教育委員会の中立性と公共図書館 朝日新聞 「「橋下知事は教育介入を」 府内市長から共感、賛同」(2008.9.17) 「地方分権すればするほど、教育委員会の中立性は薄まるべきだと考えている」…地方分権と教育委員会の中立性は制度上無関係なはずだが、なるほど教育委員会制度そのもののあり方まで地方に委任すれば、このような首長の下では間違いなく教育は「中立」ではなくなろう。 今更、戦時の反省から教育委員会の中立性を論じても実論にはならないだろうが、現状の教育委員会制度による教育の中立性は、民主的社会における教育には中立を軸とした「多様性の創造と許容」が不可欠だからその存在意義がある、と私は解釈している。つまり、教育=将来の社会が二元論に基づき1つの方向にしか向かない状態、これが最も危険だからこそ、その中立性が担保されているのだと思う。 選挙による多数決で1人が選ばれる首長の手に教育を渡すと
橋下知事に宣戦布告。教育は点数だけではない―吹田市長2008年9月19日12時23分印刷ソーシャルブックマーク 全国学力調査の結果をめぐり、大阪府の橋下徹知事が強く求める市町村ごとの平均正答率の公表について、同府吹田市の阪口善雄市長は19日、記者会見し、公表に反対する意向を市教委に伝えたことを明らかにした。「教育で点数だけに焦点を合わせる馬鹿なことはできない。知事に対する宣戦布告です」と話した。 橋下知事の意向を受けて府教委は10日、市町村教委に平均正答率の公表を要請。これまでに堺、東大阪市など5市教委が公表を決めている。 これについて、阪口市長は「公表の雪崩現象が起きている」とし、「教育の本質の論議が失われている。アホな大騒ぎにつきあっていられない。点数だけで評価できないのは自明の理。学校が塾になりかねない」と持論を述べた。 橋下知事は公表するかどうかを予算編成の「重要な指標にする」とし
「そんなことをいうんだったらとーだいせいがとーだいをほーむれすにあけわたしたらいいとおもいまーす」なんてアホな意見をチラッと。 学歴コンプレックスもここまで行くとギャグだな、もはや何を言いたいんだか、さっぱり。 誰かが立派なのは「とーだいでた」からではなく、その学歴を経て、何かを確実に得ているからだろうにね。 洗脳は好きでも啓蒙は嫌い、あるいは啓蒙と洗脳の違いもわからない人というのがいるものだな。 教育格差をどうにかしよう、の意見をよくネットで拾い読むのだけれど、 具体的に、底辺を底上げする難しさをこういうことを平気で書ける人を見ると思う。 「とーだいせいをばかにできるおれってとーだいせいよりぜったいえらい、えっへん」みたいな、 「聡明」そもそもの意味から教えないとなにも「わっかりーませーん」って、うちの子の中学にいるんだ、この手のがいっぱい。 「べんきょうばっかりしているからえらいとおも
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080917/p1 にブクマコメントをくれた id:aksumi 氏へ。 "「人間が歴史の中で戦ってきた過程」の「重み」が自明性を支えている" これには全面的に同意./でも一方、「医療」「経営学」では「かわいそう」から問い直すことを要求するのはどうだろう. 全然レベルの違う事柄をごっちゃにしておられますね。福耳氏のエントリに端を発する論争(および論争モドキ)において、医療(医学)なり経営学なりの個別の知見をゼロから問い直せなどと主張する人間はいませんでした。シベリア抑留については何も調べたことがなくてもその自明性を疑わない人間が、南京事件についてのみその自明性を疑問視するというのは、たとえて言うなら「生産性の低い部門から高い部門へとリソースを移した方がよい」という主張を百貨
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