週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
「(信者の子供などの)犠牲者がいるから」医療を標榜するまやかしは絶対に批判されるべきである ー というのはよく分かる話。でもそれってどっちも好きにやってくれという以上の訴求力がないんだよな。 馬鹿馬鹿しいことを信じて命を落とすとか、そういう者に殺されるとかは交通事故のようなよくある悲劇にしか思えない。 そういうと「自分の家族が殺されてもそういえるか?」って返されることがあるけど、それをいう権利があるのは家族が殺されたことがある者だけ。そんな他人には理解できない巨大な痛みを抱えて「日常」を生きる他人に語りかける、っていうのも類型的なひとつの悲劇。そういう悲劇は心配しなくても十分共有されていて、だからこそある種の「正しさ」ってのが滑稽に思えて仕方がないということがあるような。
今回は渡部拓也さんのブログ『センス・オブ・ワンダラー』からご寄稿いただきました。 なぜ日本では楽しみとしての科学が定着しないのか 科学は楽しい。科学は面白い。これらは僕にとって自明のことです。 ですが、悲しいことに、“楽しみとしての科学”は日本では定着していません。科学は難しいものだととらえられ、一部の人たちが関わっているものと思われており、敬遠されています。 みなさんは科学が好きですか? 難しいだろうとは感じながら、面白い科学をもっと手軽に楽しみたいと思ってはいませんか? 僕は、日本には科学好きが少なくとも1000万人はいるのではないかと見込んでいます。でも、もしかしたらその大半が科学の楽しみ方を知らないのではないでしょうか。 僕は科学が大好きです。だからこそ、より多くの人に科学を楽しんでもらいたい。では、僕にはそのために何ができるのか、何をしたいのか。それを考えた結果、とりあえずブログ
外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。 最近、ホメオパシー関連の議論を見て思うことがあります。それは“歴史に学ばない人間は歴史を繰り返す”ということです。朝日新聞をはじめとする各新聞社がホメオパシーを取り上げたおかげでそんなにニセ科学になじみのない人たちにもホメオパシーというものが知られてきましたが、的外れなことを言い出す人も増えてきました。具体的には、ホメオパシーは科学じゃないから科学側から批判しなくてもいいとか、使うも使わないも自己責任(愚行権)の範疇だろとかです。前者はともかく後者はそれなりにまともっぽく見えるんですが、これを言ってくる人は大概、自己責任を問うための前提が満たされているかに無頓着だったりします。その前提というのは、情報が判断力のある大人に対しきちんと説明されているかということです。自由主義の
なんかここのところホメオパシー批判ブログみたいになってしまっている(フィギュアスケートTV観戦ブログのようにもなってるんだけど、これは今の時期は毎年のこと)。 インフルエンザ、とりわけワクチンやタミフルに対してホメオパシー業者のかたがたがネガキャンをはっているのが現状なわけで(それに加担するワールド・ブロガー協会みたいな組織もあるわけで)。こっちやこっちで書いたような、インフルエンザにホメオパシーで対処しよう、みたいな情報発信も、書いた時点よりもはるかに加速している。 状況が状況なのでともかく発信しなきゃ、みたいな意図もあったんだけど(そして書くべきこと、考えるべきことがまだまだある、とはいまでも思っているのだけれど)、自分でも多少うんざりしていなくもないし、読むひとにとってはなおさらだろう。自分で選んで好きで論じているとは云え、どんなふうに受け止められているのかなぁ、みたいな部分が気にか
代替医療のホメオパシーを進める団体が、医師免許がなくても治療はできるなどと、サイト上で新聞報道に反論している。こうした主張は、どれだけ根拠があるものなのか。 「限りなく薄めた毒飲み『治癒力高める』」 「ホメオパシー実態調査 助産師会乗り出す」 「当該記事は確かな取材に基づいて掲載したものです」 朝日新聞の2010年8月5日付朝刊の社会面トップに、こんな大きな見出しが躍った。 ホメオパシーとは、昆虫や植物、鉱物などを溶かした「毒」を水で薄めて振る行為を繰り返し、これを砂糖玉にしみ込ませて飲む民間療法を指す。記事では、この療法を巡って、山口市で起きた助産師による乳児死亡のようなトラブルが起きていると指摘。科学的な根拠ははっきりせず、日本助産師会が、ホメオパシーを使う助産師がどのくらいいるかなどの実態調査に乗り出したことを報じている。 これに対し、異論を唱えたのが、記事中にもある日本ホメオパシー
品質管理問題である 個別のニセ科学を、わざわざニセと指摘する行為は、世の中に出回る科学関連情報の品質管理をしていることに相当する。 供給側(=科学者)以外がニセ科学批判をするケースについては、消費者側が生活の知恵として粗悪品に注意という情報を共有する活動をしている、というのと同じになる。以下、供給サイドについて書いたけど、消費者側が自発的に同じ行動をとることもあるので、それも含めればよい。 例えば、きちんと火をつけられるマッチと、ろくに火がつかない粗悪品のマッチが両方市場に出回っていたら、まともな製品を作っている企業は、粗悪品が出回っていることに対して何らかの対策をとるだろう。最後まで使えるエンピツと、使っていると芯が折れやすくて大部分が無駄になるエンピツの両方が市場に出回っていたら、いい製品を作っている側が、消費者に対して注意喚起をしたりするだろう。 ニセ科学を問題にするというの
RT @kikumaco_x: それは科学的にはほとんど間違いない話だと思うんですけどね RT @NATROM: 耳なしウサギについて、たとえば、「耳が無くなった原因が放射線被ばくであるとは現状ではほぼ考えられません」という表現でもデマになるのかな? 2011-09-29 21:20:56 - 返信元ツイートを取得する @HayakawaYukio 産経の報道では「積算量は年20ミリシーベルトを超えない」場所。5月上旬に生まれたとして積算被ばく量は4mSv以下。内部被ばくがあったとしても、哺乳類に奇形を起こす量ではありません。また、奇形は確率的ではなく確定的影響とされています。 2011-09-30 00:02:43 - 返信元ツイートを取得する
科学者に過度の倫理的責任を求めるひとは、自分の人生を自分で決める権利を放棄しているに等しい。そういうひとは往々に、他人任せした選択で生じた結果責任を臆面なく他人に転嫁する。
早川由紀夫氏は、群馬大学教育学部教授であり、火山学者として有名らしい。研究室のページを見ると、教育学にも造詣が深いらしい。 早川由紀夫氏のツイッターでの発言。 ※利用規約に関連しての指摘がコメント欄に有りましたので、一時画像は撤去いたしましたが、alpinixさんがコメント欄でも問題がなさそうであることを指摘してくださり、さらに人力検索に於いて情報を集め確認をしてくださいました。http://q.hatena.ne.jp/1276133773 よって、画像を元のように再表示いたしました。有り難うございました。 氏は、「ニセ科学批判の矛先は、科学を装ったニセモノだけに向けるべき」という趣旨の発言を繰り返しており、それに対して、ニセ科学問題等にコミットされている諸氏から、反論や意見などが投げかけられ、その流れで出たモノが、上記の発言である。(と、どらねこは理解している) 定義の問題や、批判者の
【この物語はフィクションです。実際のどらねこは、取材を受けるような立派なモノではあろうはずもなく、休日にはキノコ採りか部屋の隅で体育座りをしているような存在です】 ※関連エントリ:ビタミン信仰 ■ある日の電話 た〜ららら〜らら♪ららっらっらら〜らら♪←着メロ どらねこ「はいもしもし」 ?「どらねこさんでしょうか」 ど「はい、そうですけど」 ?「モフテレビの猫島と申します、はじめまして。ウチの人気番組カイテキシャッキリ!をご存知でしょうか?」 ど「ええと、名前だけなら知ってますが」 猫島「カイテキシャッキリは食べ物で健康を維持しましょうという、食育や生活習慣病に焦点を当てた番組作りをしているのですが、今回はビタミン豊富な野菜の健康効果というのをテーマにしておりまして、どらねこさんのご意見を伺いたく、電話をさせて貰いました」 ど「なるほど、そうなんですか。因みにどんな話でしょうか?」 猫「ハイ
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