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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (12)

  • 「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ

    ある20代半ばの友人との会話。 友人「最近どう?」 僕「そうねえ,最近はまあのんびりだね」 友人「でも忙しいんでしょ?」 僕「いや,別に・・・好きでやってることだし」 友人「でもほら,やっぱ塾講師とか色々時間とられるしさ,論文書くのも大変でしょ」 僕「まあ大変だけど」 友人「そうかあ。頑張ってるんだなあ」 最近思うことだが,20代においては「忙しい」というのは褒め言葉になっている。彼らはすぐに人を忙しくしたがる。忙しいの対象は,当然仕事である。仕事において忙しい人間は偉い,立派,そんな風潮があるように思う。 まあ無理もないかもしれない。仕事をしているやつが一番偉い。我々が生きてきたここ10年間,そんな風潮を我々はひしひしと感じてきた。忙しければ忙しいほど偉い。始発で会社に向かい,終電で帰るという日々は自慢話となる。「不幸自慢」という言葉があるが,彼らにとって忙しいということは誇るべきことで

    「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 体系的な説明よりも雑多な説明のほうが理解しやすい - 諏訪耕平の研究メモ

    受かりたい大学ができたら、とにかくその入試問題を解く。英語が話したいなら、とにかくネイティブとひたすら会話する。先人達は空を飛びたいから航空力学を学んだのだし、天気を知りたいから気象を分析したのです。学校で学ぶ勉強は、偉大な先人達ががむしゃらに学んだものを帰納的に整理して、演繹的で並べたものです。 この「遅延評価勉強法」って定期的に話題になる気がしますね。それぐらい質をとらえているということかもしれません。これと直接関係あるか分からないんですが,あるとき僕は, 「体系的な説明よりも雑多な説明のほうが理解しやすい」 ということを確信して,色んな人に言って回ったことがあります。あんまり理解してもらえませんでした。体系的な説明ってのは教科書に代表されるような,整理された説明。授業とかもある程度こういうものかもしれません。プレゼンとかにおいても,事前にすごい準備されていて,当日はメモをひたすら朗

    体系的な説明よりも雑多な説明のほうが理解しやすい - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2010/04/14
    「体系的な説明よりも雑多な説明のほうが理解しやすい」
  • 後輩に希望を語れているか - 諏訪耕平の研究メモ

    113 名前: ハンドニブラ(長屋)[] 投稿日:2010/04/04(日) 12:44:45.38 社会人二年生なんだけど、親戚で集まるたびにいっつも中学生や高校生の子に言うんだわ。お決まりのフレーズ 「社会に出たら厳しいんだぞ」「社会じゃ嫌なことたくさんあるんだ」。「たまに志にたくなることもあるぞ。絶対厳しい目に会う。100%辛い目に会うんだ」と。 うん毎回言うね。社会人の俺としては「別にそこまで大変なわけじゃ、、、」状態。親戚の人たちにも当然社会人はいるわけで、俺と同じ様子で視線を送ってた。言われる子達もリアクションの取り方に困ってんのが一目瞭然なんだわ。 であんまり度が過ぎるんで、ある時うちの親父がキレちまったわけだ。そんな事言い聞かせて脅してどうするんだ、大概にしろ、とこういうわけだ。それに同意した親戚の何人かが熱くなってる親父を落ち着かせながらもやはり同様のことを諭すように言い

    後輩に希望を語れているか - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2010/04/05
    後輩に対して脅すだけじゃなくて,希望を語ってやる。そういう意識が少し低いかもしれません。それは/自分も不安だからなのでしょう。/後輩に希望を語ってやる。/先輩の一つの役目なんじゃないかと。
  • 社会は厳しい - 諏訪耕平の研究メモ

  • 研究に主観を持ち込むべきか否か - 諏訪耕平の研究メモ

    新聞の仕事は、今後の政治の見通しを読者に理解させること。そのためには、自らの立場を明らかにしなければならない。客観性を口実にどっちつかずの態度を取ることは許されない。 これは激しく同意。結局,量的研究と質的研究の議論も,この「客観性を口実にどっちつかずの態度を取ることは許されない」かどうかが焦点であるように思います。まあ,マスコミと研究を一緒にすんなって言われるんでしょうけど。そんぐらい分かった上で書いてんですよ! で,「客観性を口実にどっちつかずの態度をとる」ことの弊害がこちら。 1)つねに主観を封じるクセがつき、個性が発揮できず、育たない 2)自分で考えなくなり、ファクトや他者の意見を伝えるだけの役割になりやすい 3)実際は完全に客観的にはなりえないのに、客観性を装ってしまう 1は研究者においてはあんまあてはまらないかな。概ね個性的ではある。してみると,客観主義と個性は両立しうるのか。

    研究に主観を持ち込むべきか否か - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2009/10/13
    「正義は勝つって?当たり前だ。勝者こそ正義だ」と。今ある研究の伝統も,普遍の価値を持ってるわけじゃなくて,勝ったから伝統なんです。
  • 社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ

    大変遅くなりました。概ねご意見には同意です。ただちょっと以下の箇所の理解に苦しんだので、少し言及させていただこうかと思います。 <対象の一部を捨象することで対象について分かった気になるというのは、物理学などに特徴的な発想ですが、女性で物理学科に進む人はとても少ない。対象の一部を捨象する、というものの見方が苦痛なくできるためには、「何々は見ないことにする」みたいな芸当が苦労なくできることが必要です。こういう芸当は、最初から全体が見えていて、全体は全体でしかない、と思っている人には苦痛に感じられます。>以前「女教師ブログ」の方がこんな議論をされていました。 「テーマを絞りなさい」という指導は論文をつまらなくする: http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080413/1208019562 ここで重要なのは多分「関心」ですよね。その学生の関心がどこにあるのか、それを見定

    社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「社会を良くしたい」―その「社会」って具体的に誰のことですか? - 諏訪耕平の研究メモ

    http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/11/post_1385.html 多くの人が使う「社会」とはその人自身のことで,嫌いな人のためにもなるような仕事ができるかどうかが「社会貢献」の分かれ目なんでしょうね。いじめの研究で知られる内藤朝雄さんが,「社会に出たらそんなことでは通用しないぞ」と自分を厳しく叱る父を指して,「その父は社会という言葉を隠れ蓑に自分の欲望を押し付けていた」と解釈しておられました。この言葉を読んだときは目からうろこが落ちましたね。まったくその通りだと思います。ほとんどの場合,「社会に出たら通用しないぞ」と言っている人の言葉を「俺には通用しないぞ」と置き換えても論旨は成立するんですよね。

    「社会を良くしたい」―その「社会」って具体的に誰のことですか? - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2008/12/03
    いじめの研究で知られる内藤朝雄さんが,「社会に出たらそんなことでは通用しないぞ」と自分を厳しく叱る父を指して,「その父は社会という言葉を隠れ蓑に自分の欲望を押し付けていた」と解釈しておられました。
  • 院で何をしてきたのか,何が出来るようになったのかということを企業に理解してもらう力 - 諏訪耕平の研究メモ

    そういえば昔,大手企業に就職して4年目ぐらい,人事も担当したことがあるらしい友人に院生を中途採用できない理由として,「新卒でずっとうちの会社で働いているやつと院に行ってたやつとでは明らかに新卒のほうが使えるから」と言われて,それはそうかもなと思ったんだった。経験は大きい。正直,現在の大学院での2年間が,企業での2年間に太刀打ちできるかと言われると厳しいと思う。やってるのは別のことだからと言えばそうなんだが,そうすると今度は別のことをやってていいのかという問題が出てくる。それと,じゃあ同じことをやろうとしたら,そういうプログラムが組めるのかと言われると組めないと思う。結局,院で何が出来るようになったのかということを分かりやすくアピールする力が必要なんだろう。あるいは,院で何が出来たのか。このどちらかはアピールできないときつい。ただ自分の周りを見ていても,どういう能力は意外に重視されていないよ

    院で何をしてきたのか,何が出来るようになったのかということを企業に理解してもらう力 - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2008/11/01
    結局,院で何が出来るようになったのかということを分かりやすくアピールする力が必要なんだろう。
  • 「何を言っても大丈夫」な相手など存在しない - 諏訪耕平の研究メモ

    テレビを見ていたら,たまたま爆笑問題の日教養(だったと思う)という番組をやっていた。爆笑問題の2人が大学教授の研究室を訪れて話をするという番組。昨日は政治学者の姜尚中さん。途中から見たので内容に言及することはできないが,太田さんが喋っていた内容が妙に心に残ったので紹介したい。 「親友だと思って言いたいことを言ってきたやつがいる。そいつはいつも気にしないそぶりで聞いていたけど,いつの間にか俺の側から離れていった。」 高校の頃,親友ってなんだろう?という話になると,「言いたいことを言えるやつ」という意見を持ち出す人間が少なからずいた。そしてその意見に周囲も首肯していたように思う。その後,僕はこの定義はおかしいと思うような出来事に自分自身が遭遇した。親友だと思っていたある人物から放たれた言葉は,僕の30年近い人生のうちで,不愉快な出来事ベスト3に入っている。 まあそのぐらい切り込んできてこそ

    「何を言っても大丈夫」な相手など存在しない - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2008/10/02
    「こいつには何を言っても大丈夫」そんな風に考え始めたら,それは亀裂への第一歩なのだろうと思う。
  • お前は俺か(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ

    大学院を中退しました。 学生の将来を左右する権利のある人は,同時に何かしら義務も負って欲しいものだとか思いました。これも「甘え」なんですかね。甘えってのも研究対象として面白い概念かもしれません。最近の若者は自己責任論に陥りやすいそうです。他人に対してではなくて,自分自身がね。 追記:考えてみれば,「教育」という概念が持つ結構重要な問題点かもしれませんね。近年,「家庭の教育力の低下」などといった議論が行われていて,「親育」とかいう言葉が出てきたりしてますが,「なんで家庭が学校に合わせないといけないんだ」という議論はあってもいいかも。最終的にその子どもに責任を持つのは家庭ですからね。

    お前は俺か(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ
    yam1226
    yam1226 2008/09/29
    最近の若者は自己責任論に陥りやすいそうです。他人に対してではなくて,自分自身がね。
  • つまらない論文を書く方法 - 諏訪耕平の研究メモ

    http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080427/1209235630 この人すごいわー。方法から入るというのを構造構成主義では方法論の自己目的化と呼んでますね。そう呼ぶ必要があるぐらい,そういう論文は多い。問題は,そういう論文のほうが査読に通りやすいということ。この方はエントリーの最後で否定してますけど,なんのためにそんな研究をする必要があるのかはよく分からないけど,方法論はすごいという論文は心理学では結構あると思う。アメリカの学会誌とかは方法のところですごい突っ込んでくるので(N=1000でも足らないとか言われる),方法の吟味から入らざるをえないという現実もあるのかも。目的を軸に議論したいもんですね。

    つまらない論文を書く方法 - 諏訪耕平の研究メモ
  • ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は

    ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ
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