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religionに関するtopo-gigioのブックマーク (12)

  • The Beauty of Mathsmatics

    Slide 1: Here is an interesting and lovely way to look at the beauty of mathematics, and of God, the sum of all wonders. The Beauty of Mathematics Wonderful World Slide 2: 1 x 8 + 1 = 912 x 8 + 2 = 98123 x 8 + 3 = 9871234 x 8 + 4 = 987612345 x 8 + 5 = 987 65123456 x 8 + 6 = 9876541234567 x 8 + 7 = 987654312345678 x 8 + 8 = 98765432123456789 x 8 + 9 = 987654321 Slide 3: 1 x 9 + 2 = 1112 x 9 + 3 = 1

    The Beauty of Mathsmatics
    topo-gigio
    topo-gigio 2009/01/14
    こんなん誰が気づくねん
  • Matzにっき(2008-01-24)

    << 2008/01/ 1 1. 年賀状 2. ゴビウス 3. [Ruby] ZSFA -- Rails Is A Ghetto 2 1. 新年会 3 4 1. The Mythical 5% 5 6 7 8 1. [言語] Substroke Design Dump 2. [言語] A programming language cannot be better without being unintuitive 3. [OSS] McAfee throws some FUD at the GPL - The INQUIRER 9 1. [言語] Well, I'm Back: String Theory 2. [言語] StringRepresentations - The Larceny Project - Trac 10 1. [Ruby] マルチVMでRubyを並列化、サンと東大

    topo-gigio
    topo-gigio 2008/01/30
    へーそんな意識なもんなんだ
  • 2008-01-21

    ギリシャ正教 (講談社学術文庫) 作者: 高橋保行出版社/メーカー: 講談社発売日: 1980/07/08メディア: 文庫 クリック: 20回この商品を含むブログ (11件) を見るギリシャ正教会の歴史、儀礼、思想について書かれたもの。著者は正教会の聖職者であり、ギリシャ正教の教えを伝道する立場にある。そのためか、「ギリシャ正教は優れており、カトリック・プロテスタントは劣っている」という歴史観・思想観が散見される。しかし、思想・宗教の優劣などというものはそう簡単には決められないものであり、その辺りは少し差し引いて読まなければならないだろう。 著者はギリシャ正教の説明をするためにドストエフスキーを何度か引用している。ドストエフスキーの生きた19世紀ロシアにおいては、伝統的な正教とローマ・カトリック・プロテスタントが混淆した状態にあった。これは18世紀ピョートル大帝がカトリック・プロテスタント

    2008-01-21
  • Back from the Dead, by Athet Pyan Shinthaw Paulu

  • http://church.ne.jp/bible/church/soryo/soryoakashi.htm

  • 教行信証の還相回向について: 極東ブログ

    宗教めいた話が続くのもなんだがスウェーデンボリなど読み返しつつ、教行信証の還相回向(廻向)というのを別の角度からつらつら考えていたら昨日、「教行信証」に親鸞自筆の書き入れがあったというニュースを聞いて奇妙な感じがした。What a coincidence!  背中の翼の生えていたあたりをずんと突かれたような気がして(冗談)、少し書いてみようかと思った。他愛ないというかくだらない戯言であるが。 きっかけとなったニュースは毎日新聞が早かったようだ。”親鸞:「教行信証」自筆に未知の書き入れ”(参照)より。 浄土真宗の開祖、親鸞(1173~1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆である「坂東(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所

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    topo-gigio 2007/12/24
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  • 最近ちょっと考えていたキリスト教のこととか: 極東ブログ

    キリスト教でも平信徒には現実的にはそれほど問題にはならないのが三位一体論だろう。難しすぎるからだ。が、これは異端排除のための信条とも関係していて、歴史を知る上ではなかなか避けがたい部分もある。まあ、こんなエントリではそれほど突っ込まないのだが、昨日エル・グレコのエントリを書いてから、映画とは別として彼は正教の信仰だっただろうかとつらつらと考えた。というか最近つらつらと考えていた。個人的には青春が残した課題でもあった。 正教とカトリックの違いは通常フィリオクェ問題(参照)として知られている。エル・グレコなども平信徒だろうし普通平信徒はこうした問題に悩むことはない。が、そういう信仰の話ではないので、ウィキペディアを借りて話を進める。 フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)は、キリスト教の神学上最大の論争のひとつである。ローマ・カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主要な

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    topo-gigio 2007/12/24
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  • 携帯でニュース見ていてびっくりした、教行信証 - finalventの日記

    ⇒親鸞:「教行信証」自筆に未知の書き入れ - 毎日jp(毎日新聞) 浄土真宗の開祖、親鸞(1173〜1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆である「坂東(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所に及び、すべて親鸞が解釈などを示すために書き入れたとみられる。 親鸞の思想の核心に迫る日仏教史上の画期的な発見で、わが国最大の伝統仏教勢力、真宗教団の僧侶や門信徒の信仰のよりどころである根聖典「教行信証」の刊はすべて、角筆書き入れの解読結果を反映するよう再検討を迫られる。 ⇒親鸞:LED光に「コード」浮かぶ…「教行信証」書き入れ - 毎日jp(毎日新聞) 浄土真宗の開祖、親鸞の思想を伝え、あまたの研究者や門信徒が一字一句まで読み

    携帯でニュース見ていてびっくりした、教行信証 - finalventの日記
  • 暮らし・「世界が完全に思考停止する前に」森達也さんのお話

  • 神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ

    宗教家と無神論者を4タイプに区別したこういうジョークがある。 ■信仰心と無神論の計算の違い(らばQ)。(原文:■Today's Math Lesson (The Primate Diaries)) ●原理主義宗教家 2+2=5だと信じている。その理由はそのように書かれているから。 税金の控除額の計算のときによくトラブルになります。 ●穏健な宗教家 現実的には2+2=4という基に沿って生活している。しかし規則的に教会などに行き、以前に2+2=5の時代があったとか、いつかまたその日が来ると言われ続けている。そして実際精神的な世界では5であるはずと信じている。 ●穏健な無神論者 2+2=4であることを知っている。 しかしながら2+2=5と信じている人が感情を害するかもしれないので、大きく主張することは無礼だと考えている。 ●戦闘的な無神論者 おいおい、よく見てくれよ。ほら、ここに小石が2個ある

    神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ
  • 聖書の教えを全て守って一年間を過ごすと… | Lifehacking.jp

    Gihyo.jp の連載でも書きましたが、私はライフスタイル・ハッキングの大ファンです。今までの自分になかった考え方や習慣を試しに取り込んでみて、自分の生き方を自分の意志で変えてみるのはスリリングで楽しい趣味です。 しかし Tim Ferris のブログで紹介されていたこの人は別格です。神を信じるわけでも、信じていないわけでもないこの人は、単に実験のために一年間旧約聖書に書かれている全ての戒めを(できるかぎり)まもって生活をしたのだそうです。その結果はとても驚くべきものでした。 彼がこうしたライフスタイルの実験をはじめてすぐに気づいたのは、現代社会は「選択」が過剰なまでにあるのに対して、こうした宗教生活はたくさんの戒律があるので最初から「選択」の余地が与えられていないということでした。ようするに選択することそのものからの解放だったわけです。 そうするとすぐにめざましい変化が起こりました:

    聖書の教えを全て守って一年間を過ごすと… | Lifehacking.jp
    topo-gigio
    topo-gigio 2007/10/13
    しかし、旧約は旧約。新約ですらないなら、あくまでこれはその前のステップにすぎないということだ。だが素晴らしイ話。ただ宗教嫌いな人からは客観的なデータでないと言われそうだが。
  • 世界観について自己責任でセーフティネットがない国 - アンカテ

    の社会システムは、欧米から輸入された部分と日独自の部分があって、和魂洋才の二重構造になっていることは、今では広く知られている。ひとことで言えば、社会と個人で成立しているシステムを輸入する時に、日では「世間」というローカルなシステムを温存し、社会と個人の間にこれを再配置した。 たとえば、自然災害があった時に、自衛隊が避難所の公民館まで料を届けてくれれば、それを各人に分配するのは「世間」の仕事になる。実際の運用は違うかもしれないが、そのような形で人は「世間」をイメージし、これに縛られつつ貢献してきたのだ。 社会、あるいは公共性とは、日においては、複数の世間の間に立つ調停役でしかない。所属する世間を持たずに名刺の肩書に書けるような世間の中でのポジションを持たない者は、社会の一員とはされなかった。社会と個人の間にダイレクトな接点はない。必ず、個人は世間と通して社会と相互作用をする。個人

    世界観について自己責任でセーフティネットがない国 - アンカテ
    topo-gigio
    topo-gigio 2007/10/02
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