みなさんこんにちは。 プロイセン王フリードリッヒ2世に奪われたシュレージェン地方の奪還を目論むオーストリア女帝マリア・テレジア(正式には「女帝」ではありませんが。)が仕組んだ対プロイセン包囲網によって、フリードリッヒ2世のプロイセン王国は、西からはフランス、東からはロシア、南からはオーストリアに攻撃され、さらに北からはスウェーデンにバルト海を封鎖され、正に「四面楚歌」の状態にありました。 この圧倒的に不利な状態の中で、フリードリッヒ大王は少ない兵力で周囲の敵に出来るだけ打撃を与えるため、重点に兵力を集中させ、プロイセンを取り囲む敵の中で最も兵力の少ない部分を潰しながら素早く転進を繰り返す「各個撃破」戦法で何とかこれらの大軍との戦いをしのいでいました。 上はこの頃のプロイセン王フリードリッヒ2世の姿です。 苦しい戦いの連続でかなりお疲れのご様子ですね。 一国の王が、荒れ果てた民家の壁の前で丸