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ブックマーク / blog.gururimichi.com (64)

  • ネットスラングとしての「コミュ障」「コミュ症」という言葉について - ぐるりみち。

    読みました。記事の内容に関しては全面的に同意なのですが、ネットや若者の会話中で使われる「コミュ障」あるいは「コミュ症」という“言葉”について考えてみると、来の「コミュニケーション障害」に基づく意味合いは薄いのではないかと思いまして。 言うなれば、「中二病」や「リア充」といったネットスラングに近いもの。言葉が一般化したことによって、その語感がもたらす印象のままなんとなく使っており、そもそもの意味すら知らない可能性もある。 「コミュ障」という言葉は、それを使用する人によって意味の異なる“マジックワード”なのではないかしら。 “こみゅしょう”って、なんですか? 恥ずかしながら、僕自身も当初はその指し示すもの(コミュニケーション障害)を知らず、流行りの言葉として使っていたような記憶がある。確か、就職活動の始まる前後、2010年くらいのことだったはず。 Googleトレンドで確認してみると、こんな

    ネットスラングとしての「コミュ障」「コミュ症」という言葉について - ぐるりみち。
  • 運動会で流れるBGMをわくわくしながら聞いていた思い出 - ぐるりみち。

    「運動会」と聞いて、まず何が思い浮かびますか? ──徒競走。騎馬戦。組体操。玉入れ。ブルマ。大玉転がし。棒倒し。綱引き。大縄跳び。ブルマ。嗚呼、何もかも懐かしい……。 そう、目を閉じれば、そこには億千のブルm スポンサーリンク 体育の成績は常に「3」でした ブルマはさておき、球技全般が不得意だった僕にとって、小中学校の体育の授業はちょっと嫌な時間でした。 入学当時からずーっと続けていたサッカーもまったく上達せず、バスケットボールもダメダメ。当然、野球もからっきしだったけれど……なぜだか、キックベースは好きだった。 とにかく、集団球技はめっぽう弱かったのです。苦手意識しかない。 ……あ、でもアレだ。少し前の記事にも書いたけど、「いかにしてこぼれ球が飛んできそうな位置を見極めてカバーし、拾ったらどれだけ早くうまい人にパスを回せるか」というスキルだけは磨くことができたように思う。球拾いはまかせろ

    運動会で流れるBGMをわくわくしながら聞いていた思い出 - ぐるりみち。
    ami-go40
    ami-go40 2014/10/08
    高校の体育祭、放送部で選曲してた。
  • 『ひとりぼっちを笑うな』生きづらいと思い込んでいる人へのメッセージ - ぐるりみち。

    ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21) posted with ヨメレバ 蛭子 能収 KADOKAWA / 角川書店 2014-08-14 Kindle Amazon 蛭子能収*1さんの著書、『ひとりぼっちを笑うな』を読みました。自身を「内向的」だと感じている人は、読めば共感できる点が多いかもしれない。 僕から見た蛭子さんと言えば、これまでは「漫画家なのによくテレビで見かける、変わり者のおじさん」という印象しかなかったのですが……。良い意味で裏切られたというか、「ぼっち」の心境を代弁してもらったような読後感がありました。これはいいものだ。 スポンサーリンク 「ひとりぼっち」も悪くないよ? 書の「はじめに」で書かれているのは、蛭子さんご自身の経験談と、考え方。 なんでも、当人は「自分勝手」にやっているつもりはなく、周囲にも気を遣っているつもり。にもかかわらず、周りには “「蛭子さん

    『ひとりぼっちを笑うな』生きづらいと思い込んでいる人へのメッセージ - ぐるりみち。
  • 意外と馬が合う?ホリエモンと寂聴さんの対談本『死ぬってどういうことですか?』 - ぐるりみち。

    特設ページ「瀬戸内寂聴×堀江貴文『死ぬってどういうことですか?』」より。 読みました。堀江貴文さんと、瀬戸内寂聴さんの対談集『死ぬってどういうことですか? 今を生きるための9の対論』。 スポンサーリンク 年齢差50歳、異色の2人の対談 最後に会ってほどなく、私は背骨の圧迫骨折になり、倒れてしまった。もし、これで死んでも、ホリエモンとあれだけ喋ったのだから悔いはないなと病床で私は朗らかであった。 若い人たちがこのを読んでくれると嬉しい。そして、私のいう原発と戦争について、自分の意見を見つけてくれることを切に願っている。 書は、瀬戸内寂聴さんの「はじめに」から始まり、堀江貴文さんの「あとがき」で終わる構成。編として、9つの対談が収録されています。 ちょうど50歳差というお二方。細部の意見の違い、経験や思想による方向性の違いはあれど、全体としては、意見の一致を得ているような印象でした。文

    意外と馬が合う?ホリエモンと寂聴さんの対談本『死ぬってどういうことですか?』 - ぐるりみち。
  • 「ハンドルネーム」と「本名」は別人格? - ぐるりみち。

    先日、参加したイベント「ちきりん×東浩紀『みんなもっと適当でいいんじゃね?──旅とネットと人生設計』」のなかで、ちきりんさんが次のような話をしておりました。 「ちきりん」のキャラは、普段の自分と非常に近い。 違いがあるとすれば、“やる気があるかないか”。 普段は空想の世界に浸り一言も喋らない日もあるような、オタッキーな人間。 普段の自分と、ブログの自分。 現実生活の自分と、ウェブ上の自分。 名が指し示す自分と、ハンドルネームが指し示す自分。 そのようなインターネット登場以降の「現実と仮想の差異」については、mixi時代かそれ以前から語られているような印象もあります。 また他方で、僕がこのブログの更新を格的に始めてから、そろそろ1年。つまり、この「けいろー」という人格が他のユーザーから認識されるようになってからも1年が経つかどうかという時期。そんななこともあって、改めて考えてみるのもいい

    「ハンドルネーム」と「本名」は別人格? - ぐるりみち。
  • 「考える」を考え、「思う」を思い、「考えさせられる」から始める - ぐるりみち。

    人間の「考える」行為は、ほかの何よりもお手軽にできるもの。 道具を必要とせず、他人やモノといった、働き変える対象も必要ない。手足などの身体の一部を動かすことも要求されず、意識さえあれば、金縛り状態でも行使することが可能。「(やべえ体動かねえんだけどどうすっぺこれ)」と考えたところで、どうにかなるもんでもないけど。 あまりに自然な行為すぎて、普段は意識することもない「考える」作業。今、パンツ一丁でパソコンに向かってキーボードをポチポチしながらも、次の文章を “考え” ているわけですが、「あー、ぼく、いま、ちょーかんがえてるわー」なんて意識はございません。それより、扇風機先生、がんば。 「考える」って、なんじゃろう。考えてみよう。 「考える」と「カンガルー」は似ている 「ことば」について記事にするときのお約束。まずは、いつものように辞典サイトを参照しませう。……し、思考停止じゃないよ! こここ

    「考える」を考え、「思う」を思い、「考えさせられる」から始める - ぐるりみち。
    ami-go40
    ami-go40 2014/08/19
    哲学のセカイ。禅問答。
  • 西国分寺『クルミドコーヒー』でほっとひといき - ぐるりみち。

    暖かな木の空間にほっこり。 JR西国分寺駅から、徒歩1分 喫茶店ファンの間では有名らしい名店、クルミドコーヒーさんに行って参りました。JR西国分寺駅から、徒歩1分。「1の木」をイメージしたという、縦に長いおしゃれな佇まいの建物が目に入るので、すぐに分かるかと。 少し前に一度、平日のお昼すぎに行ってみたことがあったのですが、満席で入れず。今回は友人と待ち合わせて、お昼前に向かいました。どれどれ。 友人と待ち合わせて、11:00過ぎ頃に入ってみたところ、満席とのこと。 待つのであれば、電話連絡していただけるというお話でしたが、「外でいいよね?」と確認して、しばらく待つこと10分ほど。途中、店員さんにお水をいただきました。今日はまだ涼しかったとはいえ、地味にありがたい心遣いでござる。感謝。 お店に入ると、右手にカウンターが見え、左手には地階と上階、それぞれに向かう階段が。地上3階は吹き抜けにな

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  • 「興味ないけど」から始まる批判。その前置き、必要なの? - ぐるりみち。

    読みました。 『艦これ』好きとしては、ちょっとムッとする内容ですが、「いや、きっとアレだ。たちの悪い艦これファンか何かに絡まれて、衝動的に主語を大きくして毒づいちゃったんだ」と考えて、この方の過去ツイートと飛んできたリプライをまとめて確認してみたのですが。 ……それっぽい記述がないどころか、何の脈絡もなく該当のツイートをしているようです。 私はゲームはほとんどしない人間だから、「艦これ」とか興味全くないんだ。普通に考えて、戦争の武器や道具を女子化して何が楽しいんだかわからんのよ。日人の思考や志向や指向や嗜好がどうにかなってきてるよ。 — 橋 潮 8/16西み25a 橋商店 (@Ushio_Hashimoto) 2014, 8月 3 艦これのコンセプトは狂ってますな。戦争脳のはい!出来上がり。 — 橋 潮 8/16西み25a 橋商店 (@Ushio_Hashimoto) 2014,

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  • 「ぼくのかんがえるTwitter」を押し付けてはいけない - ぐるりみち。

    先日目に入った、こちらの記事が気になりました。 ブログに寄せられた 「お気に入りの飲店のTwitterアカウントをフォローしたにも関わらず、フォロー返ししないとは礼節に反している! けしからん!」 という意見に対して、ブログ主が、 「同意見。我々客からすると、メッセージを送れないのでストレスになる。満足度が減る。情報発信をしたいだけなら、ホームページですればいい」 と同調している形。意訳なので、詳しくは元記事を参照ください。この件については、客視点と店視点、それぞれの主張があるかと思いますが、ここでは、一人のTwitterユーザーとしてツッコませていただきます。 Twitterに「正しい使い方」は存在しない 一言でまとめてしまえば、記事タイトルに書いた通り。現実の店舗での礼節は別として、あなたの語るその価値観は、Twitterにおいては絶対ではないし、そんな決まり事はどこにもない。それ以

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  • パソコン?スマホ?文章を読む時はどの端末が読みやすい? - ぐるりみち。

    Kindle Paperwhite、HTL21、iPad、それぞれでKindleを開いてみた。『聲の形(1)』より。 家や図書館、喫茶店では、Macbookでブラウジング。 移動中の電車の中では、Kindle Paperwhiteで読書。 ちょっとした待ち時間には、Androidスマホでブログを巡回。 僕は普段の生活の中で、複数の端末を使っています。日常的にインターネットにアクセスしている人であれば、パソコンとモバイル、少なくとも2つの端末を使っているのではないかしら。もちろん、今は「スマホひとつで事足りる!」なんて人もいるでしょうが。 それぞれの端末によって、画面のサイズも様々、解像度も様々。同じ電子機器とはいえ、ネットサーフィンをしたり、を読んだりしているときの印象が、結構変わってくるんじゃないかと、ふと思いまして。「読書感」とでも言いましょうか。 読書をしたり、文章を読んだりする

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  • ネットの三大原則「知らない」「伝わらない」「関わらない」 - ぐるりみち。

    インターネットは、こわいばしょ。 わたしと、あなたは、他人同士 出会い系サイトの問題が叫ばれていた頃、「ネット」に対して持っている世間のイメージは、そんな感じだったんじゃないかと思う。 知らない人の集まるオフ会は怖い。女性一人で行くなんてもってのほか。2ちゃんねるは、ヤバいやつらの集まる場所。Welcome to underground...*1 僕が中学生の頃は、ネットのネタについて話す人はまだ少数派だったイメージがあるけれど、今や多数派ですもんね。スマホでまとめサイトのアプリを見て、LINETwitter友達とコミュニケート。べっ、別に羨ましくなんてないんだからねっ(棒 ネットが大衆化したことによるものなのか、低年齢層が増えたことによるものなのか、はたまたその両方か。誰もが当たり前に利用するようになったことで、個人の炎上や、ユーザー同士の抗争(という名の罵り合い)が可視化されやすく

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  • リアル書店で宝探しをしてみよう〜蔦屋書店、B&B - ぐるりみち。

    屋を巡るのは、楽しい。 立ち並ぶ棚の間をぶらぶらと歩きまわるのが好き。 平積みされた新刊の表紙を眺めるのが好き。 五十音順に揃えられた背表紙を追いかけるのが好き。 気になったを手にとって、ぱらぱらーっとページを捲るのが好き。 書店は、僕にとっては一種の「テーマパーク」なのです。 自然と足を運びたくなる場所 仕事を終えると、サラリーマンのみなさんは三々五々、各々が好きな場所、癒やされる場所へと散っていく。 お酒好きのお兄さんは、立ち飲み屋や行きつけのバーへ。野球好きのおじちゃんは、ナイター観戦へ。とにかくフィーバーしたい人は、ナイトクラブへ。 自分にとっての「屋」とは、そのような「自然と足を運びたくなる場所」です。八百屋で野菜を買うとか、豆腐屋で豆腐を買うとか、単純にモノを買う場所とは少し意味合いが異なる感じ。 どちらかと言えば、ファッション好きの人にとってのアパレルショップ、もしく

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  • 「自殺」に関して“個人”と“社会”の両側面から考えたい - ぐるりみち。

    *1 「自殺」というテーマは人の生き死に関わる重いテーマであり、生半可な気持ちで書いてはいけないような躊躇もありました。 1年前から積んでいて、ずっと読めていないがあり、まとめるのはそれを読んでから……と思っていたのだけれど。せっかくなので、読む前の考えをざっくりとまとめておこうと思いまする。 弱さと強さ、死を選ぶタイミング 「自殺をするのは弱い人間だ」という人がいる。が、それは全くもってナンセンスだ。問題に立ち向かう勇気がなかった。それ以外の選択肢を選べなかった。それらは個人の〈弱さ〉に起因するものではなく、“たまたまそうなってしまった”からではないかと。 自殺を「弱い」と言う人にとって、それは「逃げ」の行為に見えているんだと思う。問題を解決できないから、どうしようもないから、全てを放棄して「死」を選んだんだろう、と。当にそうかしら。 たとえ目の前にある選択肢が「自殺」だけだったとし

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  • ブログの「書き方」の3つのテンプレートをまとめてみた - ぐるりみち。

    平日はマクドナルド。100円コーヒーを飲みながらMacBook Airに向かって、ブログを書いております、私です。……マックでMac。デュフフ。なお、今は自宅で緑茶を脇に置いて、カタカタと。グリーンティー最高。我が家では綾鷹は選ばれていません。 格的に更新を始めてから、はや半年。なんとなく、自分にとっての「ブログの書き方」のようなものも生まれつつあるので、自ら整理する意味でもちょいとまとめてみようと思います。 僕のブログスタイルについて たびたび記事の中でも書いていますが、「好き勝手に書いたるぞー!」ということを信条としている僕は、基的にはその場の「ノリ」で記事を書き始め、その内容も、「思いつき」をてけとーに連ねていくスタイルでございます。 ジャンルは特に絞っているつもりはなく、なんでもあり。ただ、僕自身の興味関心の範疇として、「仕事観」「ことば」「インターネット」などの話題の割合が多

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  • 「何事も経験すべき」「やらない後悔よりやる後悔」は正しいの? - ぐるりみち。

    人生何事も経験だと言う人に腹が立ちます。 当にそうなのか? 私は、人生はいかに幸せに生きるかだと考えています。 経験は人生を幸せに過ごすための単なるツールの一つでは。 それが悪い経験ならいけないはずだ。 何事も経験という考えの人に是非、戦場にいってもらいたい。 今まで味わったことのない恐怖や苦しみを味わってほしい。 はたしてそれで人生何事も経験だと言えるのだろうか。 (人生何事も経験だと言う人に腹が立ちます。 - 当にそうなのか?私は、人生は... - Yahoo!知恵袋) こんな質問を発見した。正直、質問者さんが何に対して怒っているのかよくわからないのだけれど……たしかに、どんな場面でも誰に対しても、「何事も経験だ!」と言うのはどうなんだろう。 この言葉は、自分もよく使う言いまわしだ。例えば、誰か友達が行動に躊躇しているときに背中を押す意味で。もしくは、自分の選択に自信が持てないとき

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  • 本の感想のまとめかた|「読書ノート」を作ってみよう! - ぐるりみち。

    いつの世も「読書」を志す人は少なくない。 書店ではしばしば「の読み方」に関する特設コーナーが設けられているし、日頃から関心を持っている人は多いイメージがある。 しかし改めて考えてみると、読書がどうのこうのという話はしても、自分の「の読み方」や「感想の書き方」は、これまであまり意識したことがなかった。 そんなわけで記事では、年間何百冊もを読むわけでもなければ、専門家から文章の指導を受けたわけでもない、そのへんの「ただの読書好き」である僕の「の感想のまとめかた」を、自分なりに見直しつつまとめてみようと思います。 スポンサーリンク の読み方 まずはの読み方──と言っても、あまり特別なことはしていません。速読ができるでもなく、読む速度は人並み。強いて言えば、物語にのめり込みたいので、小分けにして読まず、できるだけ一気に読み終えるようにしているくらい。 ただしビジネスや新書に関しては

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  • 読書とアウトプットが楽しくなる!書評ブログの魅力とは - ぐるりみち。

    読書は楽しい。 でも、その感想を言語化してまとめるのも、また楽しい。 あなたが「を読む」理由は? 「を読む」ことを高尚な活動だと考える人もいるけれど、僕はそうは思いません。読書に貴賎はなく、それはいつの時代であっても自由な「趣味」であって然るべき。 と言うのも、「学び、成長しなければいけない」という焦燥感を抱きながらを読んでいては、やがて読書そのものが嫌になってしまいかねないから。嫌々ながらに読んだって集中できないだろうし、そうなれば、そこから学びを得ることだって難しくなってしまう。 だからこそ「楽しい」という、単純明快にしてポジティブな気持ちの赴くままにを読むのは、きっととっても大切。──もちろん「成長」という目標を掲げて読書をすること自体が悪いというわけではありませんので、念のため。 簡潔に言えば、僕が「を読む理由」は、「別世界に意識をぶっ飛ばすため」だ。 そこには、学びや気

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  • 小学校の「道徳」の授業について思うこと - ぐるりみち。

    小さなころからを読むのが好きだった僕は、小・中・高校とずっと、国語の授業も同じように好きだった。新しい教科書が配られたら、その日のうちに、収録されている文章を読み切ってしまうくらいに。 その一方ではは「道徳」の授業も好きで、週一度の授業を心待ちにしていた記憶がある。周囲を見れば、「道徳が好きだー!」と声高に叫ぶような人は見たことがない、マイナーな教科ではあるけれど……なんとなく好きだったのよね。そんな話。 スポンサーリンク 割と「自由」な雰囲気だった道徳の授業 周りの人に「道徳の授業って、どんなことやってた?」と聞くと、人によってまったく違う答えが返ってきておもしろい。 「国語の授業と変わらなかった」という人もいれば、「ディベートのようなことをやらされた」という人、「ひたすらNHKのビデオを見てた」人、「道徳の時間は別の授業をやってた」という人――などなど。最後のようなケースはなかなか聞

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    ami-go40
    ami-go40 2014/02/21
    心のノート。
  • 過剰な消費者意識と被害者意識が生み出す「モンスター」たち - ぐるりみち。

    photo by Roel Wijnants はてなブログ界隈で、「はてなブックマーク」に関する話題が盛り上がっているようです。アルゴリズムが変わったことで、ブログの記事が注目され辛くなったとか。 それに対して、「ふざけんじゃねえ!」と罵る人も出てきたりして、なんだかなー、と。そりゃあ、アクセスが減って残念だなー、などと思わなくはないですが、それを「被害」と称して運営にキレるのはどうなんでしょう。その辺のシステムはよく分からないので、何とも言えませんが。 問題にしたいのは、この件で「被害を受けた」と主張するブロガーさんが、少なからず存在した点。悪意ある事故に巻き込まれたとか、自分だけが理不尽を被ったというならまだしも、何が起こったかも分からないままに「被害」と言うことに、違和感を覚えました。 どんな時に「被害者」になるの? photo by Runar Pedersen Holkestad

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  • 僕が本を読む理由は「別世界に意識をぶっ飛ばす」ため - ぐるりみち。

    読みました。 先日、「電子書籍端末を買ったら、書店に行く機会が増えたよ!」という記事を書いたけれど、最近の読書に費やす時間は、少し減ったように感じる。 それなのに、リアルでもネットでも、書店では買うので、積ん読がたまっていく一方……あばば、これはいけない。年末年始は読書週間にしよう、そうしよう。 それはともかく、上記記事に書かれている「を読む意味」について。言われてみれば、あまり考えたことがなかった。せっかくなので、「読書」と「を読む意味」について、考えてみるべさ。 思春期の、を読む理由 小中学生の頃、昼休みは外で遊ぶのが大好きだったけれど、雨の日に図書室に籠ってを読むのも好きだった僕。おもしろそう!と感じたは、かたっぱしから手に取って読み耽っていたような記憶がある。もちろん、国語の教科書は先に読み尽くすタイプ。 そういえば、少し前に児童文学に関する記事を書いていた。読んでいた

    僕が本を読む理由は「別世界に意識をぶっ飛ばす」ため - ぐるりみち。