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philosopherに関するyu76のブックマーク (12)

  • ピーター・シンガー - Wikipedia

    「利益に対する平等な配慮」(Equal consideration of interests)、溺れかかっている子どもの類推(Drowning child analogy) ピーター・シンガー(Peter Singer, 1946年7月6日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の哲学者、倫理学者。モナシュ大学教授を経て、現在、プリンストン大学教授。専門は応用倫理学。功利主義の立場から、倫理の問題を探究している。著書『動物の解放』は、動物の権利や菜主義の思想的根拠として、広く活用されている。『ザ・ニューヨーカー』誌によって「最も影響力のある現代の哲学者」と呼ばれ、2005年に『タイム』誌では「世界の最も影響力のある100人」の一人に選ばれた。メルボルン大学出身で、そこで法学、史学、哲学を学んだ。 両親は第二次世界大戦の前にウィーンから移住したユダヤ人で母は医者、父は茶、コーヒーの輸入業

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  • 宮崎哲弥 - Wikipedia

    宮崎 哲弥(みやざき てつや、1962年10月10日 - )は、日政治哲学・宗教思想・時評ほか評論家およびコメンテーター。研究開発コンサルティング会社「アルターブレイン」副代表。 中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授を経て、2018年4月より相愛大学客員教授[1]。コミュニタリアン、仏教徒。福岡県久留米市出身。結婚に際しての姓に変えたため姓は宮崎ではない[2]。 略歴[編集] 中学卒業後しばらく社会人生活を送り1年遅れで久留米工業大学付属高等学校[3] を経て、早稲田大学教育学部に進学するも、過度の飲酒で体調を崩し中退。その後、慶應義塾大学文学部社会学科に入学。同学部卒業後、さらに同大学法学部法律学科に学士入学するも中退。 少年期から思春期の素行について「不登校に陥ったときには、まるで咎人のように疎んじられ、『一家の恥』とまで罵られてすっかり自暴自棄になってしまいました」と語っ

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  • ハンナ・アーレント再び注目 「考えないことの罪」説く:朝日新聞デジタル

    政治哲学者ハンナ・アーレントがいま、見直されている。昨秋公開された彼女の生き様を描いた映画を契機に、著作や関連が売れている。「考えないことの罪」を説いたドイツ系ユダヤ人。何が魅力なのか。 東京・飯田橋のギンレイホール。6月の平日昼、大粒の雨が降りしきるなか映画「ハンナ・アーレント」のチケットを買う人が長い列をなしていた。3回の上映とも定員202席はほぼ満員で、土日は立ち見が出る人気。昨年公開した岩波ホール(神田)では、パンフレットが7週間で約5千冊と「ここ10年で一番売れた」という。 3回見たという東京都小金井市の主婦(64)は「どんな状況におかれても考え続ける彼女の姿勢に圧倒された。日々の日常で忘れてしまったけど、学生運動時代から心のどこかに抱いていた、自分で考え、思いを伝える大切さを思い出す」と話す。 アーレント(1906~75)は、第2次世界大戦中、ナチスの強制収容所から脱出し米国

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    yu76
    yu76 2014/07/11
    傍聴席から見るアイヒマンは極悪人ではなく「凡庸な人間だった」。命令を実行しただけ、と繰り返す彼の姿に、考えを止めた人間こそが巨悪をなすのだ…と確信した、ハンナ・アーレント
  • 加藤典洋 - Wikipedia

    加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日[1])は、日の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。 講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治歴史認識と広く戦後日の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 来歴・人物[編集] 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた[2]。 現代文学・思想史・政治歴史認識と幅広く発言。2019年5月16日に肺炎のため

  • ハンナ・アーレント - Wikipedia

    工作人、労働する動物、「労働」と「仕事」の区別、悪の陳腐さ、「活動的生活」と「観照的生活」の区別、権威(auctoritas)、出生(natality) ハンナ・アーレント(アレントとも[1]、Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家である。ドイツ系ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツからアメリカ合衆国に亡命し、教鞭をとった。 代表作『全体主義の起源』(1951年)などにおいて、ナチズムとソ連のボリシェヴィズム・スターリニズムなどの全体主義を分析したことで知られる[2][3][4]。 生涯[編集] 幼年時代[編集] ドイツ、ケーニヒスベルクの旧い家柄である、ドイツ系ユダヤ人のアーレント家に生まれる。出生地はハノーファー郊外のリンデン(Linden)。父は工学士の学位を持ち、電気工事会社勤務のパウル・

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  • 映画「ハンナ・アーレント」オフィシャルサイト

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  • バートランド・ラッセル - Wikipedia

    第3代ラッセル伯爵バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家である。 貴族のラッセル伯爵家の当主であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。 生涯[編集] 1872年 - 5月18日に生まれる。貴族によくみられるように正規の初等・中等教育を受けずに、1890年、ケンブリッジのトリニティ・カ

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  • 萱野稔人「人の目なんて気にするな」 | web R25

    「人の目を気にせず、どんどん挑戦しろ!」 津田塾大学准教授・哲学博士 萱野稔人 今、論壇で注目を集める若手哲学者だ。94年に早稲田大学を卒業後、パリ第10大学で哲学を学び、帰国。東大の研究機関を経て現在は津田塾大学の准教授と、いかにも華麗な経歴に見える。だが、ことはそう単純でもなかったらしい。 「そもそも大学を1年留年して卒業後はフリーターになったんです。あまりプレッシャーはありませんでしたが、いざやるとつらくて。就職を考えたんですが、どうせなら大学院に行って“新卒”で社会に出ようと。さらに、どうせ進学するなら留学にしようと」 一発逆転を狙って留学。フランスにしたのは、英語よりもフランス語が好きだったことと、フランスの現代思想が流行っていたから。 「生活費と学費、年間100万円で過ごしました(笑)。研究者になるつもりはまったくなかったんですが、修士課程が終わったら20代後半で。で

  • 【吉本隆明氏死去】 戦後思想に圧倒的な影響/時代と格闘したカリスマ 若者を引きつけた吉本思想 /「いつも吹きさらしの中に立っているような気がする」とも  : 47トピックス - 47NEWS

    ■2010年、東京都文京区の自宅でインタビューに答える吉隆明氏 文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉隆明氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日医科大付属病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は未定。 今年1月に肺炎で入院し、闘病していた。長女は漫画家ハルノ宵子さん、次女は作家よしもとばななさん。 1947年東京工大卒。中小企業に勤めるが組合活動で失職。詩作を重ね、「固有時との対話」「転位のための十篇」などで硬質の思想と文体が注目された。戦中戦後の文学者らの戦争責任を追及し、共産党員らの転向問題で評論家花田清輝(はなだ・きよてる)氏と論争した。 既成の左翼運動を徹底して批判。「自立の思想」「大衆の原像」という理念は60年安保闘争で若者たちの理論的な支柱となった。詩人の谷川雁氏らと雑誌「試

  • コラム別に読む : 吉本隆明の経済学 中沢新一さんが選ぶ本 - 中沢新一(人類学者) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■「価値一般」を串刺しにする思考 吉さんには、まとまった経済学の著作といったものはない。しかし経済の問題は、文学や政治の問題と並んで、吉さんの重大な関心領域であり続けた。スミスやマルクスの経済学を学ぶことから出発しながら、現代の新しい現実と格闘しているうちに、吉さんは独力でひとつの体系をつくってしまった。 その体系はいわばヴァーチャルなもので、目に見えるかたちでは、折にふれての思考としてしか表現されなかった。それでも、それらをつなぎあわせてみると、とても未来的な可能性を秘めている、ひとつの経済学の一貫した考え方が、浮かび上がってくる。 初期の『言語にとって美とはなにか』の中で、吉さんはマルクスが経済の研究から着想した「価値」の概念を、文学の領域に創造的に転用することで、言語学や文学理論のはるか先を行く視点を、切り開いてみせた。増殖するというのが、価値の重要な特徴である。じっさい私た

    コラム別に読む : 吉本隆明の経済学 中沢新一さんが選ぶ本 - 中沢新一(人類学者) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    yu76
    yu76 2012/03/22
    吉本隆明の経済学。交換経済ではなく贈与経済だけが農業の矛盾を乗り越える可能性を持つ…続きが知りたい。
  • 朝日新聞デジタル:評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響 - おくやみ・訃報

    印刷 吉隆明さん  在野の立場から国家や言語について根源的に考察し、戦後日の思想に多大な影響を与えた詩人・評論家の吉隆明(よしもと・たかあき)さんが16日午前2時13分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は未定。作家の吉ばななさんは次女。  東京生まれ。50年代に「転位のための十篇」などの詩作や「転向論」などの評論を開始。既成の革新勢力を批判した「擬制の終焉」や、国家や家族、言語を原理的に論じた「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」などの著作で、若者らに影響を残した。  今年1月に肺炎で倒れ、入院していた。

    yu76
    yu76 2012/03/17
    2012/3/16、戦後日本の思想界に大きな影響を与え、安保反対や全共闘運動に揺れた1960年代に「反逆する若者たち」のカリスマ的存在だった詩人・評論家の吉本隆明が死去。
  • 「ばななしか知らない人のための吉本隆明入門−思想界の吉田拓郎 」 ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス(文学ガイド・書評・本のニュース)

    戦後日の最大の思想家、吉隆明。ばななのお父さんとしても知られる、この82歳のおじいちゃんが、いまもって人気を持ち続けているのはなぜ? そもそも吉隆明ってどんな人?(斎藤てつや/サイトー商会) まことに勝手ながら、私は吉隆明を思想界の吉田拓郎と呼んでおります。どちらも団塊世代に熱狂的なファンを持ちながら、若い世代にはあんまり知られていない。「吉田拓郎? あ、KinKi Kidsの横に座ってた人ね」というのと同じく、「吉隆明? もしかしてばななのパパ」というあたりが、名前を知っている人の平均的な反応ではないでしょうか。 まあ、それも無理はありません。簡単に申し上げますと、吉隆明は「戦後最大の思想家」と呼ばれている人です。その存在感は唯一無二、フォークといえば吉田拓郎というように、思想といえば吉隆明なのです。ちなみに私は、二人とも大好きです。 吉隆明は、1924年(大正13年)の

    yu76
    yu76 2012/03/16
    吉本隆明入門。確かにばななしか知らない^^;
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