社会活動家として、日本の貧困問題に取り組んでいる湯浅誠氏。2008年の年末、リーマンショックに端を発した“派遣切り”への緊急手段として、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」を設置し、村長を努めた人である。そんな湯浅氏が社会活動家になったのは、障害を持つ兄がいたことが大きな理由だという。幼少時代の湯浅氏の心に、果たしてどんな考えが芽生えたのだろう? 文責/みんなの介護 自己紹介は「バクダン、つくってません」 みんなの介護 社会活動家というと、何だか怖い人というイメージで見られることが多くないですか? 湯浅 多いですよ。社会活動家というのは職業名でも何でもなくて、英語で言えば「Social activist(ソーシャル・アクティビスト)」。欧米では公の場で「私はアクティビストです」と自己紹介する人はけっこう多いんですけどね。 ただ、日本ではいろいろな方とお会いする中、「バクダン、つくってません」