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sociologyに関するRanTairyuのブックマーク (3)

  • 近代を語る視線と文体(「講座社会学 1 理論と方法」に収録) - 雑記帳

    『講座社会学〈1〉理論と方法』に掲載されている佐藤俊樹の「近代を語る視線と文体」のまとめ。 まず著者は、近代化論が現在「解体 deconstruction」に向っていると述べる(p65)。理論系での議論は今も行なわれているものの、実証系研究では近代化論は最早影響力を持ってはいない。「理論と実証の乖離」(p65)こそが「解体 deconstruction」を物語っているのだという。この論考では、何故このような乖離が起こってしまったのかを検証している。著者は近代化をここで以下のように定義している。 (※戦後社会学においては)近代化は「(A)ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの(B)big bang」として、すなわち(A)共同体性の優位する社会形態から個人性の優位する社会形態へ、(B)社会の主要な制度領域で同時的に変化がおきると考えられている。これを以下、古典的近代化モデルとよぶことにしよう。

    近代を語る視線と文体(「講座社会学 1 理論と方法」に収録) - 雑記帳
  • ブログと論壇誌メモ - finalventの日記

    いわゆる論壇誌について 論壇誌について、私は定期購読ではないですが「文藝春秋」はほぼ毎月読んでいます。「中央公論」や「世界」はそのとき気になる記事があれば読みます。他の論壇誌も同じです。 個人的な印象にすぎませんが、いわゆる論壇誌は私にはあまり面白くありません。読む前から結論のわかっているテーマが多く、短い記事は冗長になりがちであり、ある程度奥行きのある話を求めるならその書き手の著書や新書(たいてい存在する)なりを読んだほうが、情報の収集という点でも便利です。 論壇誌が日で存在している理由は、出版文化として社会問題について書ける人材を育てるということと、現在の出版界において、新書や新刊書の広告的意味を担っていることの2点ではないでしょうか。 南原繁でしたか記憶によるのですが、東大の卒業生へのはなむけの言葉で、大学を出てから文藝春秋だけ読んでいるようではだめだと諫めたのは。時代は昭和三十年

    ブログと論壇誌メモ - finalventの日記
  • 旅する読書日記 見田宗介『社会学入門』ほか

    Amazonマイストア 鈴木先生 3 越境の時 イッツ・オンリー・トーク 沖で待つ 星新一:一〇〇一話をつくった人 表現のための実践ロイヤル英文法 知識の哲学 ロボットの心 猛スピードで母は デカルト―「われ思う」のは誰か これが現象学だ 縷々日記 その名にちなんで 停電の夜に 御大・見田宗介さんの最新著。これは不思議なだ。ある意味で非常にオーソドックスな社会学史をふまえた近代化論が展開されているのだが、全体としては見田宗介/真木悠介の作品としか言いようがない感触に包まれている。個別の論点としては、<他者の両義性>と<関係の重層性>をまず認めてしまうことで、リバタリアン/コミュニタリアンのような二項対立への傾斜を緩和することを提唱している点が重要。これも一見非常に地味な論点だが、そんなのあたりまえじゃんと思って流してはいけない。二項

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