コロナ厳戒、緊張の本番 中国地方共通テスト、席を空け換気 (1/15) 年明けから新型コロナウイルスの「オミクロン株」が猛威を振るう中、15日に始まった大学入学共通テスト...

「紅衛兵だ」 「とても若いな」 「関わると危ないよ」 「見ろ。彼が政治犯だなんて」 「気を付けろ。近寄っては駄目だ」 「あの、私はこの人を知っていますが」 「誰だあんたは」 「私は一介の庭師ですが」 「あんたも仲間に入るか、でなければ立ち去れ」 「この人がいったい何をしたというのですか」 「彼は罪人だ」 「そんな」 「そうだ、そうだ」 「罪を告白しろ」 「告白することは何もない」 「毛主席に謝れ」 「まってください。彼は良い先生でした」 「うるさい。あっちへ行け」 htmx.process($el));" hx-trigger="click" hx-target="#hx-like-count-post-17244571" hx-vals='{"url":"https:\/\/ruhiginoue.exblog.jp\/17244571\/","__csrf_value":"a7690b6
東京大空襲訴訟について、訴えるなら日本政府ではなくアメリカ政府だという初歩的な間違いをしている人のことを指摘したが、ただしそれは賠償請求のことであって、道義的な責任の追及ならできる。 ところが、日本もアメリカも追及しないで、例えば当時の朝日新聞の報道が軍の言いなりだったから悪いと罵り、そのうえ戦後は左よりの論調だと非難している人たちもいる。 もともと朝日新聞は国策新聞であり、だから226事件でも反乱軍に襲撃されたのだが、それを自ら、軍の急進派に襲われた良識的新聞だということにしてしまったわけだし、また戦後だって田中角栄総理から国有地の払い下げとかNETをテレビ朝日として系列下するのに配慮してもらい、それで田中内閣の親中外交という国策に迎合した報道をしたのだが、それを中国寄りの左翼偏向報道だと意図的にすり替えて非難する連中がいただけである。 こんなのはネトウヨの類がしていることなので無視すれ
今日は東京千代田区霞が関で「地下鉄サリン事件」があった日からちょうど17年である。 あの事件は、震災と原発事故などによって、すっかり霞んでしまった。直前には阪神淡路震災があって、今年は最悪と言われたものだが、その最悪の程度を更新してしまった。 あのとき、自分がちょうど地下鉄千代田線に乗っていたため混乱に巻き込まれたから、印象的であった。前に述べたとおり、駅の周辺を防護服の人たちが取り囲み、まるで映画『カサンドラクロス』であった。 そして今年は、中東・北アフリカ諸国へのNATO軍による侵略と、光市母子殺害事件の死刑判決があり、そこに共通するものが感じられる。 まず、ナチにより強制収容所などで殺害された多くの人たちとは、ナチに反抗的な者やナチにとって不都合な、実に多様な者たちである。それを、ユダヤ人だけが特別に気の毒な被害者であるかのように言って、ユダヤ人には償いや復讐について特権があると言わ
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私には正義とは何なのかよくわからない。 世の中には「多数派の意見(世間の風)」と正義を同一視しているかのような橋下弁護士のごとき人もいる。私はその手の「世間主義」にはまったくうんざりしているけれど、「それならお前の考える正義とは何だ」と問われてもうまく説明できない。 以前の記事で「弁護団への懲戒請求殺到問題」について書いた。その問題に深く関わる「光氏母子殺害事件」差し戻し控訴審で被害者遺族が意見陳述を行った。 中国新聞ニュース:「供述が真実とは思えない」 遺族に無念と怒り 光市母子殺害事件の弁護団と、本村洋さんは二十日の公判後、広島市内で記者会見し、五月から三回の集中審理を振り返った。弁護側は「主張が証拠に基づくものと立証できた」と評価し、本村さんは「死刑判決を出してほしいという思いを新たにした」と述べた。 弁護団は中区の弁護士会館で記者会見。弁護団長の本田兆司弁護士は「事実を証明するため
新潮社から出版された、光市母子殺害事件をめぐるノンフィクション。タイトルや出版社からわかるように、被害者遺族の心情へよりそった内容となっている。 もちろん、一方へよりそうことは必ずしも悪くない。下手に両論併記するより、明確に立ち位置を宣言する方が、様々な情報を見比べる時に役立ちやすい。たとえばプロローグでは、事件発生年に本村氏と出会った著者の鮮烈な印象が語られており、一つの資料として興味深い。喫茶店での本村氏は、家族へ向けた悔恨と、被告への殺意を叫んだという。 しかしながら、遺族の心情へよりそうあまりに、ノンフィクションの域を超えて実録小説に近づいている感が強い。時として押しつけがましく、時として見てきたような嘘としか思えなかったりする。 たとえば、警察署の取調室で拘束された本村洋氏が、娘の居場所を知りたい心情を独白する場面*1。 これは嘘だ。夢だ。なにかの間違いだ――殺風景な部屋の、堅い
光市母子殺害事件判決文【★最判平24・2・20:殺人,強姦致死,窃盗被告事件/平20(あ)1136】結果:棄却 中日新聞:光市母子殺害事件の最高裁判決要旨 :社会(CHUNICHI Web) 最高裁の認定した「事実」は一審・二審のものと同じだった。 本件は,犯行時18歳の少年であった被告人が,(1) 山口県光市内のアパートの一室において,当時23歳の主婦(以下「被害者」という。)を強姦しようと企て,同女の背後から抱き付くなどの暴行を加えたが,激しく抵抗されたため,同女を殺害した上で姦淫の目的を遂げようと決意し,その頸部を両手で強く絞め付けて,同女を窒息死させて殺害した上,強いて同女を姦淫した殺人,強姦致死,(2) 同所において,当時生後11か月の被害者の長女(以下「被害児」という。)が激しく泣き続けたため,(1)の犯行が発覚することを恐れ,同児の殺害を決意し,同児を床にたたき付けるなどした
寺澤有 @Yu_TERASAWA 安田好弘弁護士ら光市母子殺害事件弁護団が単行本『福田君を殺して何になる』の出版差し止めを求めている裁判が12月21日に広島地裁で開かれます。著者の増田美智子さん、発行者の私、弁護団の足立修一、本田兆司弁護士の尋問が予定されています。肝心の安田弁護士は尋問を拒否しています。 2011-12-13 12:40:13 寺澤有 @Yu_TERASAWA 安田好弘弁護士ら光市母子殺害事件弁護団は弁護方針の違いから、2007年10月16日に今枝仁弁護士を福田孝行被告に解任させます。福田被告が最後まで抵抗したことは単行本『福田君を殺して何になる』に書かれています。結果、2008年4月22日に死刑判決。 2011-12-13 12:58:25 寺澤有 @Yu_TERASAWA 今枝仁弁護士解任問題について、単行本『福田君を殺して何になる』の出版差し止め訴訟で、安田好弘弁護
被告人の手紙の中で問題となっている箇所はいくつもあるが、そのうちのひとつに「7年で仮出獄できる」という記述がある。実際、ここを引用して「だから厳罰化しろ」「被告人を死刑にしろ」「野獣が7年程度で再び云々」という論旨につながっていったりするのだが、無期懲役になると7年程度ででられるのはよっぽど特例であり(=ほぼありえない)、注目された事件になればなるほど、その可能性は少なくなり、また、通常20年以上経過しないと仮出獄が認められないといったことはあまり知られてない。 (此方のブログによれば、「先日、死刑囚も収容されている某刑事施設の所長さんと話をしたところ、「死刑求刑事件の無期受刑者については、服役期間が30年をたたないと、仮釈放の申請ができない。受刑者を預かる立場の人間としては、もう少し柔軟にしてもいいのではないかと思うこともあるが、審査会の方針なのでやむを得ない」という発言をしておられまし
2月20日、光市母子殺害事件の大月孝行被告(30才)の死刑が確定した。惨劇から13年──遺族の本村洋さん(35才)は会見で、こう思いを語った。 「死刑判決が下されたことに大変満足していますが、喜びの感情は一切ありません」 そんな本村さんは、2年ほど前に再婚して、光市から少し離れたところに新居を構えて新たな生活をスタートさせているという。 「奥さんは7才年上の同じ会社の同僚だそうです。趣味のテニスを通じて仲良くなったそうですよ」(本村さんの知人) 犯罪被害者学専攻で、本村さんと交流のある常磐大学大学院の諸澤英道教授が祝福の言葉を寄せる。 「本当に長い裁判でした。本村さんは妻と娘を思いながら、つらく苦しい日々と闘ってきました。ぶつけようのない怒り、そして寂しさのなかで、彼の気持ちを理解し、ずっと支えてきたパートナーの存在は実に大きなものだったことでしょう。再婚され、共に生きていく人を見つけられ
そもそも、この事件について関心をもったのは、たまたま遺族が「出演」したテレビ報道を見たことだった。 これを見た人たちの中には、ほんとうの遺族ではなく、俳優がふんして演技しているのではないかと思ったと言う人もいた。犯罪被害者の会員に聞くと、本人には何度も会って話したりしたが、とても物静かな人で、あんなテンションとボルテージの高い人ではないとみんな言う。だから、替え玉説も出ていた。 また、これを薬害事件の広告塔となった「被害者スター川田龍平」のような「遺族スター」だと指摘する人もいて、選挙に立候補するつもりではないかと囁かれていたのは周知のとおり。 そうした政治的な思惑が背景にあるかどうかはともかく、それ以前に不可解であった。なぜなら光市の事件は一般的にほとんど知られておらず、それが判決後になって遺族がテレビ出演してから大騒ぎになったからだ。 この事件には誰でもむごい印象を持つだろうが、これと
少年事件のたびに疑問なのは、どうして被害者と社会一般の多くが、子供を責めて親を責めないのかということだ。 あたりまえのことだが、子供のことは親が責任を持つものだ。だから、未成年者に違法行為があった場合、親が責任を問われ、子供は罰するより更生させるようにするというのは世界の常識であり、日本の法律でもそう規定されている。 親の責任を追及したうえ、それでもまだ子供にも責任を問うべき部分があるというならともかく、ほとんどは子供ばかり責める。 光市事件なんてその最たるものだ。親や地域社会や社会制度の問題を充分に追及したうえでの話ではない。 報道は煽りばかりが目立つため知らない人も多いが、犯人の父親は、妻子への暴力が日常茶飯事だった。団地住まいであるため泣き叫ぶ声などから近所中に知られていた。幼い息子の目の前でその母親を執拗に殴り、怯える息子も見かねて止めに入ると今度は息子をぶちのめしたうえ風呂場へ引
事件で20日、当時18歳の元少年・大月(旧姓・福田)孝行被告に死刑判決が下された後に遺族である本村洋さんが会見を行い、その中で本村さんが“再婚”について語ったことが、ネット掲示板で大きな話題となっている。21日配信の日刊スポーツによれば、本村さんは2009年に籍を入れ、現在は2人で生活しており、殺害された2人の命日には一緒に祈りを捧げているという。この記事を受け、ネット掲示板では「今後は幸せな人生を この記事を見るためには この記事はlivedoorNEWSアプリ限定です。 (アプリが無いと開けません) 各ストアにスマートフォンでアクセスし、 手順に従ってアプリをインストールしてください。 関連の最新ニュース 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能
光市母子殺害事件の遺族、本村洋さん(35)は20日の最高裁判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見を開いた。会見開始までの数分間、目をつむり、深呼吸を何度も繰り返した本村さん。記者に促され、判決への思いをしゃべり出したとき、目には涙がたまっていた。 ◇--判決を受けての思いを 「はい、まず始めに13年間という事件発生から長い時間が経過したのにもかかわらず、これだけたくさん報道していただき、社会の皆さんが関心を持っていただいたことに感謝している。13年間の中で人間的に未熟なところがあり、感情的になって不適切な発言をしてしまい、それを聞いて不快に思われた方もたくさんいると思う。深くおわび申し上げる」 「また13年の長い間、裁判を続けてきた裁判官、検察官、捜査された警察官の方々、そして最後まで熱心に弁護をしていた弁護士の方々に深く感謝する」 「今回、死刑という判決が下され、遺族とし
今回の光市事件の判決をうけて、私は「これは○○(無期懲役とか)が妥当だよね」という気はさらさらない。むしろそういう風に「通ぶって」語ることは避けたい。あの事件を調べていて痛切に感じたのは「ないがしろにされる被告人」だった。あの弁護団がついて初めて被告人は自分の意思を語り始めたように思えた。 「犯罪者がないがしろにされて当然だろ」という意見もあるかもしれない。でも「被告人をないがしろにし、犯罪が行われた背景を語ることを封じる」ことは、「なぜ殺されたか」が曖昧になってしまうことでもある。何故殺されたか、その事由が曖昧になることは、殺された側の事由をも、曖昧にしていくことなのではないか。そしてそれは結果的に「被害者すらないがしろになる」ことになるのではないか。私は裁判でそこが争われないことが一番納得がいかない。 だから裁判でそこが争点になり、被告人なりの「論理」が明確になり、よって審理され、そう
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