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ブックマーク / blog.tatsuru.com (5)

  • グーグルのない世界 - 内田樹の研究室

    中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、グーグル中国から撤退することになった。 香港経由で検閲なしのサービスを開始するが、すでに香港版サイトには中国土からの接続が困難になっている。 接続者の殺到によるものか、中国政府の妨害かはまだわかっていない。 「グーグルが存在しない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノベーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、いまの段階で予測することはむずかしい。 だが、この「事件」のよって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。 中国の経済成長はいずれ停滞する。 それは不可避である。 これまで右肩上がりの経済成長を永遠に続けた国は存在しない以上、中国の成長もいずれ止まる。 その成長をブロックする主因は、「知的イノベーション」の重要性を見誤ったことにある。

  • 「まったなし」を待っていただけないでしょうか。 - 内田樹の研究室

    民主党の代表選挙があった。 一国の総理大臣を決める選挙なのだが、あまり盛り上がらない。 私自身も選挙結果にそれほど興味がない。 日政治過程は成熟期にあり、誰が総理大臣になっても、それほど違いが出ないようにシステムが作り込まれているからである。 安全と言えば、安全だし、不活性的と言えば、不活性的である。 東日大震災以来の官邸の対応について「スピード感がない」という批判が繰り返されたが、たぶん「スピード感がない、だらだらしている」というのが成熟期に入った政治プロセスの特徴なのだろう。 「スピード感がない」というのは、いまの政治を否定的に論評するときの流行語になっている。 同じように「まったなし」というのが財政危機や景況についての形容の定型になっている。 状況は「まったなし」で切迫しているのであるから、「スピード感のある」対応が必至である、という言明は整合的なように聞こえるけれど、こういう

  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

  • 国旗国歌と公民教育 - 内田樹の研究室

    橋下徹府知事率いる大阪維新の会は「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を今月の府議会に提出する。 府教委はこれまで公立学校に対しては「教育公務員としての責務を自覚し、起立し斉唱する」ことを文書で指示してきた。この三月には卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったとして、公立中学教諭が戒告処分を受けている。 維新の会は「思想信条の問題ではなく、従来の教委の指導を遵守するように求める条例である」と説明している。府知事は、教育公務員が教委からの指示に従わないのは業務命令違反であり、今後とも指示に従わないというのなら辞職すべきであるという、さらに強い態度を取っている。 国旗国歌問題については、これまでも何度も書いてきた。私が言いたいことはいつも同じである。 国旗国歌は国民国家の国民的統合の象徴である。 そうであるなら、ことの順番としては、まず「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根

  • 非実在有害図書 - 内田樹の研究室

    東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。 「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。 ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。 まず原理的なことを確認しておきたい。 それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。 それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。 マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。 「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。 全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主

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