沢田茂中将*1 王者が軍隊を親率することは、中世に至るまで欧州各国に於ても共通の事柄であり、王の主要な仕事は、戦争に自ら当ることであった。これは戦争が人間生活に重要な位置を占めていた時代であり、政治は主権者すなわち当時の王の専制であった。軍隊の親率は、専制政治の重要な基本条件であった。 七百年にわたる武家政治を打倒して、朝権の回復を目標とした明治維新の直後に於て、この天皇親率主義を採用されたのは当然であった。問題は、その後の憲法制定の時、その国務を責任内閣に委任し、天皇は無責任の地位に就かれた。そして原則上、国務は、その最高点に於て一元に帰さねばならないのにかかわらず、憲法は国務を政治と統帥とに分け、政治は内閣に委任するが、統帥は天皇の手に保有しておくという、立憲主義と専制主義の二本建であった。 国民の内から自然に生み出した立憲政治でなく、外国から発達したものを日本に輸入したのであり、この