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戦争責任と資料に関するarama000のブックマーク (2)

  • 種明かしのし甲斐のない人々(追記あり) - Apeman’s diary

    先日のエントリ「こちらの振り付け通りに踊ってくれる人々」であれだけ丁寧にこちらの仕掛けを解説しておいたのに、まだいついてくれるありがたい人々がいます。 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Apeman/20130511/p1 ご厚意には応えねばなりますまい。 id:gimonfu_usr 工員募集→警察経由で日軍俘虜収容所事務所 陸軍中尉供述(所長クラス?) 特殊例か、常習的事例かお聞きしたいのです。http://www.powresearch.jp/jp/archive/camplist/gaichi_index.html http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-148.html2013/05/11 だから、なんでこのエントリの引用箇所だけを問題にするわけ? 「お聞きし

    種明かしのし甲斐のない人々(追記あり) - Apeman’s diary
  • フィリピンにおける虐殺の記憶としての記念碑 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「ワラン・ヒヤ―日軍によるフィリピン住民虐殺の記録」(石田甚太郎、1990、現代書館) (P158-172) 一九四五年一月末から三月にかけて、マニラの南部のラグナ州で起こった日軍の「ゲリラ討伐」と称する住民虐殺は、秋田歩兵十七連隊長でもあった藤兵団長の命令である。『戦史叢書60』によると、彼は次のような経過で、「ゲリラ粛正」を命令した。 「兵団長は(一九四五年)一月中旬、わが討伐中隊がサンパブロ地区で約十名の死傷を生じ、次いで同二十二日前後に集成討伐大隊が同方面で十数名の死傷を生ずるや、(一九四五年一月)二十五日、中隊長以上を会同し、『対米戦に先立ちゲリラを粛正する』命令を下した。この際、『現状をもって推移すれば対米戦を待たず自滅に至る』旨を述べ、『住民にしてゲリラに協力するものはゲリラとみなし粛正せよ、責は兵団長が負う』旨を述べた。部隊はこれにより粛正を行った」 カランバの場合、前

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