› コラム › ナガコナーバス人間考察 › 感動の涙は罠だ。反面教師としての『かぐや姫の物語』考 映像の見方 仕事柄、ミュージックビデオやモーショングラフィックスといった視聴覚表現のレビューをよく書く。作品を見ている時、情報を受信しているのは当然ながら視覚と聴覚だ。歌詞や台詞がある場合は聴覚で音感を、言語野でその意味合いを咀嚼する。言葉を視覚化したタイポグラフィーやデザインもまた、感覚情報と意味を受容するチャンネルは異なる。 そうして感覚と思考を並走させながら状況を解釈し、文章として記すうちに、どうやら私の頭は、感覚を味わう機能と思考する回路を別物として分断したようだ。そんな職業病の面目躍如か、とてつもなく美しく、あまりにもいらいらするというアンビバレントな感想を抱くに至った映画が『かぐや姫の物語』である。 そう大仰に扱わずとも、「絵は好きだけどストーリーが嫌い」とか「感動したけど音楽だけ