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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (11)

  • 新入社員か - finalventの日記

    今日から社会に出るという人も多いのだろう。何が大切かみたいな話を年配者としてはついしたがるものだが、そうした年配者は自身の幸運を正当化しているに過ぎない。 大半の人は社会というサバイバルゲームに落ちこぼれるし、その落ちこぼれぐあいのなかで身の程の幸せの枠を引く。 そのうち、死の桃源郷が見るうちになんのために仕事をしてきたのかなという反省の部分に家族とか仲間を思う。まあ、そのくらいなものだ。結果からすれば、その上手な落ちこぼれの知恵を身につけるべきかとは思うが、それを言ってもね。 というわけで、無粋の頭をひねるに、社会人に大切なことは「ケツを割らない気心」だと思う。これは微妙なんで、「わたしは絶対に責任を取る」ということとは違う。そういうヒロイズムでどうとなるものじゃないし、船が沈みかけきたら二番手くらいに逃げるほうがいい。そうではなく、「わたしがケツを割らなければできる部分の限界を意識しそ

    新入社員か - finalventの日記
  • 大人毛ない話 - finalventの日記

    まいどの話。爺とか言われて、まあ外見もここでの文章もそうというか人がどう考えるのかはご勝手に以上はないが、実際に老いていく自分ものに閉じ込められている自分の少年みたいな意識はそれはそれで閉塞的な苦しさはある。 50歳の男にもなれば40歳女でも若いし、そう見えないこともないのだが、反面、20代の女ですら、どこかしら年上に見える心性もいまだにある。そして、どうもこれは一生克服することはなかったなというのは、女への怯えというものだ。恐怖と言ってもいいかもしれないが、微妙なものがある。 吉行淳之介はあれで生涯女が怖かった。これは「「 春夏秋冬 女は怖い―なんにもわるいことしないのに (光文社文庫)」」と洒落のめしている背景にあるもので、おそらく生物的な心性に支えられた女というもの、生物的な関与への恐怖のようなものだっただろう。講演をしていると彼はモテる男でもあり女がぞろっと集まるのだが、みんな自分

    yomayoma
    yomayoma 2009/06/28
    性の疎外/動物でも人間でもない「性」自体が鬱陶しい時がある
  • とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事- finalventの日記

    良い人である。誠実である。人間としてのバランスが変(大きな欠点がある)。 いわゆる神レベルの人にはこのような共通性があると感じる。 inspired by とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事 - ひげぽん OSとか作っちゃうかMona- 追記みたいに言うと。 「とびっきり優秀な人」って、この人、この世にいなくてもいいんじゃないのっていう、なんか不思議な空白感がある。 美男美女にも、この空白感は感じる。 世界にとって、まるで枯山水の岩みたいに、こういう人はあったほうがいいんだろうし、もしかすると世界というのはそいう人がないとやってないのかもしれないけど。 この人たちは、「自分」というものを獲得できないというか、あるいはその欠損の代償として優秀であったり、美人であったりするんじゃないだろうか。 なにも、卑屈なルサンチマンで自己意識を持てというのじゃなくて、この世界の奥深いなにか意味

    とびっきり優秀な人に共通していると肌で感じる事- finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2008/10/21
    綺麗だな
  • ネットで学んだ上手くやらないために大切なこと - finalventの日記

    できるだけ広く語る、特定グループ向けに語らない 嘘とか工作とかしない、基的に正直路線にする(嘘というのはお仕事くらいきつい) バッシングが来たら型どおりの対処と型を崩す対処の2面を考える ネットで自分が支持されるという甘えをもたない(いつまでも孤独が原点) この人は信頼できるという人の評価をころころ変えない 悪に触れない、悪には勝てないと割り切る 特定の信念・信仰・イデオロギーを持った人を避ける(対話にならない) 前に進む、注目されようが無視されようが前に進む 馬鹿は流すさらさらと水ように(自分だって愚かだしな)

    ネットで学んだ上手くやらないために大切なこと - finalventの日記
  • ネットで友だちになりたい? - finalventの日記

    ネットでこの人と友だちになりたい、という発想は持ったことがない。っていうか、長いネット生活だが。 っていうか、自然になる。 で、ここが微妙なんだけど、リアル世界の友人というのは違う友だちというか、友愛というか。 経験的に言うと、男の場合、子供の頃の友だち、青年期の友だち、社会に出てしばらく後の友だちという三層があるかと思う。で、それはそれなりのライフサイクルの必然性や社会の機運みたいのがある。 ネットの場合は、そういうのと違う、け・ど、30代前半くらいまでは、リアル世界と混乱するというかしかたない。 ただ、原則的というのは、「友だちになりたい」というより、硬い言い方だけど、「友愛」を感じるということだと思う。 で、そういうのは普通の展開でいいのだと思う。 ネットというウィンドウ(窓)があればつながっている。それでも消えていく。ある時期親近感を持つ・持たれる、あるいは憎悪を向けられる・忘れさ

    ネットで友だちになりたい? - finalventの日記
  • 先日のTwitter発言のまとめみたいな - finalventの日記

    思考は関数で、「私」はその返却値ではないか。 別の言い方をすれば思考というメカニズムが「私」を機械的に生み出している。思考が止まれば、「私」はいない。 ただし、そういう比喩で語るとき、それでも「私」のコアのようなものはありそうだし、現在知覚の所持者として「私」が存在しそうに思える。ここがたぶんこの難問の急所だろう。 世界を知覚している主体としての「私」はありそうに思える。だが、それは常に疎外、客体化、遅延、物語化を介している。デリダ的な差延がありそうだ。というより、差延は、そうした現在知覚の「私」を、デカルトのゴギトのように原初的なもの(アルケー)として措定している。 でも、その措定とは、原初的なものを求めるための、詐術にすぎないだろう。 実質的な意味での「私」とは、「私語り」という記憶の権限として、語られるうるものとして現れる。 記憶とは「私語り」である。そして語られる出来事は、「私」に

    先日のTwitter発言のまとめみたいな - finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2007/11/14
    「私」の発明。制度的な「死」。「『私』の『死』」
  • まあ、続きというか - finalventの日記

    どんなに悲しいことでも、今悲しいのでなければ(という言い方が曖昧だけど)、悲しかったのは過去だ。死別も、傷つけられたことも過去。 そして、たいていは、悲しいというのは、過去を悲しむ、というか、記憶を悲しんでいる。もっと正確に言えば、不在を悲しむ。悲しみの対象は、無だ。 しかし、実際の悲しむというのは感情のエネルギーだし、むしろ身体的を巻き込む情念に近いものだが、過去=不在を悲しんでいるとき、実は、こっそりと思考はトラップを嵌めているから悲しみが知覚される。 思考は、過去をこっそり修正しようとして、それができなくて、感情を巻き込んで、悲しませている。 それは過去なのだ、不在なのだ、どうやっても取り戻すことはできないのだと、いくら思考的に理解しても、たぶん、思考はそれでもこっそり過去を修復しようとする。未来において、達せられなかった、傷つけられた過去を、修復しようとする。 (愛されたかった、と

    まあ、続きというか - finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2007/04/28
    「こころ」。心(意識)自体がそもそも病気で、進化の袋小路で、というと大雑把か
  • 34歳の踏ん切り - finalventの日記

    まいどこんなことばかり書いているのでなんだが、ちとあるエントリを1つ2つ、それといただいたコメントを読みつつ、思った。34歳の踏ん切り。 34歳というのは自分の思い入れなんで特に説得力はないだろう。ついでにいうと、人がかろうじて自立というか自分たりえるのは27歳。もちろん、男女差や人によって違うのは当然として。 いわゆる「失われた世代」については、率直に言ってよくわからない面がある。この15年くらい日の景気が普通に順調ならきちんと雇用され家庭ももてただろう人は、数として推定すれば少なからずだろう。そして、日の経済の舵取りは間違っていたと言っていいのだろう。まあ、それはそうだろう。 ただ、済んだことは済んだことだ、ということと、人は自身の立場に立つと数として生きるわけではなく自分で生きるしかない。運命というか不運というものはある。他人の幸運がうらやましくも思うし、なぜ私が不運と社会に怨嗟

    34歳の踏ん切り - finalventの日記
  • まあ確かに - finalventの日記

    増田⇒■ それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の病と診断された。 そんな私の現時点での考え。 不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。 努力しても、変えられないものが、ある。 まったくそのとおり。 ただ、早世されたお父さんはあなたが幸せになってほしいと願っていたと思う。あるいは比喩的に言えば願っていると思う。 それに応えてみようとしてもいいかもしれない、と少し思う。 思い出。若い頃に、年上のきつい友人によく言われた、「お前はお前さんという人間を救ってごらん」、と。自己を自己で救済することはブートストラップ的な不可能なアポリアだろう、まあ、そこまでは少しものを考えればわかる。 そして、絶望というのは、少しものを考える人間なら、パチンコの玉が下の

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  • 頭がよくて何が悪い……そりゃ性格が悪い - finalventの日記

    かどうかはさておき。 ⇒頭がよくて何が悪い でも、社会に出て仕事するようになってから気づいたよ。そんな謙遜なんてクソの役にも立たない。学歴に意味なんかない。仕事はできるか、できないかの二択しかない。頭のよさを隠して目立たないようにする処世術なんて足枷以外の何物でもないんだよ。それに思い当たったときは愕然としたね。 そういう場にいられることはよかったことだと思うよ。 ただ、なんというか、頭のよい人には2種類あって、天然系、自覚系。天然系はもう仙人みたいもの。ただ、人は意外な孤独とか持っていることがある。自覚系はちょっとつらい。 あと、頭がよいというのはかなりの場合、それでバランスされている何かがあるので、そのあたりは人生が深まるとなんだかなというのはある。 話がずるずるとずっこけるけど、沖縄で知ったある市井のおばさん。ハーフ。話しているとずばぬけて頭がよい。このおばさんどっかの大企業の社長

    頭がよくて何が悪い……そりゃ性格が悪い - finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2007/02/25
    「頭のよさ」
  • 衆愚とは思わないのだけど - finalventの日記

    というか、衆愚というモデルがどのように設定されるか、私はその方法が思いつかない。一般的には、「俺様は賢者よってこの多数は衆愚」、のようだが「俺様」が賢者であることを示す方法論が求められる。なので、学問的な云々が賢者の保証のように出てくるのだが、たいていのこの構図の問題は、学問が分からないのか馬鹿、ではなく、コミュニケーション的な合意の問題だ。(つまり、「俺様」の問題ではなく学問の合意性の問題。しかし、現実には「俺様」が突出する。) というか、衆愚的なものがコミュニケーションの合意のように見えるという状況が変な印象を与えるのだろう。 とすれば、理路としては。 地味にコミュニケーションを重ねるしかないとなるのだが。 まあ、たいていは無駄ということになる。 その意味では、ブログとかはマジで熱死的なものなのだろう。 現実問題としては、というか、いちブロガーとして、私が印象としても思うのは、衆愚とか

    衆愚とは思わないのだけど - finalventの日記
    yomayoma
    yomayoma 2007/02/18
    「個」
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