最近、佐々木敦さんの本をいろいろと再読している。 どれも最初読んだ時は分かりきったことを改めて整理しているだけじゃないか、と思ったりして、 でもそれはその時の私が自分の「分かるところ」だけしか読んでいなかったからで むかし読んだはずなのに、いま読むととても重要な箇所を読んだ覚えがなくてびっくりする。 私が一年かけて毎週の休みに外へ出かけて録音し続けてぼんやりつかんだことが すでに書かれていてびっくりもしたし、言葉による思考だけで 実感を伴いつつここに辿り着けること自体がそもそもびっくりである。 「(H)EAR-ポストサイレンスの諸相-」「「サウンド=アート」の境界設定」でのジョン・ヒューダックに関するくだり 「音」が「私」に「世界」を発見させるとともに、「私」を「世界」へと繋ぎ止める。 「音楽=芸術」が起動するのは、その後でも構わない。 「世界」は今も、振動している。 今日は三宮の皓祥館書