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ブックマーク / call-of-history.com (39)

  • 「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ

    1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー

    「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ
  • 「オカルトの帝国―1970年代の日本を読む」一柳 廣孝 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    映画、TV、小説、アニメ、マンガ、ゲームなどのサブカルチャーから宗教・思想さらには日常生活の隅々までオカルトは薄く広く拡散している。日におけるオカルトの広がりのルーツを辿ると1970年代に行き着く。では、現代日という「オカルトの帝国」の原風景といえる1970年代のオカルトの大流行はどのようなものであったのだろうか。「閉ざされた知であるオカルトが白日の下にさらされた1970年代」を描く論文集である。 ただし、絶版。ひと通りネット書店を見て回っても購入することは出来ないようなので、興味がある方は図書館か古書店で。 目次 第一部 オカルトの日 第一章 オカルト・ジャパン・シンドローム――裏から見た高度成長 第二章 小松左京『日沈没』の意味 第三章 ディスカバージャパンと横溝正史ブーム 第二部 メディアのなかのオカルト 第四章 エクソシスト・ショック――三十年目の真実 第五章 「ノストラダ

    「オカルトの帝国―1970年代の日本を読む」一柳 廣孝 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著

    昭和二十年(1945年)八月十五日正午、玉音放送が流れ大日帝国臣民は敗戦を知らされた。大日帝国の崩壊はただ日の敗北を意味するだけではない。大日帝国の崩壊によって大日帝国による植民地支配体制が崩れ、新しい国家、新しい国際秩序が東アジア地域に誕生することになった。その八月十五日前後の経過を通して大日帝国下の日、朝鮮、台湾、満州、樺太・千島、南洋諸島、東南アジア諸地域が迎えた敗戦と変化を概観した一冊。 まず序章としてポツダム宣言の公表に至る諸国の駆け引きが、第一章ではそれを受けての日政府の対応が描かれる。 ポツダム会議の議題はヨーロッパの戦後処理とともに唯一抗戦する日をどうするかであった。米国内では天皇の地位を保障して早期停戦に持ち込むべきとするグルー国務次官・スティムソン陸軍長官派と天皇の地位保障を盛り込むべきでないとするバーンズ国務長官・ハル前国務長官の無条件降伏派との対立

    「『大日本帝国』崩壊 東アジアの1945年」加藤聖文 著
  • 「臨時軍事費特別会計 帝国日本を破滅させた魔性の制度」鈴木 晟 著

    太平洋戦争へ至る過程で軍部の台頭を許した大日帝国の制度的欠陥の一つが「臨時軍事費特別会計」である。 臨時軍事費特別会計は大日帝国下で戦時に戦費支出目的で定められる特別会計制度で日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦・シベリア出兵、日中戦争(支那事変)・太平洋戦争の四度設けられた。それぞれの支出額は日清戦争:約二億円、日露戦争:約十五億円、第一次・シベリア:約八億八千万円、日中・太平洋戦争:約一五五三億九千万円。 その特徴は 「一般会計とは異なり、いずれも戦争の勃発から終結までを一会計年度とし不足分は追加予算で補われる」(P90)こと「戦争の終結までが一会計年度であるので、その間に陸海軍省は議会にたいして決算報告の義務がない」(P96)ことである。 臨時軍事費特別会計法(昭和十二年法律八十四号) 第一条 支那事変ニ関スル臨時軍事費ノ会計ハ一般ノ歳入歳出ト区分シ事件ノ終局迄ヲ一会計年度トシテ特

    「臨時軍事費特別会計 帝国日本を破滅させた魔性の制度」鈴木 晟 著
  • 「憲法で読むアメリカ史」阿川 尚之 著

    アメリカ政治を語る上で欠かせないのが司法の動向である。違憲立法審査が形骸化し、せいぜい刑事事件でしか馴染みがない日の裁判からは想像できないことだろうが、アメリカでは多種多様な法律について訴訟が提起され最高裁判所が違憲・合憲の判断を行い、その判決が時にはアメリカ政治・経済・社会の動向を大きく左右する。 書は、その強い司法がいかにして成立したのか、また憲法を巡る判断がアメリカ史にどのように影響を及ぼしたのかについて、憲法と司法からみた建国から現代までのアメリカ歴史を通観する、非常に勉強になるぜひとも読んでおきたい米国憲法史入門である。特に日人にはあまりなじみが無い米国史上の代表的な裁判官の人となりも深く描かれ米国裁判官列伝の様相で、憲法史入門としてだけでなく読み物としてもとても面白い。 残念ながら絶版のようなので、いや、これ絶版にしたらいかんだろレベルのだと思うのだけれど、古書な

    「憲法で読むアメリカ史」阿川 尚之 著
  • 「宮本武蔵 (人物叢書)」大倉 隆二 著

    メジャーからマイナーまで歴史上の人物の手堅い評伝シリーズで知られる吉川弘文館人物叢書、2015年2月の新刊が宮武蔵だったので早速読んでみた。 現在、一般的に知られている宮武蔵像は江戸時代に作られた真偽不明の武蔵の伝記類をベースにし、歌舞伎等の大衆演劇や小説映画、ドラマ、マンガなど様々な創作によって形作られていて、ほぼ虚構といっていい。一方で、では史実の宮武蔵がどのようなものかというと、これまた残された史料が数少なく非常に曖昧でよくわからない。実際、生年月日も出身地も生い立ちもなにもかも、諸説あってよくわからないのである。書は、そのよくわからない宮武蔵像に、虚構を出来る限り排して史料から迫ったもので、とても興味深く、面白かった。 宮武蔵は天正十年(1582)か天正十二年(1584)に美作か播磨で兵法者新免無二斎の実子または養子として育ち、無二斎に武術を学んで十三歳から二十八、九

    「宮本武蔵 (人物叢書)」大倉 隆二 著
  • チンギスの称号はカン?ハン?カーン?ハーン?

    モンゴル帝国の建設者、「蒼き狼」の異名でも知られる歴史上屈指の「世界征服者」というと、チンギス・・・カン?ハン?カーン?ハーン?ということで、混乱する彼の称号について簡単にまとめ。 歴史学上正しい呼び方はチンギス・カン結論からいうと、歴史学上正しいのは、ちょっと前までチンギス・ハンだったが今はチンギス・カンである。 「カン(ハン)」はトルコ系・モンゴル系遊牧民が用いていた称号で王や族長を表す。ここでやっかいなのがモンゴル語の発音では丁度「カ」と「ハ」の間の発音であることで、時代によってカに近かったりハに近かったりするが、近年の研究でチンギスが生きていた十三世紀は「カ」に近い音だったことがわかった。一方で、現代モンゴル語ではカンではなくハンと発音するが、モンゴル史では当時の発音に則ってほぼ「チンギス・カン」と呼ぶことが定着しつつある。 また、「カーン(ハーン)」について、それぞれの部族の長が

    チンギスの称号はカン?ハン?カーン?ハーン?
  • ケープ植民地から南アフリカ連邦成立までの歴史まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    アパルトヘイト体制成立に至る南アフリカ史の簡単なまとめで、とりあえず1910年の南アフリカ連邦の成立までを大まかに。 オランダ領ケープ植民地十五世紀末まで南アフリカはヨーロッパと隔絶された地であったが、1497年ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でのインド航路を開拓すると、まずポルトガルが、続いて十六世紀末までに欧州諸国が相次いでアジアへと進出する。南アフリカは航海の難所であったため補給地としてそれほど重視されていなかったが、十七世紀に入り、スペインとオランダとの海上覇権争いが熾烈なものとなると、オランダ東インド会社(VOC)は南アフリカに中継拠点を築くことを考え、1652年、ヤン・ファン・リーベックによってケープ半島とテーブル湾一帯に植民地(オランダ領ケープ植民地)が築かれた。 当初のVOCの目的は現地民との交易で船舶の水・糧や薪等を調達することだったが、周辺のコイコイ人部族にはそのニーズ

    ケープ植民地から南アフリカ連邦成立までの歴史まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 大正末期の無名の娼妓の手記と近代公娼制度について

    こちらも以前読んだのだが、当時の娼妓の生活が垣間見えてとても興味深い内容になっているので当時の風俗を知りたい人にはとてもオススメ。学歴は無いが石川啄木の詩集片手に逍遥するような文学少女だったらしく、日記の端々から溢れ出る光子の知性と教養が、過酷な生活の中で、いや、だからこそ輝いていて尊厳すら感じさせる。 「東京の下層社会」では光子の稼ぎは月300円程度としているが、日記ではある月の娼館での娼妓売上ランキングが紹介されていて彼女は408円を売り上げて第五位に入っており、四位とは6円差に対して六位とは40円差なので、同館でも人気の花魁さんだったらしい。日記を読んでいても非常にクレバーな受け答えをしていて、確かに人気が出るだろうなと思わされる。 例えば、女工に比べれば娼妓は好きな着物来て、性欲にも不自由せず楽なもんだろうと偉そうに見下して言ってくる客に対しての痛烈な返し。 『妾(わたし)達を御覧

    大正末期の無名の娼妓の手記と近代公娼制度について
  • 「桃源郷――中国の楽園思想」川合 康三 著

    苦しみの無い世界=理想郷の希求は人類誕生以来の、いかなる時代も地域も国も人種も超えた普遍的な願いであった。キリスト教的なパラダイス(楽園)の概念は、十六世紀英国の作家トマス・モアによって名付けられたユートピアの誕生によって、苦しみの無い世界の社会・共同体のあり方がどのようなものかを描くことに軸足が移る。「ユートピア」の希求は清教徒革命、アメリカ独立、フランス革命と産業革命を通じて社会的平等と公正を重視した理想社会を浮かび上がらせて社会主義を胚胎し、やがて近代社会に大きな影響を与えた。 一方、日にも大きな影響を及ぼしてきた中国では、楽園はどのような描かれ方をしてきただろうか。書で描かれるのは、桃源郷を始めとする様々な中国の楽土=楽園思想である。 現実ではないもう一つの世界として、古代から不老長生を実現できる「神仙界」がどこかにあると考えられた。秦の始皇帝を始めとする帝王たちは不老長生の薬

    「桃源郷――中国の楽園思想」川合 康三 著
  • 米国保守派の中核「ニューライト」を生んだ4人の保守主義者

    序 「リベラルの時代」一九三〇年代、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策を支持した諸勢力は第二次大戦後も「ニューディール連合」と呼ばれ民主党の支持基盤として強固な組織力を発揮し、戦後の高度成長に支えられ、六〇年代にかけて民主党政権主導の「リベラルの時代」を現出した。 「リベラルの時代」は高福祉の実現、公民権運動による黒人の地位向上、さまざまな差別の撤廃に向けた市民運動の興隆などをもたらしたが、他方、福祉政策の急拡大とベトナム戦争などの軍事予算の増大は巨額の財政赤字を生み、アファーマティブアクションやカウンターカルチャーの隆盛などもあいまって「行き過ぎたリベラル」に対する反発が保守的な人々の間に少しずつ広がっていっていた。 第一章 フランク・メイヤーの「融合主義」戦後米国の反リベラルな立場としての保守思想は「伝統主義」と「リバタリアニズム」の二つの潮流に収斂されていったという

  • 「革命前夜の地下出版」ロバート・ダーントン 著

    フランス革命前夜、十八世紀のフランスにおいて禁書、海賊版を流通させる地下出版の国際的なネットワークがあった。誹謗中傷、反権力、ゴシップ、性的・政治的ポルノ・・・およそ低俗とされる様々な出版物が、スイスなどフランス国外で印刷され、密輸業者によってフランスに運び込まれ広く行き渡る。その著者となったのが啓蒙思想家に憧れながら、啓蒙思想家になれず、階級社会の底辺でうごめく三文文士たち、いわゆる「どぶ川のルソー」たちで、い詰めた彼らの活動が、やがて革命を準備していく。 書は「の大虐殺」で名高い歴史家ロバート・ダーントンが幅広く史料を渉猟して1982年に書き上げたフランス革命研究の基書の一つで、後にアナール学派を代表する歴史家ロジェ・シャルチエとの論争でも話題になった。しかし残念ながら絶版。 (2015年10月に岩波人文書セレクションから再販されました) ヴォルテール、ディドロ、ダランベール、

    「革命前夜の地下出版」ロバート・ダーントン 著
  • 「イラク戦争は民主主義をもたらしたのか」トビー・ドッジ 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    2014年6月に建国を宣言して以来半年、極端なジハード(聖戦)主義とサラフィー(復古)主義をむき出しにした組織ISILがシリア・イラク地域を中心として中東を席巻しつつある。しかし、彼らはなぜ、イラクに登場してきたのか。 2003年のイラク戦争は、終結後、米軍の駐留にもかかわらず大規模な内戦をイラクに引き起こした。書は2005~2007年のイラク内戦勃発要因と、その後2012年までのイラクの安定化とマーリキー首相による強権的体制の成立、そして様々な不安定化要因について整理・分析した、「ISIL以前」を理解するのに最適の一冊だ。 第二次世界大戦以後におきた世界各地の内戦には3つの推進要因があるという。すなわち 1)非国家行為主体による暴力の利用を助長する社会のイデオロギー的傾向 2)国家の行政機構および警察・軍事機関の脆弱性 3)政治を形づくっている憲法的枠組みの性格 この相互に関連しあう内

    「イラク戦争は民主主義をもたらしたのか」トビー・ドッジ 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    1879年、およそ四百五十年に渡り続いた琉球王国は日に併合(「琉球処分」)され滅亡した。滅亡後の琉球=沖縄は明治政府の支配下で伝統的共同体の崩壊と社会基盤の弱体化を招き、移民が認められた1900年代以降、大量の海外移民が送り出されていった。1940年の統計では海外移民のうち沖縄出身者は五万七千人、数だけなら広島・熊に次ぐ三位だが、県の人口比では広島3.88%、熊4.78%に対し沖縄9.97%でとびぬけて多い。全国平均で100人に一人が移民となったが、沖縄は10人に一人の割合であり、1920年代以降沖縄県出身移民は全国の移民の約20%前後を占めた。その中でもハワイへの移民が非常に多い。 書は著者が1970~80年代に行った、まだ存命の頃のハワイ移民一世~二世への聞き取り調査の記録と、琉球王国の滅亡から二十世紀初頭までの移民を押し出す要因となった社会的背景について描いた一冊である。

    「琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)」鳥越 皓之 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて英米を中心に隆盛を迎えたのが心霊主義(スピリチュアリズム)である。近代的な思想運動として始まった心霊主義は第二次大戦後衰退するものの、60年代のニューエイジ、70年代のオカルトブーム、80年代以降の新宗教運動などを始めとして文化、学問、思想など現代社会の隅々に大きな影響を残している。その心霊主義はどのような過程で広がっていったのか、十九世紀の心霊主義進展の見取り図を描く一冊である。 心霊主義の見取り図といっても、その範囲はあまりに広く、その思想は限りなく深く難解だ。様々な研究書・概説書が出ており、そのアプローチは多様である。書では心霊主義を『合理主義という時代環境の中で誕生史、成長し、変容していった<自己>宗教の一つ』(P9)と捉え、『心霊主義の社会精神史的な意義を(ⅰ)骨相メスメリズム、(ⅱ)社会改革、(ⅲ)神智学(ⅳ)心理学(ⅴ)田園都市という五つ

    「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「ノストラダムス―予言の真実 (「知の再発見」双書)」エルヴェ・ドレヴィヨン,ピエール・ラグランジュ著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    諸宗教の聖典・経典を除けば、十六世紀フランスの医師・占星術師・詩人であるミシェル・ノストラダムス(1503~66)によって書かれた「予言集」は世界で最も読まれたの一つに挙げられるだろう。単なるオカルトブームの書籍としてだけでなく、多くの人がその文章に何らかの意味を見出して、それがときに人々の生死を左右するほどの悲劇を呼ぶことにもなった。 ノストラダムスに関しては、世界の終末を始めとする現代までの様々な事件を予言した予言者として信奉するか、インチキ予言者として弾劾するかの二項対立が続き、ブームの中で必ずしも学術的な分析が進められてこなかった経緯がある。運命の1999年も過去のものとなり、近年、ノストラダムスを彼が生きた十六世紀フランスという歴史の中に位置づけて格的に研究・実証することが出来るようになってきた。その、歴史の中のノストラダムスと彼の予言集はどのようなものとして位置付けられるか

    「ノストラダムス―予言の真実 (「知の再発見」双書)」エルヴェ・ドレヴィヨン,ピエール・ラグランジュ著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」エドワード・ベラミー 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    1888年に米国で出版され、「アンクル・トムの小屋」と並ぶ大ベストセラーとなった小説にエドワード・ベラミー(1850~1898)の「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」(原題:”Looking backward 2000-1887”)という作品がある。1887年から2000年のボストンへとタイムスリップした上流階級の男性が体験する113年後の世界を描いたユートピア小説で、知識人から大衆まで大ブームとなり、二十世紀に入っても「最も影響が深い二五冊の書物」としてマルクスの「資論」に次ぎ第二位に選ばれたという。 間長世による書の解説「ベラミー『かえりみれば』の現代性」によれば、エーリッヒ・フロムは書を評して『ベラミーのユートピアは、その根的要素のほとんどすべてにおいて社会主義のユートピアであり、多くの点においてマルクス主義的ユートピアであることは、ほとんど疑問の余地がないと述べて

    「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」エドワード・ベラミー 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー

    伊藤大一(2003)「ブレア政権による若年雇用政策の展開 若年失業者をめぐる国際的な議論との関連で」、同じく伊藤大一(2003)「イギリスにおける「アンダークラス」の形成 ブレア政権における雇用政策の背景」において、英国のアンダークラスとは何か、についてMacDonald.R.(1997)の説を以下の通り紹介している。 『「アンダークラス」とは、「社会的、経済的変化――特に脱工業化(de-industrialisation)――や、文化的行動諸パターンを通して、一般に正規に雇用された労働者階級や社会から、構造的に分化され、文化的に区別されるようになった階級構造の底辺に位置付く人々の社会グループないしは階級であり、かつ現在では、固定的に福祉給付に頼り、ほぼ永続的によち貧しい諸条件や地域の中で、生活するように限定された社会グループないしは階級のことである」』 統計上の失業者であると同時に、就業

    イギリスのアンダークラスとは何か、その形成過程について | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 愛と赦しの全体主義的宗教共同体アーミッシュについて

    アーミッシュの誕生前史アーミッシュの信仰は十六世紀、宗教改革時に登場した「アナバプテスト(再洗礼派)」に遡る。一五三三年、神聖ローマ帝国の都市ミュンスターの人々が幼児洗礼を拒否し成人した者たちが自らの意志で洗礼を授けあい聖書の記述を厳格に守る共同体を構成しようとするアナバプテスト運動を起こす。この運動はすなわち、当時の社会体制――生まれながらにその都市や共同体に所属しなければならない――への反逆を意味したから、政治権力はもちろんカトリックだけではなくプロテスタント主流派からも激しく迫害を受けた。 十六世紀を通じて殉教した西欧のキリスト教徒の四〇~六〇%が再洗礼派の人々であったと言われる。一五四〇年代にメノ・シモンズという指導者に率いられて再洗礼派の主流派となる「メノナイト(メノー派)」が登場、一六九三年には社会に妥協的なメノナイトに反発する形でヤーコブ・アマンを指導者とする一派が分派。彼ら

  • 1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史

    スコットランド王国成立前史およそ八世紀頃までにスコットランドには主に五つの民族が定住するようになった。ピクト人、スコット人、アングル人、古代ブリトン人、ノース人である。他にもノルウェー人やデンマーク人なども移住してきており、それぞれ複数の王国、部族に分かれて争っていたが九世紀半ばにスコット人のダルリアダ王ケニス・マカルピンがピクト人を支配下に治め(あるいはスコット人とピクト人の統合によって)アルバ王国が成立し1034年までに諸民族を糾合、十二~三世紀頃までには現在のスコットランドにあたるブリテン島の北半分にはスコット人の王に従う統一王権スコットランド王国が誕生していた。 1066年、ノルマン・コンクエストによってノルマン朝が誕生すると、スコットランド王国との間で幾度かの戦闘ののち、友好関係が成立した。デイヴィッド1世(在位1124~53)の代に先進的なイングランドの国制に倣って封建制の導入

    1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史