タグ

2013年1月29日のブックマーク (2件)

  • ローレンツと体罰 - NATROMのブログ

    『体罰は教育です!』『子供には「体罰を受ける権利」があります』と主張する、「体罰の会」というサイトに、コンラート・ローレンツに関する記載があった。 ■**体罰の会** 水が高いところから低いところに流れるように、学級生徒の中に怠惰な者がいて、それに対して教師が何らの教育的矯正をなさないとしたら、学級全体が怠惰を是認することになって、克己心を持って研鑽している他の生徒にも悪影響を与えます。その結果、学級全体の生徒の進歩が遅れ、学級の秩序が乱れます。 そのことを動物行動学を確立してノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが科学的に証明しました。それは、「種内攻撃は悪ではなく善である」ということです。ここで「善」というのは、種族保存のために必要な秩序維持に必要不可欠なことを意味します。決して、理性的、宗教的に判断した「善」のことではありません。善悪は、理性で決するものではなく、固体と種族の

    ローレンツと体罰 - NATROMのブログ
  • 体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート

    体罰について考える際、まず「体罰は是か非か」というところから考え始めることが、適切であり公正な態度であるという風に思われている。 だが現在の社会が概ね、実力・権力や権威を有する者が、そうでないものに対して振るう暴力を容認してしまう傾向にあるということ、またそうした価値観を自分自身内面化してしまっている度合いが大きいと思えることを考慮すると、僕はこの問題を、まず「体罰はなぜ悪であるのか」というところから考え始めることが、適切な態度だと思う。 そこから始めて、どうしてもその理由が見出せないようなとき、初めて「是か非か」というところに移行して考え直してみる。そういう手続きの方が妥当だと思うのだ。 学校における体罰に関してしばしば聞かれるのは、教師が「ついかっとなって手を上げてしまった」というようなことである。この場合、普段から教師自身にあまりに大きなストレスがかかっていたことや、生徒たちの態度が

    体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート
    akira-2008
    akira-2008 2013/01/29
    『「ついかっとなって」振るうような暴力というのは、たんに「やむをえない」ものではなくて、実際には弱者を選択して行使されている暴力である』< 完全に同意