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ずれとおはなし→→→に関するyomayomaのブックマーク (62)

  • ■ - http://d.hatena.ne.jp/k11/

    最近、佐々木敦さんのをいろいろと再読している。 どれも最初読んだ時は分かりきったことを改めて整理しているだけじゃないか、と思ったりして、 でもそれはその時の私が自分の「分かるところ」だけしか読んでいなかったからで むかし読んだはずなのに、いま読むととても重要な箇所を読んだ覚えがなくてびっくりする。 私が一年かけて毎週の休みに外へ出かけて録音し続けてぼんやりつかんだことが すでに書かれていてびっくりもしたし、言葉による思考だけで 実感を伴いつつここに辿り着けること自体がそもそもびっくりである。 「(H)EAR-ポストサイレンスの諸相-」「「サウンド=アート」の境界設定」でのジョン・ヒューダックに関するくだり 「音」が「私」に「世界」を発見させるとともに、「私」を「世界」へと繋ぎ止める。 「音楽=芸術」が起動するのは、その後でも構わない。 「世界」は今も、振動している。 今日は三宮の皓祥館書

    ■ - http://d.hatena.ne.jp/k11/
    yomayoma
    yomayoma 2007/09/08
    「物事の変化の堆積」。ポイントは違うけど、時間が空間を生むって直観のインスピレーションを頂きました。
  • まあ、続きというか - finalventの日記

    どんなに悲しいことでも、今悲しいのでなければ(という言い方が曖昧だけど)、悲しかったのは過去だ。死別も、傷つけられたことも過去。 そして、たいていは、悲しいというのは、過去を悲しむ、というか、記憶を悲しんでいる。もっと正確に言えば、不在を悲しむ。悲しみの対象は、無だ。 しかし、実際の悲しむというのは感情のエネルギーだし、むしろ身体的を巻き込む情念に近いものだが、過去=不在を悲しんでいるとき、実は、こっそりと思考はトラップを嵌めているから悲しみが知覚される。 思考は、過去をこっそり修正しようとして、それができなくて、感情を巻き込んで、悲しませている。 それは過去なのだ、不在なのだ、どうやっても取り戻すことはできないのだと、いくら思考的に理解しても、たぶん、思考はそれでもこっそり過去を修復しようとする。未来において、達せられなかった、傷つけられた過去を、修復しようとする。 (愛されたかった、と

    まあ、続きというか - finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2007/04/28
    「こころ」。心(意識)自体がそもそも病気で、進化の袋小路で、というと大雑把か