によると、昨年10月にがんが見つかり、闘病生活を送っていたという。 辻さんは大阪府岸和田市出身。40代半ばで芸能界入りし、ユニクロなど30本以上のCMや、テレビドラマや映画にも出演した。1999年には夫と漫才コンビ「辻イト子・まがる」も結成し、近年は講演などで活動。主婦タレントが所属する芸能プロダクション「みかん山プロダクション」も経営していた。 ◆辻イト子(つじ・いとこ)1947年12月3日、大阪府・岸和田市生まれ。73歳。1971年結婚。結婚後は、主婦として子育てとミカン農業に励む。87年夫婦で不動産会社を設立し、宅建主任の資格を取り取締役に就任。94年タレント養成事務所に所属。ユニクロ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く