「今のフジファブリックを応援している人たちの多くは義理」という文章を目にした。ショックだった。ああ、確かに、そうかもしれない。志村正彦が生きていた頃のフジファブリックに感じていた、ワクワクというか、ドキドキというか、ベタな言い方をすると「興奮と感動」を、今のフジファブリックに感じているとは言いがたい。でも、それは果たして「義理」なのか。今のフジファブリックが奏でる音楽を聴いているのは、志村正彦というバンドの個性の核であった人物を失ってしまった彼らの背中を押してあげたいという気持ちだけなのか。ははっ、そんなわけない。私がフジファブリックというバンドの音楽を聴き続けているのは、そこに可能性を感じているからだ。個を失ってしまったバンドが如何にして自分たちの音楽を見出そうとしているのか、そのドラマに注目しているからだ。もっと長く、もっともっと長く、“フジファブリック”になるために。きっと何処までも