待望の翻訳である。ある程度まで問題意識を共有しつつ、これまでこの著者の数々の本を読んできた評者にとって、これは大いに歓迎すべきことである。では、いったいどこにその共感の一端はあるのか。一言でいうならそれは、「知ってるつもり」調の従来の美術史に対する深い疑念だ。 美術史家はたいてい確信をもって「絵を読み」、絵を解説する。だが、そこには常に欲求不満が残る。なぜなら、ロゴス(言葉)によってイメージを説明し尽くすこと、知性によって感性を飼い馴(な)らすことは、もとより困難だからである。しばしばイメージはロゴスを裏切り、感性は知性をすり抜ける。いわゆる正統的な美術史は、この分裂と正面から向き合うのを避けてきたのだが、著者はむしろあえてその分裂から出発しようとするのだ。 では、そのことによっていったい何が変わるというのか。筆者には以下のような強い確信がある。すなわち、絵画は本来、安定した構造というより