首都高速道路会社は5月30日、総事業費約1000億円を投じて更新する高速1号羽田線(東品川桟橋・鮫洲埋め立て部)の工事現場を報道陣に公開した。既に作業構台や迂回路の工事が進んでおり、来年の秋ごろから上り線の撤去に着手する。
![首都高更新の注目現場「1号羽田線」を大公開](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e100a960c21c49bde8949afc4060a19aae5c4b06/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fxtech.nikkei.com%2Fkn%2Fatcl%2Fcntnews%2F15%2F053100389%2F01.jpg%3F20220512)
私が石山修武と初めて会ったのは、二〇〇〇年五月、ニューヨークで開催されたANYという会議であった。これはアイゼンマンや磯崎新を中心に、世紀末の一〇年間、毎年、世界の諸国で、哲学者などをまじえて行われた建築家の国際会議であったが、その最終回がグッゲンハイム美術館で開かれたのである。私はこの会議に常連のメンバーとして参加したけれども、少しもなじまなかった。なじもうとする気もなかった。いつも場違いな気がしていた。 建築には古代から二つの起源がある。一つは、住居である。もう一つは神殿・王宮のようなモニュメントである。偉い建築家というのは、後者にたずさわる人たちである。現在でも住居を建てている建築家も、やがて偉くなるとモニュメントを建てるようになる。ANYに集まっていたのは、だいたいそのようなタイプであり、さらに、それを難解そうな(私から見ると幼稚な)哲学的衣装で飾る人たちであった。そんなものが私に
マグニチュード(M)7.3を記録した熊本地震の本震から1週間がたった4月23日、筆者は日経コンストラクションの取材班第2陣として、熊本県西原村にいた。構造物被害の全貌が次第に明らかになるなか、一つだけ一般の報道では確認できない被害情報があった。俵山トンネルの「崩落」だ。 本震後、阿蘇大橋の崩落と同じく、俵山トンネルの被害も何度か耳にしたが、現場の状況を映像や写真で見る機会はなかった。崩落と一口に言っても、被害状況は様々だ。覆工コンクリートの表面がはく落したのか、トンネルが圧壊したのか、現地入り当初は詳細が全く分からなかった。 自分の目で被害状況を確かめるために、23日は早朝から俵山トンネルのある県道28号へ向かった。トンネルのかなり手前で車は通行止めということは、事前の情報で明らかになっていた。 県道28号の車両通行止め付近に到着してからスマートフォンで調べると、俵山トンネルまでは6km以
<2016.04.16 追記> 熊本県での地震を受けて、坂茂建築設計がウェブサイトで「避難所用間仕切りシステム」を提供するための寄付金を募っています。この記事はもともと有料会員限定の記事でしたが、多くの人に情報が届くように誰でも読めるように変更いたしました。坂さんの活動に共感した方はシェアいただければ幸いです。 —– 建築の常識を打ち破ってきた、その革新的な「発想」はどこから生まれるのか。災害で家を失った人々のために、丈夫で快適な住居を造り続けてきた日本人建築家の素顔に迫った。 昨年ネパールで発生した大地震によって、多くの建造物が倒壊し、9000もの尊い人命が失われた。ネパールには、もともとレンガ造りの建物が多い。だが復興に際し、「住宅の再建にそのままレンガを使えば、また耐震性の弱い建物を造ることになる」という不安の声が住民たちから挙がっていた。 この問題の解決に尽力したのが日本の建築家、
坂茂建築設計+ボランタリー・アーキテクツ・ネットワークは熊本地震後の支援として、避難所用間仕切りシステムの提供を開始すると発表した。 この間仕切りシステムは、紙管と布で誰でも簡単に組み立てられるもので、カーテン布の開閉により避難所でもプライバシーを確保することができる。坂茂建築設計+ボランタリー・アーキテクツ・ネットワークは2011年の東日本大震災において、50カ所の避難所に1800ユニット(1ユニット=2m×2m)の間仕切りシステムを提供した実績がある。 坂茂はフランス・メッス市のポンピドゥー・センター別館や大分県立美術館など世界の文化施設の設計を手がける一方で、紙(紙管)や段ボールなどを使った難民キャンプシェルターをはじめ、自然災害被災者のための仮設住宅、教会などの建築に携わってきた。またオーストラリアでは地震で倒壊したクライストチャーチ大聖堂跡地に紙管によって仮設の大聖堂を建設、昨年
熊本地震への対応/Japan Earthquake Relief Project 避難所用間仕切りシステムの提供について 坂茂建築設計+ボランタリー・アーキテクツ・ネットワークでは、熊本地震後の支援として、避難所用間仕切りシステムの提供を開始します。 この間仕切りシステムは、紙管と布で誰でも簡単に組み立てられるもので、カーテン布の開閉により避難所でもプライバシーを確保することができます。 2011年の東日本大震災では、50ヶ所の避難所に1800ユニット(1ユニット=2m x 2m)の間仕切りシステムを提供しました。 Voluntary Architects’ Network (VAN) and Shigeru Ban Architects will provide Paper Partition System as a relief project to Kyushu. Assembled
「公共R不動産」とは、全国から公共空間の情報を集め、それを買いたい、借りたい、使いたい市民や企業とマッチングするためのウェブサイトです。
新国立競技場の設計者として選ばれた隈研吾氏の建築作品の紹介記事です。隈研吾氏はその作品傾向から和の大家と呼ばれています。(公開された2つのデザイン案のポイントはこちらの記事) View image | gettyimages.com 隈研吾 - Wikipedia 公式サイト kengo kuma and associates | 隈研吾建築都市設計事務所 隅研吾氏の建築作品を個人的な見方で、A.建築理論家の時代、B.負ける建築の時代、C.和の大家の時代の三つの時代に分けました。作品理解の目安的な区分です。隅建築を調べながらのざっくりとした紹介になります。 目次 A.建築理論家の時代 B.負ける建築の時代 C.和の大家の時代 A.建築理論家の時代 ポストモダンの時代でも良かったんですが、建築理論の側面から作品をつくっているような感じがしましたので建築理論家の時代としました。初期は感性で建築
■「白紙撤回」なお残る課題 様々な立場から意見が飛び交った新国立競技場の問題に関して、中立を装って自分こそは「正しい」と語ることは難しい。筆者はこれまで、世界各地の古代遺跡から現代建築まで膨大な数を見て歩き、建築家が創造した奇跡のような空間にしばしば遭遇した。その経験から、幾つかの本をとりあげよう。 そもそも、メディアが大騒ぎしたわりに、ザハとは何者か、が意外にちゃんと知られていない。いまだに「アンビルドの女王」という30年前の呼称が使われているからだ。『ザハ・ハディッドは語る』は、7回のインタビューを収録している。「ペット・ショップ・ボーイズ」のコンサートステージのデザインや展覧会の展示デザインといった仕事に加え、西欧諸国、アメリカ、中近東、アジアで実験的な建築プロジェクトに真摯(しんし)に取り組み、実現させていることがわかるだろう。実際、彼女は徹底したプロ集団というべき数百人のスタッフ
日本の廃止・休止競馬場一覧(にっぽんのはいし・きゅうしけいばじょういちらん)とは現在廃止または休止されている日本の競馬場をまとめたものである。 所在地名は廃止当時の地名で呼称。廃止年は原則として最終開催年で記述しているが、最終開催年と廃止年が異なる場合は廃止とされた年を廃止年とする。 概説[編集] 本項では中央競馬における廃止(または休止)された競馬場と地方競馬における廃止(または休止)された競馬場について述べているが中央競馬は1954年の競馬法改正により新たに発足したものであり、改正前の競馬法に基づく「国営競馬」を礎としており地方競馬とは運営主体も設立の経緯も異なるため、それぞれ分けて分類している。歴史的経緯などについては、次節で詳述する。 日本競馬の歴史について[編集] 本節では、日本における競馬の歴史をまとめる[1]。 そもそも日本の競馬というとき『続日本紀』に記載されている701年
かつて、日本には戦前・終戦直後を中心に数多くの競馬場が存在していました。それらの多くは既に廃止・休止の憂き目に遭い、人々から忘れ去られた存在となっています。このページでは、そういった廃競馬場を、現在の地図に照らし合わせてご紹介します。もしかすると、お住まいの地域の近くでも、かつて競馬が開催されていたことがあったかも??? なお、当ページに含まれる情報・画像は、ウェブ上で得られたものを基にしており、そこに管理人の想像が加わり、さらに拙いスキルも相俟って、その正確性を保証できるものではありません。また、所在地の情報を得られた競馬場のみの掲載となっており、かつて存在した全ての競馬場を網羅しているわけではありませんので、予めその点をご了承いただいた上で、かつての競馬開催に思いを馳せる材料にでもしていただければ幸いです。 画像の作成に当たっては、2010年11月時点でのGoogleマップおよび国土地
フンデルトヴァッサー ハウス ( 1/2 ) Hundertwasser Haus ウィーン、F. フンデルトヴァッサー + P. ペリカン、1986年 著名な集合住宅が並ぶウィーン ウィーンには建築史上、重要な集合住宅がいくつもあります。ひとつは初期の公営住宅にして社会主義創設者の名前を冠するカール マルクス ホーフ。ふたつめはアドルフ ロースの設計によるロースハウス。装飾を抑えて物議を醸したシンプルな建築で下階がテナント、上階が集合住宅となっています。オットー ヴァーグナーのマジョリカ・ハウス(ぴんごー版、タケ版)も見落とせません。そしてここで紹介するフンデルトヴァッサー ハウスは、ウィーンを拠点に活動していた芸術家フンデルトヴァッサーの建築デビュー作です。 機能充実の公営住宅 フンデルトヴァッサー ハウスは低所得層を対象とするウィーンの市営住宅で、日本の地方自治体の公営住宅と同じ位置
メディアで繰り返される[フンデルトヴァッサー建築デザイン批判]に思うこと。 高安正樹(有限会社スペースキッズ)/2006年3月記 2006年2月、東京放送(TBS)の「きょう発プラス」という番組で大阪市にあるフンデルトヴァッサーデザインによるゴミ焼却場と下水処理施設が「税金の無駄使いではないか・・・」ということで取り上げられたと聞きました。私はこの番組を見ていませんので、内容についてはコメントできません。 しかし、以前にも同じような批判が、あるメディアに掲載されたことがありますので、こうした批判への私の意見を以下に書いておきたいと思います。 施設の機能とは直接関係のない装飾を施したフンデルトヴァサーの建築デザインが「税金のムダ使いだ」と指摘する人々の気持ちは、私にも理解できます。しかし、彼がその建築デザインを通じて提唱した「自然と建築の共生」について考える時、大阪市のゴミ焼却場と下水
大阪府大阪市此花区にある舞洲は、約220ヘクタールにもおよぶ人工島で、その大部分を2008年夏季オリンピックの誘致活動の一環で建設された「舞洲スポーツアイランド」という公園が占めています。そのほかは企業の物流拠点や青果センターなどが立ち並んでいるいるのですが、その一角に遊園地と見間違えてしまいそうな建物があります。この建物は「舞洲工場」と呼ばれる施設で、大阪市中から運ばれてくるゴミを焼却する、いわゆるゴミ処理場になっています。舞洲工場は外観だけでなく内部も無料で見学できるとのことなので、実際に行って見てきました。 焼却工場の見学 - 大阪広域環境施設組合 https://www.osaka-env-paa.jp/kengaku/kojokengaku/index.html 大阪市此花区にある舞洲にやって来ました。 この辺りは、物流センターや工場が建ち並ぶエリアです。 その中に突如と現れるの
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