なっちのはなまるカフェの感想は、今週末のぼくのねとらじ「ラジオエレン」でおしゃべりする予定です。 きのう聴いてくださったかた、ありがとうございます。開始時にトラブルがあって15分遅れでのスタートでした。申し訳ありませんでした。それで、放送終了後の深夜23時にひとり反省会として内容を聴き直していたのですが、押井さんもねとらじをやってることを知りスカイプで乱入し、終始おかしなテンションでしゃべり倒しさんざんひっかきまわしてしまい、気がついたら朝の5時でした。よほどうるさかったらしく大家さん経由でとなりの住人から苦情を頂いてしまいました。深く反省しています。 ところで、今さっきギャオで岡田斗司夫の生番組を見てたんですが、ぼくがすごく納得することをしゃべっていた。 それはだいたいこんな感じ。いわゆるポップ歌手のコンサートってのは、見てるぼくらよりも明らかに演者のほうが楽しんでいる。自分はサイモンと
はたしてまとまっているのか... (以下本文) 最近、はてなハイク界隈では「おにゃのこ」という言葉をめぐって論争のようなものが起きています。ことの発端は、女の子にTwitterを流行らせよう企画 - おもヤロ!というエントリーでした。ここに書かれた内容よりも、女の子を「おにゃのこ」と呼称してしまったことに、一部のはてなユーザーが反応したようなのです。(以下、はてなブックマーク - 女の子にTwitterを流行らせよう企画 - おもヤロ!より抜粋) あんまりがっつきすぎるのは逆効果のような気が。今も女性ユーザー結構多いしオフでも見かけるよ?「おにゃのこ」とか特別に騒ぐから参加しづらくなるってのはあると思う。 id:riko 私スイーツですし出会いの恩恵はたくさんありますけど、「おにゃのこ」で激しく鳥肌立つ… id:moet-bois とりあえず、あたしが¨おにゃのこ¨にカウントされないのはよ
ヲタクは気持ち悪いのか。二〇〇四年の萌えブーム以降、テレビのバラエティ番組などで萌えやヲタクがとりあげられることが多くなったのだが、そこでは、ヲタクとは気持ち悪いひとたちであると、都合よくサンプリングされてしまっている。例えばそれは、だいたい以下のような内容である。 ヲタクの街としてクローズアップされている秋葉原を取材し、歩いているヲタクにインタビューを行う。ヲタク特有の「イケてない」身なりや、要領を得ない話しぶり。鞄の中身は美少女グッズだらけ。スタジオでは出演者たちが取材VTRを見ながら、いかにヲタクが珍妙で恥ずかしい連中であるかを好き勝手に論ずる。萌えの代表としてメイド喫茶の従業員「メイドさん」がゲスト参加。ある男性芸能人がメイドさんに向かって「萌え〜!」などと叫び、ほかの出演者がそれを見て「なんだこれは?」と苦笑する。 そのような番組を見て、ヲタク以外の視聴者であれば、特に疑問を感じ
今日のエントリーの完全版は、学会ブログのほうに掲載しました http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20070816
1位 Memory 青春の光 Memory 青春の光 アーティスト: モーニング娘。,つんく,前嶋康明,小西貴雄 出版社/メーカー: ZETIMA 発売日: 2005/03/02 メディア: CD クリック: 27回 この商品を含むブログ (22件) を見る 80年代のエピックソニーのような洋楽路線であった初期のモーニング娘。の楽曲のなかでも、この「メモ青」は、詞曲アレンジともに最高傑作なのだと感じる。 安倍なつみは、エアモニ。というラジオ番組にて、娘。の楽曲「Do it!Now」をメモ青やふるさとのような「しっとりした曲だ」と語った。「しっとり」という言葉は思い浮かばなかったし、メモ青とふるさとを同系で語れるキーワードがあるとは思わなかった。彼女にしか語れないモーニング娘。があるのだろう。彼女は、娘。の主演者(ヘッドライナー)だったのだから。 娘。のプロデューサーであるつんくは、安倍がソ
ぼくが、モーヲタというよりも「おたくとして」日頃から鬱屈してしまっているのは「ファンとしてあるべく」態度をどうしてもとれない、ファンのような感じ方がどうしてもできないからだ。 今回の藤本の件でぼくは「彼女のキャラに合っているから問題なし」とした。彼女のキャラクターとはぼくのなかでかなり特殊な位置にある。正直、今回の件よりも娘。加入のときのほうが衝撃がデカかった。 ぼくは基本的にベリキューや娘。は全員処女だと思ってTVや写真の彼女らを見ている。実際にどうであるかはさして問題ではない。それがコンテンツビジネスなのだ、ワンダなのだと確信しているからだ。ぼくは、そのような態度を「おたく的」と定義するし、娘。=アニメとは、そのような意味でもある。 だから「モーニング娘。の藤本美貴」のことも処女だと思って見続けていた。今回の件は、ぼくにとっては報道されてしまったことへの失望でしかない。ただし、藤本なら
「つんく効果」という言葉があって、ギョッとした覚えがある。つんくプロデュースであれば、一見つまらなくとも最後にはつんく効果による霊験あらたかな力が発揮されて楽曲が面白くまとまるだろうという意味らしい。 このBerryz工房についての批判の代表的な文章は、彼女たちの音楽活動が始まって日ならずして、僕に届いた手紙の内容に尽きる。つまり、「つんく作品を期待して見ていたのに、Berryz工房はなんだ! CDを若い連中の教育に利用している!それは作品作りではない。音楽に対しての冒涜だ!あなたは創作者の立場を放棄したのか!」 が、Berryz工房がデビューして思うことは、時には、楽曲制作を若い人の教育機関として利用させていただいても良いのではないか?という感触であり、それは、今でも変わっていない考えである。この僕の思い切りが、Berryz工房の不幸と、ハッピーさを生んだ。そのハッピーさの部分に、Ber
現時点で予定している今後の展開を記しておきます。入院中に大分アイデアがたまったからね。 第2章 萌えの輪郭 なぜ萌えを語るのにモー娘なのか - activeエレン 「モー娘=アニメ」という仮説がどのような意味を持つのかについて - activeエレン モー娘の歴史と構成 - activeエレン 虚構主義 はじめに - activeエレン 虚構主義 モーオタとアイドルオタクとの違い - activeエレン モーニング娘。はポストモダン - activeエレン 物語 物語 1 - activeエレン 物語 2 永遠のアイドルとは? - activeエレン 物語 3 モー娘本位 - activeエレン 物語 4 アサヤンの物語 - activeエレン 物語 5 黎明期 - activeエレン 物語 6 黄金期 - activeエレン 物語の終わり 物語の終わり 1 中澤卒業 物語の終わり 2 ハ
こんこんのファンが虚構重視だというのは、例えば高橋のファンの態度が非常に実態重視であることを見れはよく理解できる。高橋愛という女性を好きになってしまうのは、なんだろうな、すごーく無駄なことに時間を費やしてるように感じるんだ。こんなこと言ってはなんだけど、愛ちゃんの言葉からは深い愛を感じるんだ。ぼくに言わせれば彼女は愛に生きる女性なんだよ。だからさあ、まかり間違って彼女を好きになってしまう危険性が高いわけだ。そのような態度ってゆうのは、ぼくが考える「虚構重視」とは真逆なんだよね。正直、重苦しい。だってさあ、ぼくは絶対に愛ちゃんとは付き合えないんだぜ。それなのに愛ちゃんを本気で愛する?そんなの馬鹿げてるよ。ぼくはねえ、無駄なことはしない主義なんだよ。だから、萌えなんだよ。わっかるかなあ…わっかんねえだろうなあ。
ヲタ芸とカラオケコン。ある時期から、モー娘のコンサートは「カラオケコン」となった、と一部のモーヲタは言う。 ここで言う「カラオケコン」とは、モー娘のコンサートで彼女たちがモー娘以外の楽曲を歌う比率が高まってきた、そのような内容のコンサートを指す。ここでの「モー娘以外の楽曲」とは、モー娘以外のハロー!プロジェクト(ハロプロ)の楽曲であり、いずれもモー娘同様つんくプロデュースのものであり、モーヲタ以外の者には同じようにしか聞こえない似たような楽曲である。ではなぜ、モーヲタはその点について批判的となるのだろうか。 それには、ハロプロ全体の楽曲のクオリティが低下してきたと感じるところに理由がある。「ふるさと」までの楽曲は「シャ乱Qの裏返し」的な作り込まれかたをしてきたのに対し、それ以降の楽曲は、良く言えばわかりやすい、悪く言えば平坦なものへと変容していった。それは例えば、通信カラオケで配信されやす
もう絶対書かない!と決めたはずなんですが。 ヲタのほとんどが事務所批判。まあしょうがないとは思うんです。その理由は「クビにしたんじゃないの?」「ストーカーに屈するというのはいかがなものか?」「しかもきのう辞めてた」「つまり卒業コンなし」みたいなもので、まあ至極まっとうなものだと、は、思います。 そこを前提にして、まあね、ぼくは、「ハロプロではよくあること」以外の感想を持ちません。もちろん歓迎はしません。悲しむべき事柄ですよ。だけど、ぼくは一切の事務所批判は行わない。これは、どこから来るのだろうか。 ぼくが冷たい人間だから、ってのがまずある。基本的に熱くなれない。 生身の、しかも年頃の女性を扱っていれば、こういうことは有り得る。だから、庵野秀明のいう「軍艦の運用」論になぞらえば、今回の決断だって、不本意だがそれしか方法がない、そうとしか考えられない。 確かにハロプロの規模、人数は拡大したが、
モーヲタにとってモー娘のCDとは、自身がモー娘のコンサートにて盛り上がるために事前に「インストール」しておくアプリケーションソフトである、といった考え方だ。 モーヲタがCDを聴き込む態度とは、例えばヘッドホンをかけ眉間にしわを寄せて「鑑賞」する、というものでは、ない。もちろん、そういった聴き方にも耐えられるように「作り込まれて」はいるし、モーヲタには、モー娘の楽曲のクオリティがある水準を絶対に下回らないという安心感がある。モー娘以外のアイドルがリリースする楽曲に比べても、そのクオリティは確かに高い。プロデューサーのつんくだけでなく、アップフロントという会社全体が、楽曲のクオリティを低下させないのだ。例えば、重役クラスの人物が直接、編曲家に方向性の指示を出すなど。 ところが、ある時期から、モーヲタのなかから特定の編曲家への(罵倒とも取れる)非難が集中し出した。理由は「安っぽい」からだ。そのこ
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