徳川家康像。東京大学史料編纂所所蔵 一〇年近く抗争を繰り返し、三河統一後は、以前の主従関係が入れ替わった徳川家康と今川氏真。一般的に、家康は今川家に対して否定的だと考えられてきた。ところが新たに分かったのは、家康が氏真の妹・貞春尼を女性家老に任命していたという事実。二人の関係性について、これまでの認識を大きくあらためなければならない、と説くのは歴史学者・黒田基樹氏だ。黒田氏の著書『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 【写真】家康が頼りにした今川氏真の姿はこちら * * * 天正七年(一五七九)という年は、家康にとっても、また家康と氏真の関係においても、大きな画期となった年であるといえる。 家康にとっては、第一に、新たな嫡男となる徳川秀忠(幼名長丸、一五七九〜一六三二)が生まれたこと、第二に、北条家と同盟を成立させて、武田家に協同で対抗するようになった
山梨県甲府市で2021年10月、同じ高校に通っていた女性の両親である50代の夫婦を殺害し、その住宅に火をつけ全焼させたとして殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた被告の裁判員裁判初公判が10月25日に甲府地裁(三上潤裁判長)で開かれた。 遠藤裕喜被告(21)は犯行当時19歳。改正少年法では触法行為に及んだ18歳、19歳は「特定少年」とされる。被告は全国で初めて特定少年として起訴後に実名が報じられた。 スーツ姿に坊主頭、マスクで法廷に現われた遠藤被告は終始うつむき、時折左手でマスクを押さえている。起訴状が読み上げられる間も、顔を上げることなく証言台の前に立ち、うつむき続けていた。裁判長に氏名や住所を尋ねられても、うつむいたまま無言。罪状認否においても、うつむいたまま黙秘した。 起訴状によれば遠藤被告は2021年10月の深夜、甲府市の住宅に窓ガラスを割って侵入し、住人のAさん(55=当時)、
はじめに 乙女心…この言葉を聞いて何をイメージされるでしょうか?甘酸っぱさ、いじらしさ、恥ずかしさというストレートなものでしょうか?それとも複雑、面倒、わからんとネガティブなものでしょうか。乙女心は、人類の長きに渡る謎です。四大文明期のエジプトのヒエログリフにも、そのいじらしさや厄介さが描かれているとか。 いずれにせよ、乙女心を抱える当人たちにも、乙女心に疎い私のような周りの人々にも持て余すものではあるようです。 その乙女心をある意味、純粋に保存し、それゆえに拗らせてしまったのが茶々です。一般人であれば、大きな問題にはならないでしょうが、彼女は天下人の息子を産んだお袋さま(大野修理)、彼女の言動は天下を巻きこんでしまう。その顛末が、47回の軸になっています。 一方、今回は、冬の陣の和睦から夏の陣への開戦に至るまでが描かれました。何故、一旦は収めた矛を再び抜くことになるのか。そこには、古今東
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