道徳的知識の可能性を問うことが重要なのは、道徳がしばしば内省としてでなく他者への介入や非難として現れるからである。本書ではこれを形式的な道具立てによって精緻に問い、道徳について知ることは困難であると論じる。また道徳的実践をどうすべきかをめぐって、フィクションとしての道徳の再編成と道徳の廃絶の二つの道を探る。 ◎けいそうビブリオフィルで本書の一部内容を公開しています。 あとがきたちよみ『道徳的知識への懐疑』 まえがき 序 章 道徳懐疑論にむけて 1 道徳懐疑論の簡潔な分類 2 モラリズムと道徳の権威 3 倫理の自律性と道徳認識論 4 以降の見取り図 第1章 知識の実践性と注文の多い道徳 1 知識の実践性と可謬主義 2 知識の実践性と認識的確率の閾値 3 注文の多い道徳と外界存在 4 結論 第2章 直観主義と自明性――直観主義の諸問題(1) 1 穏健な基礎づけ主義,あるいは直観の必要性 2 R
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