1991(平成3)年2月10日、一人のドイツ人哲学者の訃報が、朝日新聞に掲載された。彼の名はオットー・フリードリッヒ・ボルノー。享年87歳。彼の死が日本の新聞に掲載された背景には哲学者、教育学者としての業績もあるが、何より日本における哲学研究に多大なる影響を与えたことがある。玉川学園とボルノーの間にも、強い結びつきがあった。 オットー・フリードリッヒ・ボルノーは1903(明治36)年、当時のドイツ領のシュテッティン(現ポーランド)で生まれた。ゲッティンゲン大学で結晶の格子理論など物理学と数学を学ぶ。当時のボルノーを指導したのはマックス・ボルン教授。ボルンは1954年に波動関数の確率解釈の提唱によりノーベル物理学賞を受賞している。ボルノーの人生に大きな変化が生まれたのは、教育者であるパウル・ゲヘープが設立した田園教育塾、オーデンヴァルトシューレで教鞭を執る機会を有したことにあった。「これが私
最近あちこちの会合で「ガバナンス」ということばを何度も使った。しかしなかなか理解してもらえない。それでこの機会に、手もとにある文章を要約してみることにした。といっても、「ガバナンス」は「強者の論理」であるという批判(後出河野編収録の御巫由美子論文)があることを知らないわけではない。つまるところ「強者」「弱者」の定義次第ということになるが、「弱者」によるガバナンス、あるいは「弱者」に権利を与えるガバナンスも考えられないこともないだろうと思って、この概念を使い続けている。 経済学におけるコーポレート・ガバナンス分析の開拓者であるO・ウィリアムソンは「ガバナンス」を「良好な秩序と作動可能なしくみ」ときわめて広義に解して、<制度的環境-ガバナンス-諸個人>という3層の図式を示している。(The Mechanism of Governance, Oxford U.P.,1996)ガバナンスの状態は、
ランチェスター法則は1914年10月2日に書かれた 英国人で40歳まで自動車会社の社長だったフレデリック・ランチェスターは、1914年7月28日に勃発した第1次世界大戦のおよそ2ヶ月後の10月2日、45歳の時にピタゴラスの定理にインスピレーションを得て、2つの法則を発表しました。 これが後に、競争の法則と呼ばれるようになった「ランチェスター法則」です。 若い頃に、自動車エンジン製作に関していくつも特許を取ったり、26歳の頃には航空力学の理論も研究して1910年に2冊の本を出版していたランチェスター先生は第1次世界大戦が勃発したことに刺激を受け、飛行機の将来性や地上の戦闘における力関係などを考察し、これをイギリスの技術雑誌に1914年9月~12月の4ヶ月間にわたって連載しました。 ランチェスター法則に関する記事は、10月2日と10月9日の日付で2回にわたって書かれており、法則を考えついたヒン
すばらしき共著本、2冊目は、酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生・小宮友根編『概念分析の社会学 2――実践の社会的論理』(ナカニシヤ出版、2016年)です。 同じくナカニシヤ出版から2009年に刊行された『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』の続編。充実した紹介ページはこちら。 著者のうちのお二人からお送りいただきました。ありがとうございます。 手にとって、「はじめに」「ナビゲーション 1〜 4」「おわりに」と、全14章の論考のなかから福祉/教育がらみの数章にざっと目を通しただけですが、これはなかなかです。前著もそうでしたが、論文集でありながら1冊の書物としての完結性、といいますか完成度が高い。それと同時に、各章それぞれの議論の密度も高く、上述のように著書の一部分だけを、それも流し読みしただけでたいへんに脳みそが疲労いたしました。各論考の圧縮率がやや高くてたいへんそうな気もしますが
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く