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批評に関するRanTairyuのブックマーク (27)

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  • アニメにおける「携帯電話」の表現について - tukinoha’s blog

    アニメにおける基的な技法である「モンタージュ」は、しばしば遠く離れた2人をすぐ近くに存在するかのように描きます。『ガンダム』では1つの画面を2つに分割する技法が頻繁に用いられますが、これもモンタージュと同様に、離れた場所にいる2人が同じ場所で向かい合っているように見せかける技法であると言うことができるでしょう。 一方で、『ef - the latter tale.』のデモに見られるように、他者との対比や画面構成によって「近いようで遠い」距離感を表すことも、アニメは得意としています。 では、全然近くない、遠く離れた2人を描くにはどうすれば良いのでしょうか? 背景を変える、言葉を変える、服装を変える……理屈の上ではわかるのですが、どれも心情に訴えかける効果的な表現とは言いづらいような気がします。つまり、アニメというメディアは「近さ」と「微妙な遠さ」を描くことを得意としながらも、心理的あるいは

    アニメにおける「携帯電話」の表現について - tukinoha’s blog
    RanTairyu
    RanTairyu 2008/05/02
    「アニメにおける表現は、究極的に「時間」と「空間」に集約されると言えるわけですが、「空間」における「距」
  • アーティスト症候群-著者からのメッセージ:大野左紀子|明治書院

    アーティストには「自分はアーティストである」「アート活動をしている」という自己認識がありますが、それがないにも関わらず「アーティスト」と呼ばれる人々がいます。正規の美術教育を受けておらず、ただ自分の中の不可解な表出欲にだけ突き動かされて、次々と「何か」を作ってしまう。作ったものがアート作品かどうか、人にどう見られるかなど考えもしない。そうした人々を指して「アウトサイダー・アーティスト」と呼びます。 近年ではヘンリー・ダーガーが有名です。引きこもりに近い極度の孤独の中で、何十年にも渡って描き続けられた膨大な量の絵が死後に発見され、その荒唐無稽なファンタジー世界は多くの人々を驚嘆させました。 アウトサイダー・アーティストに共通しているのは、「世界と自分との不調和」という強い違和の感覚です。自分にとってこの現実世界にはリアリティが感じられない。そこで生の実感を得ることはできない。だから、仮構の世

  • 書評は読み手のためにある(出版社や作家のためでなく):みやきち日記

    書評は読み手のためにある(出版社や作家のためでなく) 書評サイトに対する作り手側の視線 - ラノ漫―ライトノベルのマンガを気で作る編集者の雑記― 「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線 - ラノ漫―ライトノベルのマンガを気で作る編集者の雑記― ここいらあたりのお話ですが。 作り手側も人間ですので、書かれるなら宣伝になることを書いてほしいし、書評は的を射ていてほしいし、それもできることなら誉め言葉であってほしいと願っています。いいものが描けたときは話題にしてほしいし、調子が悪かった時はスルーしてほしいのです。この部分、心情としては理解できるのですけれど、自分がサイト内でレビューを書くときには「的を射ていてほしい」「いいものが描けたときは話題にしてほしい」のふたつ以外の「〜ほしい」には必ずしも応えられそうもないなあ、と思いました。なぜなら書評は読み手のためのものであって、出版社や作家のため

    書評は読み手のためにある(出版社や作家のためでなく):みやきち日記
    RanTairyu
    RanTairyu 2008/01/11
    「作家宛の励ましが欲しいなら、書評ではなく、何らかのコミュニケーションツールを用意してそちらに期待する」
  • もったいない - NaokiTakahashiの日記

    RanTairyu
    RanTairyu 2008/01/10
    「生存に適してなくても、面白い作家、希少な作家には生き残って欲しいんだが、まあでも、市場に優しさを求め」
  • 感想書いた→作家に嫌われた→仕方ないじゃん? - ブログというか倉庫

    先日のエントリ 「昨晩のVIPのアレ「ラノベ作家だけど、暇すぎるので質疑応答」で、自らをラノベ作家だという方の発言でこんな部分がありました。 自称書評家は、ホント嫌い。俺個人というより、作家全般が大体嫌っている。 飲み会とかでは、よくそんな愚痴が出るw 「自称書評家」ってのが、どういう人種を指すんだか分かりませんし*1、この人がどんなを書いているのかも分かりませんし、極端な話当に作家なのかどうかすら分かりません・・・まあその辺りは分からないことだらけなんですけど、取りあえず話にならないので全て真実だと仮定して以下、話を進めます。 私が この人の言っていた「自称書評家」かどうかは別として、まず思ったのは、 もし私の書いた感想を読んで、喜んでくれたらとても嬉しい。でも嫌われたら嫌われたで、それはそれで悪くない。 ですね。 昨日のエントリにも書きましたが、「『愛の反対は?』と聞かれたなら、私

    感想書いた→作家に嫌われた→仕方ないじゃん? - ブログというか倉庫
    RanTairyu
    RanTairyu 2007/10/03
    「またもの凄く過激な事を抜かしてしまったような気がしますが、皆さんはどのように思いますか? 仮定に仮定」
  • 僕の誤解だそうです - tukinoha’s blog

    意味のある批判に必要なたったひとつのこと - tukinohaの絶対ブログ領域でリンクを貼ったid:Triple3さんがこのような解説記事を書かれています。 関連記事:らき☆すたは“オタクの踏み絵”となる作品なのか。 上の記事の続き。 らき☆すたの批判派&その反論派のブログの記事を読みました。 双方とも成る程、確かにそうかもしれないなぁと思う考察でした。 当ブログは、あくまで“中立派”です。 上の記事で、らき☆すたという作品とその実写EDを閉鎖的&排他的と言及した。 誤解された方もいらっしゃるので断っておくと、それに否定的ニュアンスは全く無い。 オタクって元来、同人活動等でもしない限り、閉鎖的に、排他的に自分だけの趣味に没頭する人間のことではないのか。 閉鎖性&排他性上等!偏っていて当たり前! むしろ肯定的ニュアンスだ。 ただ、いささかゲルマン魂に富む言い方だが。 http://d.hat

    僕の誤解だそうです - tukinoha’s blog
  • 「世界征服~」と書評 - 【今日だけダイエット】のススメ

    『「世界征服」は可能か?』の5刷が決まりました。 なんだか自分のじゃないみたいで、現実感がないですねぇ。 ブログやmixiで検索してみると、ほとんどの人がタイトル買いみたい。感想は、ほぼその人の世界観や価値観を反映していて面白いです。 「内容が薄い」という人は、薄い内容しか読み取れなかったんだろうし、「考えさせられた」という人は、考えている読者自身の視点が高いということであって、別に僕のだけが優れているわけじゃない。 モノの価値というのは、自分がどれほど見つけられるかで決まるわけですよ。だから映画や、たとえ人物評にしても「つまんない」「薄い」という人は、対象の中から「面白い要素を見つけられませんでした」とカミングアウトしてるに等しいわけですね。 テレビやブログで時々僕が「この作品はイマイチ」「これは好きじゃない」と発言するときがありますが、もちろんこの場合だって、作品が当にダメな

    「世界征服~」と書評 - 【今日だけダイエット】のススメ
  • 哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『ハイデガーとハバーマスと携帯電話』ジョージ・マイアソン(岩波書店)

    →紀伊國屋書店で購入 「ケータイ・モデル」 ケータイというのは奇妙な道具だとつくづくと思う。それは近さを遠さに変えてしまうものであり、遠さを近さに変えてしまうものだ。仕事の打ち合わせなどで相手がもぞもぞとケータイを取りだすと、気が殺がれていやなものだが、考えてみるとこれは近くにいるからといって、実際に「近い」わけではないことを相手に知らず知らずに知らせる手段ともなりうる。わたしはあなたと話をしていると、あなたは思っているかもしれないけど、実はあなたでない人と話し合っているのよと。 だから話している友人にケータイがかかってくると、とたんにその友人は「ここにいる人」ではなくなってしまうのだ。ケータイは人を遠い場所にさらってしまう。もちろん電話も同じ役割をはたしたのだが、受話器はでこにでもあるというものではなかったのだ。その質的な違いは大きい。 書はハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理

    哲学者、翻訳家・中山元の書評ブログ : 『ハイデガーとハバーマスと携帯電話』ジョージ・マイアソン(岩波書店)
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 石川准・倉本智明編著『障害学の主張』明石書店 - kanjinaiのブログ

    障害学の主張 作者: 石川准,倉智明出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2002/10/10メディア: 単行購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (8件) を見る 2003年1月12日信濃毎日新聞掲載 評者:森岡正博 (http://www.lifestudies.org/jp/) 障害をもった人たちが、いまの社会のなかで生きていくのは、まだまだきびしいことである。書にも紹介されているけれども、電車の隣に座った人に「きたいない」と言われて席を立たれたり、喫茶店で出ていくように言われたりする。 障害については、いままではおもに医療やリハビリテーションの専門家たちが考えてきた。身体に障害があるのだったら、訓練によって人並みに動かせるようにして、いまの社会に適応してもらうという試みがなされてきた。 しかし、よく考えてみれば、なぜ障害者のほうが、社会の都合に合わせなければな

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  • 津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫』:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    読みました。いいだ。マンガ研究関係の人は絶対読んでおかないといけない。読みやすいしね。 これまで、まともに評価も分析もされていなかったという「アニメと手塚」の主題を通して、ここ数年怒涛のように進んでいる「問い直し」の一環をなしている。 一つだけ上げれば、多くのアニメ関係者(制作者)から始まった「手塚のダンピングが日のアニメの低賃金、加重労働の悪条件を作り出した」という「批判」、アニメ史における手塚無視にもつながる「批判」言説の検証である。結論をいえば、手塚自身の「制作費55万」発言が作り上げた「神話」を実証的に覆してみせている。じっさい手塚は(少なくとも当面は)そう信じていたが、事実はもっと高く、虫プロはそれなりに企業努力をしていた、というもの。この検証だけでも、これまでの「手塚発言によるマンガ、アニメ史像」を変える。 僕は、以前から東映系の職人的反撥から発するように見える、この「批判

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  • 限界小説書評 :: 前田久 :: 『“文学少女”と死にたがりの道化』/「もう少し待って」という倫理

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    春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…

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  • 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 [絵文録ことのは]2006/12/13

    これはもうだいぶ以前からなのだが、小説やマンガなどの作品に接するとき、物語世界全体を総体的に楽しむ見方と、そうではなく、ある特定の登場人物(キャラクター)に思い入れる人たちがいて、この二つの立場の人たちはかなり相容れない場合が多かった(このブログ的に言うなら、それこそ「物語文化圏」と「キャラ文化圏」の衝突である)。 さらに、特定の「登場人物」ではなく、「属性萌え」とでもいうべき現象が起こっていることは、東浩紀氏が提唱した話である。 「物語」総体として受け入れるか、「キャラクター」に思い入れを込めるか、それとも特定の「属性」さえ有していればそれでいいのか。この3つの見方について、改めて思うところを書いてみる。

  • 竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、疑惑の論文それ自体への言及 - 伊藤剛のトカトントニズム

    大人のミヤモメモ id:hrhtm1970:20061124:1164301675 うちのブログをお読みの方は、かなりの割合ですでにリンク先の宮君のブログをお読みだと思いますが、うちの更新はチェックしていても宮君のほうはしていない方もおられると思うので、触れておきます。 などともってまわった物言いをしているのも、問題ののもととなった、この「博士論文」それ自体を一部とはいえはじめて読み、言葉を失ったからです。宮君から話はきいていたけれど、ここまでひどいとは……。いや、しかし、ホント、すげえな。とにかく、読んでみてください。宮君もよくここまで丁寧に扱ったものです。それほど、ひとを呆れさせ、まともに取り合う気をなくさせる代物です。 とはいえ、宮君の文中にもぼくの名前が出ているので、萎え萎えになる気持ちをどうにかしてひとつだけ言及しておこうと思います。竹内一郎氏が、現在の日のマン

    竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、疑惑の論文それ自体への言及 - 伊藤剛のトカトントニズム
  • 宮本大人のミヤモメモ:サントリー学芸賞はその歴史に大きな汚点を残した

    と思います。 「サントリー学芸賞に7氏」 http://www.asahi.com/culture/update/1108/019.html 「第28回サントリー学芸賞の決定」 http://www.suntory.co.jp/news/2006/9630.html 今回の「芸術・文学部門」の受賞作の一つである、竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)が、この受賞にふさわしいレベルの著作でないことは、「恍惚都市」の下記のエントリにまとめられた、いくつかのブロガーたちによる議論や、「白拍子なんとなく夜話」のエントリを見れば明らかです。 http://d.hatena.ne.jp/komogawa/20061109 http://d.hatena.ne.jp/y-shirabyoushi/20060309 今回この著作を受賞作に選んだ「芸術・文学部門」の選考委員諸氏(大岡信、大笹

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  • 主人公の悩みがそのままゲームシステムになる。エロゲがノベル化したことによる視点の変化。 - モノーキー

    ▼主人公(語り手)の心の動きがそのままゲームシステムになっている。 CROSS†CHANNELの世界がループしたのは、主人公の心が迷ったからだ。 最果てのイマの物語がバラバラなのは主人公の心と記憶がバラバラになってるからだ。 Fate/hollow ataraxiaの世界がループしたもの主人公が結論を出すのを躊躇したから。 これと同じように今のゲームシステムというのが主人公たちの心情や視点を反映していると言えはしないだろうか? つまり、選択肢が発生するのは主人公がどれにすべきか悩むから発生するってこと。 だから、迷ってても心の中では答えをつかんでいるような主人公のゲームだと、途中の選択肢で寄り道しても基的に一道(グランドフィナーレが一つだけ)になる。 最近のシナリオゲーの風潮がそんな感じ。 答えというかすべき事はわかっているけれど、ソコに行くべきか迷っているというのかな

  • うさだBlog / ls@usada's Workshop

    // Workshop's Blog RSS: http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog_rss.rdf // Other Contents # 2014-01-18 17:14:03 - ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア: ウルヴズジェイル # 2013-10-20 21:12:03 - ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア # 2011-12-08 18:39:05 - ポリゴン女子の歴史 # 2011-11-29 00:20:12 - ダークソウル / Dark Souls # 2011-09-04 11:19:32 - デモンズソウル / Demon's Souls # 2011-09-04 10:25:43 - スーパーストリートファイター4AE 上位キャラ分布 # 2011-03-23 23:09:21 - タクティクス

  • 島耕作はある意味少女マンガじゃないかと考えてみたが - 砂上のバラック

    いや、そんな説はないのだけど、以前からわりと思っていたことで、 少女漫画的日常 - やはり、乙女ちっくマンガも少女マンガに入れるべき。 http://d.hatena.ne.jp/nogamin/20061020/1161320236 を読んで改めて考えてみた。島耕作と言えば先週めでたく(?)4度目の最終回を迎えて課長、部長、取締役、常務を終え、来週から専務となる、中高年を中心に安定して高い人気を誇るマンガなわけだが、その内容は基的にファンタジー。特に部長以降にやったことと言ったらフランス行ってワイン飲んで、福岡行って祭りに出て、なぜかレコード会社でディーヴァを発掘しておまけにそいつが実の娘、中国に行ったら現地の秘書とオフィスで抱き合い、インドに行けば偶然テロの犯人を特定する、そして唐突に大臣の座を打診される、社ロビーでリストラされた元社員が自殺したときはちょっとだけブルーになって時代

    島耕作はある意味少女マンガじゃないかと考えてみたが - 砂上のバラック