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ブックマーク / furuyatoshihiro.hatenablog.com (4)

  • 抽象表現主義と絵画の終点 - 偽日記@はてなブログ

    ●ぼくが美術に格的に興味をもったのは抽象表現主義からで、現在でもその影響を否定するつもりはない。しかし、抽象表現主義とその周辺、つまり50年代から60年代のアメリカ型フォーマリズムの絵画や批評が、あたかもモダニズムの最終到達点であり、モダニズムの様々な問題がそこに集約されているかのような考え、つまり戦後のアメリカ型フォーマリズムを批判し乗り越えることがモダニズムの批判として有効であるような考えには納得出来ない。当に戦後のアメリカ美術が、19世紀から20世紀初頭までのヨーロッパで起こった様々な美術における達成と同等なものと言えるのかどうかがまず疑問だ。だいたい抽象表現主義というのはかなりずるいやり方をしている。それは、画家が自らの技巧や創造性を磨くことによって作品の質を高め、偉大な作品へと至ろうという過程をすっとばして(つまり彼らには画家としての技量に自信がなかったのだ)、メタレベルにた

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    ●デランダを読んでいてルーマンが気になった。自己言及(自己記述)がないところには心身問題が発生しない。自己言及がないとすれば、個体を「一つのもの」と認定するのものが「それ自身」以外の別の誰か、ということになる。とはいえ、自己言及というのは、自己物象化でもあると言えるのか。以下、引用、メモ。『二クラス・ルーマン入門』(クリスティアン・ボルフ)より。 《ルーマンの構造概念は、たとえばマルクス主義であれば想定するであろう社会の基礎的な経済構造のようなものを意味するわけではないことを確認しておくことは重要である。ルーマンにとって、構造とは予期のことである。予期は、システムがその作動をどのように選択するかということに関して、選択の安定性をもたらすものである。「予期は、可能性の範囲を限定することで存在するようになる。最終的には、予期とはこの限定そのものである」》 《もちろん予期は裏切られることがある。

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    contractio
    contractio 2016/01/08
    デランダが気になった。
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    ●「現代思想」ニーチェ特集の郡司ペギオ幸夫のテキストがすごい(「不動点としての永遠回帰・内在平面としての永遠回帰」)。郡司ペギオ幸夫のテキストとしてはわりと分かり易い方で、一回読んだだけでだいたい何を言っているのかは分かった(気にはなれた)。出てくる数理的なモデルもシンプルなものなので、数学に弱いぼくでもついてゆけた。しかし、シンプルなモデルをいくつか組み合わせただけで、こんなにすごいことが言えるのか、と驚くというか、すかんと何かが突き抜けた感じにさせてくれるものがある。使われているモデルは抽象的なものだけど、このテキストが言っているのは、「超人って普通に成れちゃうものだから、なっちゃおうよ」ということだとも言えて、とても実践的なテキストであるようにも感じた。 ≪脱構築された永遠回帰を、自然科学、数理科学の文脈で展開する。それこそが、現代においてなされるべきことだ。生成=存在は、絶えず意味

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    contractio
    contractio 2013/02/05
    「こうして、数多の哲学は分析哲学化し、自然科学など他の知的営為が、生成=存在に走り、徒労に終わって時間を浪費しないよう、目を光らせる。このとき哲学は、実在する双対図式の番人となる」 分析哲学も大変だな
  • 西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号) - 2012-08-02 偽日記@はてな

    ●西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号)を興奮しながら読んだ。エスキース的にサクサクッと書いてあるけど、細部を詰めてゆけばこれだけで充分一冊のになるんじゃないかというくらい様々な示唆に富んでいる。 ●ぼくはまずこれを何より「芸術」の問題として読んだ。 ●「笑い」はシステムではない。それはシステムに内包されない一度きりの出来事である。しかし、にもかかわらず「笑い」はシステム内に階級を生み、それを固定すらするように作用する。《笑いを対話の中での不確実性の露呈および、その「上手い」処理》だと解釈する。システムに属さない(システムを危うくする)不確実性は「笑い」によってシステム内に取り込まれ、それは内部の構造を変え得る。その意味で笑いは革命的である。しかしその時「笑い」は、「上手く笑いをとれた者への信用」へと変換されて固定され、階級となる。 《

    西川アサキ「形から逃げ出す生命、ガタリの夢、自身の死を悼むシステム」(「現代思想」8月号) - 2012-08-02 偽日記@はてな
    contractio
    contractio 2012/08/03
    「Xはシステムに内包されない一度きりの出来事だ」みたいな仕方でシステム概念を規定する人は、「その出来事は なぜそんな形で生起することが可能だったのか」という問いを問うたことがないんだろうなー。
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