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2023年3月13日のブックマーク (6件)

  • 『『どうする家康』第9回『守るべきもの』&第10回『側室をどうする!』感想(ネタバレ有)』

    ~ Literacy Bar ~ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、 時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画小説漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。 ※基、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。 例年以上に賛否両論が噴出している今年の大河ドラマ。以前も述べたように私は『全人類が否定しても自分一人が楽しめれば、その作品には推す意味がある』と『世界中が絶賛しようとも、俺がくだらないと思う作品はクズだ』という価値観は一個人の中で並立し得ると考えているので、他人が何を言おうが好きな人は推せばいいし、嫌いな人はボロクソに貶せばいいと思いますが、今年の毀誉褒貶の激しさは非常に興味深い現象であるのも確かです。 一つには迷走から立ち直ろうと足掻いてきた近年の大河ドラマが『こんな感じでどうでしょう?』と慎重に視聴者へ提示してきたモノを『どや? こうい

    『『どうする家康』第9回『守るべきもの』&第10回『側室をどうする!』感想(ネタバレ有)』
  • 東福寺 - Wikipedia

    1881年(明治14年)に焼失した仏殿(京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブ)。現存する三門と同じく、屋根先のたわみを防ぐいわゆる「太閤柱」が仏殿にも設けられていたことが分かる。 1881年(明治14年)に焼失した法堂?(京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブ) [参考]千仏光背の例(法隆寺西円堂に安置される乾漆薬師如来坐像)。仏像自体の制作年代は8世紀後半ごろと推定されているが、光背は後補で弘安6年(1283年)の作。 先述のように、東福寺には巨大な「仏手」(現存部分の長さ約2m)が保管されており、旧尊像の左手部分のみが1881年(明治14年)12月16日[4]の仏殿の火災の際に救い出されたものと推定されている[3]。これは創建時の尊ではなく、14世紀に再興された尊像の遺物である。この仏手からも分かるように、焼失した旧尊座像は巨像であったとされ、『東福寺縁起』では、旧

    東福寺 - Wikipedia
  • 『どうする家康第10回あらすじ&感想』

    第10話「側室をどうする!」 岡崎城内でテキパキと 身体を動かして、 ピシッとたすきをかけ 仕事にいそしむ侍女がいた。 「なあ、いいだろ? 夫婦になろうっちゅう わけじゃないんだからさ、 時々遊ぶだけだ!」 場違いな男の声が聴こえてくる。 同じ侍女である美代を 誘おうとする渡辺守綱だ。 先程の侍女が しつこく誘う守綱を 後ろからひねり上げた。 守綱は勇ましい女の迫力に 引き下がっていった。 美代は助けてくれた その侍女を見送った。 一揆を鎮めた家康は、 三河国内をほぼ手中にし 今川への調略を仕掛けている。 遠江の引間城の城主、 飯尾連龍は家康との 面会に応じていた。 「三河をまとめあげたお手並みに 感服いたしました。 これからは松平殿と共に 歩みとうござる」 飯尾連龍はあのお田鶴の夫である。 そう述べる飯尾連龍に、 家康は今川といくさをしたい わけではない、と 展望を語る。 「今川と松平殿

    『どうする家康第10回あらすじ&感想』
  • 西郡局 - Wikipedia

    西郡局(にしのこおりのつぼね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。徳川家康の側室。三河国宝飯郡の武家・鵜殿氏の出身。呼び名は西郡の方ともいう。 生涯[編集] 西郡局の実父は柏原城主鵜殿氏に従った加藤氏といわれる。加藤氏は信濃国の出身で、元は三好氏といって父の代に三河に移って加藤氏の名跡を称し、領内の定期市運営を担当していたことが知られる[6][4]。柏原鵜殿氏は「上ノ郷城主鵜殿長持の弟長祐―長持の次子長忠」と続いた鵜殿氏の支流で、永禄5年(1562年)に上ノ郷鵜殿氏は徳川家康に攻め滅ぼされたが、他の鵜殿氏支流は徳川氏に服した[7]。 西郡局は柏原鵜殿長忠の娘という身分で徳川家康の側室となり、永禄8年(1565年)家康の次女督姫(北条氏直室、のち池田輝政室)を産んだ[4]。天正18年(1590年)に家康が江戸城に移るとそれに従った。鵜殿氏の菩提寺だった長応寺は永禄5年の上ノ郷城落城の

  • 正室・側室

    岡崎のおすすめ旅を特集しました!徳川家康ゆかりの地、八丁味噌グルメ、岡崎ならではの体験プログラムなど、テーマは多彩。一人旅、女子旅、子連れ旅…アナタが岡崎に行きたくなる、旅特集・お出かけ特集がきっと見つかります。

    正室・側室
    amanoiwato
    amanoiwato 2023/03/13
    徳川家康の正室・側室一覧。
  • 古沢良太に書かせるべきは大河ではなく○○○○ - Privatter

    始まって早々賛否両論雨あられのどうする家康、1話だけネットで見て後は録画して時間ある時に見てました。 で、とりあえず7話冒頭まで見て思ったんですが、これキャラの心情やエピソードがきちんと繋がってないですね。いや繋げようとしてるのは分かるしストーリーは繋がってるんだけど、いわゆる連ドラ、連続性のあるヒューマンドラマになってない。 それで気付いたけど、この脚家さんが今までヒットさせてきた名作、相棒やコンフィデンスマンやリーガルハイって主に「単発」のストーリーで続いてきたやつなんですよね。「初めから個性的なキャラ」を1話ないし2~3話に納まるコンパクトなお話の中で活躍させる単発エピソードの名手。マンガで言うならこち亀とかドラえもんとか、そういう系統の話。これが大河と異常なまでに相性が悪い。 ハッキリ気付いたのは4話でしたかね、お市の方が出てきた回。 冒頭で溺れる水中の演出(伏線) ↓ 紫禁城で

    古沢良太に書かせるべきは大河ではなく○○○○ - Privatter
    amanoiwato
    amanoiwato 2023/03/13
    私は「どう家」は決して駄作とは思っていないし毎回十分に楽しんで観ているが、この批判は的を射ていると思う。批評とはやはりこうするものだ。