人の理解を超えた現象は怖いもの。 現象によっては、『呪い』と呼ばれることがあります。 フィビ鳥(@fibi_dori)さんは、日本人形が登場する創作漫画をTwitterに投稿しました。 ゴミ捨て場で見つけた日本人形を持ち帰った少女は、その後、感情を激しく揺さぶられる体験をします。
★★★★☆ フランス革命前後の貴族生活に興味がある人はもちろん、逆境にも負けない強い女性の人生に触れたい人にもオススメ 表紙の絵は本書の主人公であるルイーズ・ヴィジェ・ルブランの自画像である。この絵を見ての通り、ルイーズはパステル画家の父ルイ・ヴィジェから絵の才能を受け継いだだけでなく、結髪師の母ジャンヌ・メサンから美貌も受け継いだ。マリーアントワネットの宮廷画家であったルイーズはフランス革命の混乱を逃れるため、12年ほど娘とヨーロッパを彷徨うことになる。本書は行く先々で様々な困難にぶつかりながらも、持てる才能を活かして、「美しいもの」への情熱を絶やすことなく懸命に生き抜いた女性の人生に迫る一冊となっている。 ルイーズは1741年のパリに生まれたが、当時の子どもに対する見方、育て方は現代のそれとは大きく異なっている。子どもは貪欲で勝手気ままな欠陥を持った大人であり、子育ては召使いの仕事であ
それまで何の気なしに目を通していただけだった連載マンガに、ある日とつぜん目を奪われることがある。これは単に面白さを見過ごしていただけだったことが多い。ちゃんとした面白いマンガなのに、先入観やら絵柄の好みやらのせいで私自身が面白さを見のがしていたわけだ。『シャカリキ!』曽田正人や『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦がそうだった。 しかし、「ある日突然」の理由が私のメガネ違いではなく、つまりそれまでは本当にたいしたことないマンガ家だったのに、そのマンガ家がある日とつぜん「化けた」瞬間を目撃したことがある。それが福本伸行『天』だった。 最近はたまにチェックする程度になっているが、若いころは麻雀マンガ誌をよく読んでいた。麻雀が好きだったから読んでいたというわけでもなく、マンガが好きだったから麻雀マンガも読んでいたと言ったほうが正しい。 とはいえ、麻雀マンガ誌の打率は低かった。闘牌シーンはともかく、マ
<ブライアン・ジョーンズの死> 文句なしに、ローリング・ストーンズの最高傑作です。特に、このアルバムの一曲目「悪魔を憐れむ歌」は、ロックの歴史に深く刻まれるべき名曲です。かつて、フランス映画界の巨匠、ジャン・リュック・ゴダールは、この曲をストーンズが完成させるまでの過程を撮影し、それを一本の長編ドキュメンタリー映画に仕上げています。この曲は、その誕生の過程からして傑作に相応しいものだったのです。(「ワン・プラス・ワン」) さらに、この作品は翌1969年に謎の死を遂げることになるブライアン・ジョーンズが参加した最後の作品でもあり、ドラッグづけになろうとしていたロック界の流れのなかで、押し流されまいとする彼らの意志の力強さを示した作品でもありました。 この後彼らは、ドラッグでボロボロになったブライアン・ジョーンズを悪魔のような非情さで切り捨て、なんとかバンドの危機を乗り越えようとします。
No.7「ローマのレストランでの驚き」の冒頭に、ローマで訪れたカピトリーノ美術館の「皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像」を掲げましたが「その日はローマのいろいろの場所を訪れた」とも書きました。その訪れた場所の一つが、ドーリア・パンフィーリ宮殿です。 ドーリア・パンフィーリ宮殿はローマの中心部、ヴェネツィア広場の北に位置し、パンテオンからも近い位置にあります。ここはパンフィーリ家所有の宮殿であり、現在も住居とし使われていて、その一部が美術館として公開されています。ここにはカラヴァッジョの初期の絵画「マグダラのマリア」と「エジプトへの逃避途中の休息」があります。 しかし何といってもこの美術館の「目玉」は、絵画史上における肖像画の傑作、最高傑作と言ってもいい絵画作品です。ベラスケス(1599-1660) が描いた「インノケンティウス十世の肖像」(1650) です。スペイン王室の宮廷画家だったベラ
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 1617年12月31日 - 1682年4月3日)は、バロック期のスペインの画家。17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家である。 「ムリーリョ」は「ムリリョ」とも表記する[1]。甘美な聖母像や、愛らしい子どもの絵を数多く手がけた。 経歴[編集] 『ベネラブレスの無原罪の御宿り』1660-1665年 (または1678年頃)。プラド美術館所蔵。 『聖母子』1655年-1660年頃。ピッティ宮殿所蔵。 『ブドウとメロンを食べる子供たち』1645年-1650年。アルテ・ピナコテーク所蔵。 『犬を連れた少年』1655年-1660年。エルミタージュ美術館所蔵。 1618年、スペイン南部のセビーリャに民間医師の子として生まれる[2]。14人兄弟の末子で、幼い頃に両親を亡くし、姉夫婦のも
一人で作り上げたという尋常ならざる5人の鬼才・天才建築家 芸術家というのは変り種が多いものですが、反映されるのは絵や音楽に限りません。 建築家もかなり風変わりな人が多いようで、いろいろな面白い建物が創り出されています。 天才と馬鹿は紙一重なんていいますが、ここに紹介するのは天才・鬼才と呼ばれる、いったい頭の中はどうなってるんだと不思議になるほどの建築家たちとその作品です。 一般の建物はたくさんの人手を要します。建築プランの想定から、デザイン、着工する作業員など、所要人数は決して少なくはありません。 しかしながら、今から紹介する建物はその全てをたった一人でやり遂げたという建物ばかりです。何十年あるいは一生を費やされて建てられた、風変わりで独創的な味わい深い建築をご覧ください。 1.シュヴァル(Facteur Cheval)の理想宮 シュヴァルは大人しい郵便屋さんだったそうで、昼は郵便物を配り
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