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  • 購買のソーシャル化 - レジデント初期研修用資料

    Kindle は線を引いたりページを折ったりといったことができないから、今はもっぱら漫画ばかりを買っているのだけれど、クリックひとつでもう購買が終了するこのやりかたは、お財布の底が抜けそうで怖くなる。 電子書籍を売る側の人たちは、もちろん読者にはもっとを買ってほしいのだろうから、電子書籍の購買は、そのうちゲームみたいになるのだろうと思う。 ソーシャル化の未来 そのうちたぶん、タブレット端末からKindle のアプリを立ち上げると、画面にはまず真っ先に「お友達の〇〇さんがこのを買いました!!」というアナウンスがプッシュされるようになる。Amazon で自分が何かのを買えば、当然その内容も他のユーザーに配信され、Amazon のサイトを眺めれば、ユーザーの興味に応じたランキングリストが用意され、自分がその中でどれぐらいの順位にあるのか、あるいはの購買を通じて得ることができた「称号」を閲

  • 新しい市場のつくりかた - レジデント初期研修用資料

    最近買った新しい市場のつくりかたというの感想文。 足で書いたは面白い 今までになかった新しい商品を販売することで成功した人たちを訪ね歩いて、成功の理由、あるいは新しい商品を発送する原理のようなものを導こうとした。いろいろ参考になった これは「足で書かれただ」という印象を持った。理念ではなく、具体を重ねて論に到達するような。こうした書かれかたをしたは、読むといろんな発想が広がる。同じ具体例を作者と共有しつつ、作者とは異なった理念の衝突が楽しかったりもする 「足で書かれた」とは逆に、理念先行、論が理念を補強する「頭で書かれた」というものもある。頭で書かれたで描かれる理念は整合がとれていて、読んで「ははぁ」と頷く部分も多いのだけれど、発想はそこで閉じてしまうことも多い 個人的にはたとえば、佐々淳行の危機管理に関するは、「頭で書かれた」であるように思う。佐々の危機管理に関する

  • ゼロクリックの情報デザイン - レジデント初期研修用資料

    クリックをするまでもなく、否応もなく目に飛び込んでくる生活の風景や、あるいは何かのアプリケーションを立ち上げた際に最初に目にする画面のデザインをシンプルにすると、物事の見通しが良くなったりする効果が得られる。 シンプルなデザインを達成するために不必要なものを削ることは大切だけれど、削ることに熱心になりすぎてしまうと、もしかしたらデザインそれ自体が放棄されてしまう。シンプルなデザインはゴールであって、それが道徳になってしまうと、たいていろくでもないことになる。 棚は判断の基礎になる 物を捨てることの効能を説く人が増えたけれど、ごちゃごちゃしたものにあふれた部屋から「ごちゃごちゃ」を取り去ってしまうと、思考がかえって滞ってしまう人もいるのではないかと思う。 発想というものは、何もない風景から新しい何かを生み出すこともあるのだろうけれど、たぶん大部分の発想と呼ばれるものは、むしろ否応もなく目に

    aegis09
    aegis09 2012/11/20
    "成功している文字メディアは、画面の一等地には時間泥棒が居座るデザインになっている。"
  • 配列について - レジデント初期研修用資料

    広告 : 「内科診療ヒントブック 改訂版」というが11月23日頃に発売されることになりました。2年間改定を重ね、病棟業務に携わる医療従事者の人たちに役に立つになったのではないかと思います。機会がありましたらぜひ手にとっていただければ幸いです。以下文。 実店舗を持つ屋さんにあってAmazon にないものはといえば「配列」であって、や情報を配列することの意味や価値といったものは、もっと強調されてもいいのではないかと思う。 屋さんには配列の競技会場になってほしい 屋さんの書棚とか、特に平台に並んだ書籍の配列は、その店で働く人の見せかたや考えかたが強く反映される場所でもあって、書店というものを、ただ単にを売る場所としてではなく、配列の名人による、一種の競技場のように演出してほしい。 たとえば同じ大きさの平台を2つ、それぞれ異なった店員さんに割り当てて、新刊でもいいし、誰か特定の作家

  • マンション販売の人が来た - レジデント初期研修用資料

    「節税になるからマンションを買いませんか?」という電話が、病院にはよくかかってくる。 地域を変えながら、今まで仕事をしてきたのだけれど、マンション購入の勧誘電話は、どこでもなぜか、「大阪マンション」を勧めてくる。だいたい6000万円ぐらいでマンションをローンで購入することで、ローンに支払うお金を経費で落とせば節税になり、なおかつマンションは誰か別の人に賃貸することで家賃収入が得られ、最終的に資産になるから、「先生が損をする可能性はありません」とたたみかけてくる。 自分はいつも、勧誘電話をすぐに切ってしまうのだけれど、人によっては話を聞いて、あとから内容を教えてくれたり、あるいは実際にマンションを買って、特に開業医の先生なんかで、マンションを4つぐらい抱えて身動きが取れなくなっている人がいる、なんてうわさ話を聞いたこともある。 物が来た 今いる施設は、事務の段階で電話を断ってくれる。「マ

  • 扇動をスケールさせるのは難しい - レジデント初期研修用資料

    最近のニュースを見て思ったことのまとめ。 「大成功した」と言っていいぐらいに人数を増やした維新の会が、ここに来て支持率が上がらない、というニュースを見た。 橋市長のやりかたは、「扇動」の方法としてはいまでも成功であったと考えているのだけれど、扇動で得た成功を拡大するのはとても難しい。橋市長は間違いなく成功した政治家ではあるものの、その成功は大阪というある程度閉じた場所が前提のものであって、その勢いを全国区に持ち出すと、勢いは減じてしまう。 二番手は「敵」をどこかに探す 二番手の企業が市場を支配しているトップ企業に挑むときには、トップ企業がトップであり続けるためにどうしても妥協せざるを得ない何かが攻める場所になる。それは汎用性であったり、安全性であったり、平等であったり様々にせよ、トップ企業にはそれを提供する義務が半ば課せられて、二番手はあえてそれを手放してみせることで、「全部」を諦める

  • 人は禁じられた方向に努力する - レジデント初期研修用資料

    組織やチームの文化というものは、スローガンや目標ではなく、日常の動作やおしゃべりにおけるちょっとした制約が作り出す。 「全部英語」は極端であるにせよ、その会社、その組織、その業界独自の言葉や言い回しを作ったり、あるいは「その場で発してはいけない言葉」を作って共有すると、その場には独自の空気が生まれる。外から入ってきた人が「その組織の人」になるまでの時間は、そうした空気がある場所では大幅に短くなっていく。 制約が空気を作る 「ノー」を禁じた組織には、「ノー」を表現するための語彙が増えていく。「現実的に」を禁じた会議室からは、実際に実現できるアイデアが増えていく。 何か到達したい状態があるのなら、それを目標として声高に叫んでみせるよりも、目標と反対側の単語を禁じてやると、人間は案外、その方向に能力を発揮する。 内科医の会話から「外科」という言葉を禁じると、「外科に相談」みたいに便利な言葉が一切

    aegis09
    aegis09 2012/09/28
    "旧軍の昔、組織から「敗北」や「退却」が排除された結果として、軍隊にはそれを表現するための語彙が豊かになって、結果として「勝利」が遠のいた。"
  • 不自由さには意味がある - レジデント初期研修用資料

    ネット世界の自由度は増していく一方で、テキストを書いたり検索したり、今はもうほとんどリアルタイムで行うことが出来るようになったけれど、ユーザーの自由度が増すことで、失われるものはけっこう多い。 ユーザーにある種の不自由を押し付けることで得られる効果というものがいくつかあって、そうした不自由を提案するサービスが見てみたいなと思う。 Twitter では隣が見えない Twitter みたいなテキストメディアに全文検索を行うと、目当ての話題に一瞬で到達できる。これは便利である代わり、精度が細かすぎるきらいがある。目当ての単語が定まっているのなら検索は容易だけれど、「だいたいこのあたりの話題」とか、「検索ワードの周辺の会話を探したい」とか、あるいは「今盛り上がっている何か」を探すことが難しい。 テキストメディアに比べると、セカンドライフみたいなアバターを用いたコミュニティはとても不自由に見える。バ

    aegis09
    aegis09 2012/09/11
    言いたいことはなんとなく分かるけど、それに変わる新しい不自由なものをうまく想像できない。
  • 上司に怒られるための参考書がほしい - レジデント初期研修用資料

    研修医の仕事は「正しくやること」ではなく「正しく怒られること」であって、正しくやりすぎて怒られる機会を得られなかった研修医は、もしかしたら急変に弱くなる。 教科書はよくできすぎている 市販されている研修医向けの参考書はどれもよくできていて、論文に基づいた記載が並んで、そのとおりにすれば正しくやれる。そつなくまとまった参考書は研修医を保護する機能が備わっていて、上司が何かを突っ込もうにも、参考書が先回りして穴を塞いで守ってくれる。 研修医向けの教科書は、そういう意味で「良いお手」には間違いないのだけれど、あれをどれだけ読み込んだところで、むしろ読み込んでそれを身につけた人ほど、上司から怒られる、学びの貴重な機会から遠ざかることになる。それを失うのはもったいない。 いい間違えかたがある 「いい間違えかた」をすることが、いい学びにつながる。まるきり間違えたやりかたを上司に示して怒られたところで

    aegis09
    aegis09 2012/08/16
    "「いい間違えかた」をすることが、いい学びにつながる。"
  • 必要なものとほしかったもの - レジデント初期研修用資料

    「必要なもの」の反対語は「ほしかったもの」なのだと思う。 必要なものは目的が作り出す。たいていはいつでも買えるし、買った結果は見通せる。ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。 必要なものはあらかじめ想定された選択肢であって、買い叩かれる対象でもある。それが必要なものになったその途端、その商品は価値を失うと言い換えてもいい。欲しかったものは、出会う時まではお客の頭に存在しない。選択とは無縁の何かで、価値は下がらない。 田舎のホームセンターは十分に大きくて、必要な物はなんだって揃っているのに、欲しいものが何もない。何かの機会に東京に出かけると、地下街を歩くのが常なのだけれど、欲しかったものばかりがそこにあってびっくりする。実際にそれが必要かといえばそうでもないし、ホームセンターを探せば、欲しかったその商品と同じ

    aegis09
    aegis09 2012/08/02
    "ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。"
  • 危機対応覚え書き - レジデント初期研修用資料

    ファーストサーバーの事故対応や、そのユーザーである「前代未聞空前絶後の無限地獄に叩きこまれた」「阿鼻叫喚のハンバーガーヒルを駆け抜けたサーバ管理者」の方々の、いろんなつぶやきを読んで考えたこと。 口をひとつに 危機対応を行う際には、判断に専念するリーダー役と、発表やコミュニケーションに専念するネゴシエーターと、できれば別々に、それぞれ専属の誰かを置いたほうがいい。 危機の当初は情報が錯綜するし、危機に対応する側も、あるいはその危機から被害を被った側も、様々な「当事者」が情報を発信する。危機に対応する側は、恐ろしく忙しいことになっているにせよ、この情報を放置してしまうと、2ちゃんねるあたりに「現場の声」が匿名で掲載され、ニュースになって収拾がつかなくなってしまう。 佐々淳行のでは、危機対応のリーダーを決定したら、「まずは緘口令をしけ」と説く。記者の人たちが何を聞いても、「命令」がそこにあれ

  • 研修医の潰しかたを考えよう - レジデント初期研修用資料

    平和を実現したいのならば、戦争に関する学習が欠かせない。 平和を願うのは大切かもしれないけれど、戦争のやりかたを知らないと、攻める相手をどうすれば止められるのか、相手の軍隊に動きがあって、それに対してどう応対すれば、そこから戦争につながる道筋を断てるのか、問題解決のやりかたが発想できない。ひたすらに平和を願う人達は、平和を願った結果として、相手の軍隊に間違ったメッセージを送ってしまう。会話が成立しないから、コミュニケーションが破綻した結果として、学習抜きの平和祈願は、むしろ戦争を近づける。 失敗を防ぐには陥れかたを考える 「平和を欲するのなら戦争を学べ」の論理が正しいとして、たとえば失敗を防ごうと思ったのならば、「失敗させるやりかた」を研究するのがひとつの方法なのだと思う。 どうすれば失敗を防げるのかを考えるのは大事だけれど、どうやれば相手を陥れることができるのか、暗黙にプレッシャーをかけ

  • 武徳について - レジデント初期研修用資料

    自分たちの業界だと「やる気」や「正義感」みたいな言葉であったり、あるいは生産の現場だと「現場力」だとか仕事の丁寧さ、といった言葉になるんだろうけれど、世の中のあちこちには、「軍人の武徳」に連なる何かというものがどこにでもあって、今はこれが失われたことになっている。 武徳は「あると便利なもの」 武徳を備えた軍隊は、恐ろしく強力になる。命がけで相手に立ち向かっていくし、容易なことでは戦線を崩さない。国のため、目的のため、武徳を備えた軍人は、それこそ死ぬ気で働いてくれる。 軍隊は、軍人は、武徳を備えていることがもちろん望ましいし、普段から武徳を発揮できるような訓練を受けるのだけれど、クラウゼヴィッツは、「武徳はあると便利だが、将軍は、兵士に武徳を求めてはいけない」と説いていた。武徳を備えた軍隊が勝った事例はもちろんたくさんあるのだけれど、武徳を持たない軍隊が、グダグダしながらも、それでも勝った事

    aegis09
    aegis09 2012/02/07
    "「スイッチを入れたままでとりあえず叩いてみる」のが基本動作になっている世代と、「まずは電源を入れ直して再起動を試みる」世代とがあって、文化が断絶しているのだと思う。"
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

  • フィクション欠乏症について - レジデント初期研修用資料

    「大人になること」というのは、「何かに飽きる」ことと同義であって、ある分野に対して飽きることに失敗したまま、 資金力や実行力ばかりが身についた「大きな子供」は、しばしば暴走して、とんでもないことをしでかしてしまう。 オカルトの摂取は大切 たとえばオカルトを恒常的に摂取している人たち、今でもムーを欠かさない自分みたいな人間は、オカルトというものを楽しみこそすれ、 それを心から信じ込んだり、何かのオカルトグッズに全財産をつぎ込んだりといった行動は、逆に出来ない。 オカルトがどれだけ魅力的でも、20年もつきあっていれば飽きが来るし、人間の想像力には限界がある以上、 オカルトマニアがどれだけ想像力を駆使したところで、新しい神秘はなかなか出てこないものだし。 「飽き」という現象は、恐らくはオカルト以外のどんな分野にもあって、力を持てない子供のうちに、そうした極端なフィクションをたくさん摂取して、 そ

    aegis09
    aegis09 2010/12/27
    創作意欲ってのは飢えから来ているってのはたしかにそうかもしれん / id:deep_one 予防接種に近いのでは?
  • 神話としてのアンパンマン - レジデント初期研修用資料

    ハッヒフッヘホー。アンパンマン、腐敗と発酵の違いを知っているか?」 大体このへんから始まった、一連のおしゃべりをまとめた。 バイキンマンからこんな問いを投げかけられて、アンパンマンはたぶん、 答えを見つけられないはず。正義というのは来、「悪役」なしには存在できないから。 妄想:アンパンマンは山の神様だった 原作だとこのあたりは、アンパンマンの体は、ジャムおじさんのパン種に飛び込んできた星みたいな何かで、 バイキンマンは異星人だけれど、このあたりはあくまでも、人間の側から見た事実。 ここにこんな設定を持ち込むと、物語の意味が大きく変わって面白い。 「アンパンマンとバイキンマンは元は同類の存在であったが、片方はイースト菌で用に、もう片方は雑菌が繁殖し出来損ないとして廃棄された」 焼かれる前のアンパンマンとバイキンマンは、山の中に「パン種」として存在して、 ジャムおじさんの介入を受けること

  • ルールを解説してほしい - レジデント初期研修用資料

    ニュース番組が、最近はもう政治一色で、自民党のやりかたがけしからんだとか、今こそ政権交代をだとか、 ニュースキャスターや、政治評論家の人は、どのチャンネルをつけても同じことばっかり繰り返す。 たとえば将棋番組の解説者みたいな、その状況を、素人目にも面白く解説してくれるような、 政治番組の世界にも「解説者」に相当する職種を用意して、「評論家」とは別に、「解説者」の 談話を報道する番組ができたら、ニュースは今まで以上に面白くなるような気がする。 政治というルール 政治家の人はもちろん、「国益」のために、「有権者の皆さん」に政策を考えるのがお仕事だけれど、 「政治というゲーム」には、もちろんいろんなルールがある。 政策を考えることだとか、地元の有権者に、自らの考えかたを分かりやすく説明することというのは、 あれは政治というゲームにおいては「技」に相当するものであって、ルールとは違う。たとえば政治

    aegis09
    aegis09 2009/07/12
    ゴールデンタイムに国会中継をノーカットで流せばいいと思うんだ。
  • 時が止まっていた - レジデント初期研修用資料

    NHKクローズアップ現代で、小学校教育が特集されていた。「最新」の教育手法が、 見ていてなんだか懐かしくて、その懐かしさに、ぞっとした。 紹介された「最新」技術は、自分が昔習ったやりかたに、あまりにもそっくりだったから。 昔からある最新のやりかた 学校の算数について行けない子供というのは、問題文を画像化して考えるのが難しくて、 試験問題の文章を読んでも、それがいったいどんな情景を意味しているのか、 頭の中でそれを画像化できないから、問題が解けないんだという。 ちょっと前に流行した「百ます計算」みたいなやりかたは、作業効率の上昇を狙った手法で、 あれはそれなりに問題を解ける子供が、能力をもっと伸ばすのには役に立つんだけれど、 問題解決のボトルネックが「理解」にある子供には、あんまり役に立たないらしい。 番組 で取り上げられていたのは「絵解き文章題」という手法。問題文を読んで、 それを漫画みた

  • 足すこと引くこと - レジデント初期研修用資料

    「その道具を定義する動作」というものがあって、そこに何か新しい動作を「足す」ことは難しいし、 そこから何かを「引く」、あるいは「隠す」と、今度はその道具が持つ意味が書き換えられてしまう。 足すのは難しい 大学に入っていた電子オーダリングシステムは、自分のID と、パスワードとを打ち込まないと、 PCが稼働しないようになっていた。これがものすごく面倒で、結果として、誰かがログインしたら、 そのIDをそのまんま使い回したり、ログインしたあと、「次に使う誰かのために」、 ログアウトしないでPCをそのまんま放置したりだとか、ルール違反が当たり前だった。 近所の病院に入っているシステムはもう少し上等で、職員はみんなカードを持っていて、 PC備え付けのカードリーダーにカードを通すと、そのPCにIDが認識される用になっている。 ID を打ち込むのに比べれば進歩したんだけれど、カードをリーダーに通す、その

  • 203高地症候群のこと - レジデント初期研修用資料

    「譲れない何かを守るために、あらゆる犠牲を惜しまず戦力を投入しようとして、目標を見失う状態」のことを、 個人的に「203高地症候群」と読んでいる。 こういうたとえ話として、203高地はそもそも正しくないみたいだし、そんなに珍しい状況だとは 思えないから、もっとふさわしい言葉があるんだろうとは思う。 自主規制という戦いかた 日ゲームが「不道徳だ」なんて海外で叩かれて、政治の世界でそんなことが話題になって、 ゲーム業界の人たちは、いち早く「自主規制」を表明した。 問題が政治の具になって、現場の意図とは全く関係のないところで、杓子定規な「法律」が作られて、 そうなるとたぶん、業界全体が大きなダメージを受けてしまう。問題が大きくなる前に、 政府の先手を打つ形で自主規制を表明するやりかたは、戦略としてスマートだな、と感心した。 このあたり、自分たちの業界は、政府はもっと国民の健康を考えよだの、無