原発事故のあった福島で、今も全国から来た労働者が廃炉や除染の作業をしている。放射能の爪痕を目の当たりにした衝撃、復興を支えているという自負、進まない原状回復へのいらだち。遠く九州から向かった人たちに心境を聞いた。 福島県広野町と楢葉町にまたがるサッカー施設「Jヴィレッジ」。東京電力福島第一原発の事故後、収束作業の拠点となってきた。午前6時過ぎに訪れると、第一原発行きのバスを待つ作業員の長い列がのびる。原発へ至る国道6号は早くも渋滞気味。朝焼けに照らされ、「八戸」ナンバーのトラックや「鹿児島」ナンバーのワゴンなどが続く。 「1F(いちえふ)は北海道や九州、関西の人が多い」。作業員らが「1F」と呼ぶ第一原発で、2012年秋から働く北九州市の男性(53)は話す。地元で勤める建設会社の社長から「人手が足りんらしい。行ってくれんか」と声がかかった。 断る同僚もいる中、男性は引き受けた。高い賃金が大き