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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (32)

  • 「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」 | 私にも話させて

    「川崎市:朝鮮学校に横田さん著書支給へ 補助金未執行分で」 http://mainichi.jp/select/news/m20130220k0000m040100000c.html 上の記事を読んで驚いたのだが、この阿部孝夫・川崎市長が、通学する子供に対して、拉致の責任がお前たちにはあるとレッテル貼りする行為をやっておきながら、「子供に責任はなく、川崎市民であるので教育の保障をしていくことは重要。教育そのものへの支援をやめるのは極端だ」などと白々しく弁明している点は、今回の行為がどれほど破廉恥なものであるか、市長自身が薄々気づいていることを示している。 しかし、川崎市長は氷山の一角であって、今回の措置を支える認識が日社会には恐らく定着しているのではないか、と思わせられてしまう状況であることこそが恐ろしい。例えば、日を代表する大手出版社である文藝春秋が、一般向けの「文春新書」の一冊とし

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  • リベラル・左派の小沢支持について | 私にも話させて

    1. 佐高信が『金曜日』の最新号(2010年9月10日売)で、また愚かしいことを書いている。来、取り上げるにすら値しない内容だが、リベラル・左派の小沢一郎支持という現象とその意味について考える上でよい材料なので、簡単に触れておく。 佐高信「敵から見たら」 http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=1354 佐高はここで、自身の福沢諭吉への高評価とその福沢理解について、安川寿之輔から批判(といっても軽くたしなめられた程度なのだが)されたことに関連して、安川を批判している。その内容自体は、(かつての?)佐高ファンの方が「安川教授も脱力しているか、苦笑いしているかでしょう。おそらくは雁屋哲さんが再反論されるでしょうし、その時佐高信さんは蜂の巣にされることはもう目に見えて明らかです。」と正

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  • 「国民」の否定形としての「市民」 | 私にも話させて

    1. 昔から思っていることであるが、アカデミズムやマスコミ、(ネット)論壇周辺の在日朝鮮人(亜)インテリ、特に日社会に対して批判的(「反日」的)な在日朝鮮人は、個別の日人に対しては驚くほど無防備である。彼ら・彼女らの話を聞いたり言動を見たりしていると、日人は、「差別的な一般の悪い日人」と、「差別意識を持っているはずのない良心的日人」の二つに截然と分かれているようである。彼ら・彼女らには、そのような場とは無関係な、取り立てて「反日」的でない普通の在日朝鮮人が往々にして持っている「所詮日人だから・・・」という感覚・認識がない。 90年代以降に在日朝鮮人(亜)インテリがアカデミズムや(ネット)論壇周辺で消費されてきたのはなぜかというと、上のような認識を持っている在日朝鮮人(亜)インテリと付き合うことによって、「良心的日人」は日国民としての政治的責任、という問題系を回避できるからだ

    「国民」の否定形としての「市民」 | 私にも話させて
  • 「日の丸」論議について(1) | 私にも話させて

    このところ、日の丸・君が代訴訟で教員側の敗訴が相次いでいるが、いくつかの論評を見てつくづく思ったのは、強制反対の論理が「思想・良心の自由」論の論理にほぼ席巻されてしまった、ということである。これは、リベラル・左派系のマスコミだけではなくて、ウェブ上でよく見られるような、「思想・良心の自由」論とは一線を画しているつもりであるように見える反対論もそうである。後者は、例えば、「沖縄や在日の人々の歴史を考慮しない日の丸強制はおかしい」とか、「日には在日をはじめとした多くの外国人が住んでいる」とかそういったものであり、これらは確かに「思想・良心の自由」論に比べればマシではあるが、論理的には同型である。 私は5年以上前の「「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」というブログ記事で、「東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸・君が代の戦後史』(岩波新書、

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  • 「思想・良心の自由」による反対論の陥穽 | 私にも話させて

    改悪教育法成立がここまで延びたことは、予想外だった。というのも、土俵設定の段階で負けたと思っていたからである。 教育法改悪をめぐる論議では、上からの愛国心の押し付けが「思想・良心の自由」を侵害する、という論理で批判した声がリベラルでは多かった。私は、こうした批判を聞いて、東京都による日の丸・君が代の都立高校教職員・生徒への押し付け時の議論を思い出していた。 当時、メディアでの反対の声は、日の丸・君が代の押し付けが「思想・良心の自由」に反するから問題だ、という論理が支配的だった。一般紙ではないが、当時購読していた「しんぶん赤旗」もこれ一色だった。 何が言いたいかというと、日の丸・君が代の押し付けへのメディア上での批判において、なぜ日の丸・君が代自体への批判がほとんどなかったのか、ということである。東京都による押し付け以前にも、日の丸・君が代問題は戦後ずっと存在したが(田中伸尚『日の丸

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  • 歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて

    前回(第1回)からかなり間隔が空いてしまったが、「レイシズム的保護主義グループの成立」の第2回である。 1. このところ、日リベラル・左派の間で、「ナショナリズム」の復興論(「リベラル・ナショナリズム」)があちこちで唱えられている。そして、私見によれば、ここで唱えられている「ナショナリズム」は、非常に奇妙な特徴を持っている。この奇妙な「ナショナリズム」は、レイシスト的保護主義グループの存立基盤の根を支えるものであると思われる。 この「ナショナリズム」を検討するに際しては、「ナショナリズム」肯定論者の一人である萱野稔人と、高橋哲哉の対談(高橋哲哉・萱野稔人対談「ナショナリズムが答えなのか」『POSSE』vol.2、2008年12月)が大変興味深い。 萱野はここで、 ①グローバリゼーションそれ自体は、先進国と第三世界の経済格差を縮小させているのであるから、日国内の経済格差を問題にするな

    歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) | 私にも話させて
  • レイシスト的保護主義グループの成立(1) | 私にも話させて

    『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日』と4月8日に共同集会を開いた。 http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行って

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    holyagammon
    holyagammon 2011/06/30
    "フランスの国民戦線のデモに参加している若者の、「私たちも移民を制限すべきだ。日本のようにね」という発言"
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(下) | 私にも話させて

    3.「戦後社会」の正当化とレイシズム だが、今回の一連の言説に関して、公正性の消失を指摘するだけでは十分とは言えない。矛盾した話ではあるが、他方で、「正義は我にあり」として、普遍的な次元において自分たちの正しさは担保されているのである。そのような姿勢を可能にしているものが、私が論文「日は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で指摘した、「戦後社会」の擁護と「平和国家」日という認識である。 「戦後社会」の擁護とは、戦後日が過去清算を概ねまともに行なっていた、という認識と表裏一体である。さすがにこのような主張を大真面目に語る人間は少ないが、以下のような薬師寺克行・朝日新聞論説委員(元『論座』編集長)の主張がその一例である。 「戦争によって完全に崩壊したアジア諸国との外交関係を回復するため、戦後、日政府は腰を低くして自らの行いの非を認めて謝罪するとともに、各国の経済発展

    2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(下) | 私にも話させて
  • 2010年秋の情勢について(1) 軍事的「平和国家」日本の成立(上) | 私にも話させて

    1.尖閣諸島(釣魚島)問題について このところの政治・言論上の、一連の大きな動きについて、まとめて書くつもりだったのだが、長くなるので全体を分載することにした。延坪島砲撃事件とその日への影響や、沖縄知事選についても述べたいのだが、それを論じる前に、尖閣諸島(釣魚島)問題について述べなければならない。 この問題については、浅井基文氏が、日共産党の主張の支離滅裂さや、安全保障問題との関係、中国側の主張など基的な点に関して、詳細かつ極めて説得的に論じているので、未読の方はまずはそちらを参照されたい(私は尖閣諸島は中国領だと考えているので、浅井氏とは立場が異なるが)。 今回の一連の尖閣問題に関する日の言論状況への批評として、メディア上で一番的確だったのは、韓国の保守紙、朝鮮日報(日語版)の2010年9月27日付の記事ではないかと思われる。記事には以下のようにある(強調は引用者、以下同)。

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  • イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて

    1. 最近、イスラエル/パレスチナ問題に関するブログ記事を読んで、強い違和感を覚える機会があった。発言者の方々は、<佐藤優現象>批判や岩波書店による私への嫌がらせ・弾圧に積極的に賛同して下さっている方がであるが、リベラル・左派批判が「内輪化」することを防ぐ意味から、率直に異論を出した方がいいと思うので、以下、述べることにする。また、これを機会に、イスラエル/パレスチナ問題に関する言説の最近の傾向について、思うところを述べておきたい。 2. ブログ「media debbugger」の吉沢樹氏が、最新記事で、「「STOP!!無印良品キャンペーン」への賛同と若干の疑問について」という一文を書いておられる。 http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-109.html 吉沢氏については、上で述べたように私は感謝しており、また、伊勢崎賢治やら竹内好やらを持て

    イスラエル/パレスチナ問題に関する諸言説について | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2010/08/15
    "パレスチナ人が現状の苦境を訴えるのを聞くのは飽きていて、新しい視点でパレスチナ問題を「考える」(消費する)ために、「画期的」な研究成果を出している研究者を呼ぶ、という傾向"
  • 「よい大連立」と社民党 | 私にも話させて

    菅直人首相が消費税に言及した当の理由は不明であるが、以前指摘したように、『世界』等のリベラル・左派「論壇」において消費税容認論が支配的になっていたことも一因かもしれない。実際、私の指摘どおり、神野直彦を委員長とする政府税調専門家委員会も、中間報告で消費税増税を提言したわけだし、これなら「世論」的にいけると思ったんじゃないかな。菅は、現在のリベラル・左派「論壇」が、「世論」なぞ全く反映していないことを見落としていたのではないか。もしそうならば、寺島実郎の「駐留なき安保」論を真に受けた鳩山前首相と同じ轍を踏んだことになる。 参院選後に「消費税増税」を目的とした大連立が来る、ということが散々言われているが、むしろ警戒されるべきは、1年近く前に「よい大連立か、わるい大連立か」で書いたように、「新自由主義」的大連立への対抗として(といっても消費財増税という基方針は変わらないが、増税時期や増税幅を

    「よい大連立」と社民党 | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2010/07/07
    "社民党は今後、ヨーロッパの「国民戦線」や「北部同盟」のような排外主義政党の、日本における機能的等価物となると思う"
  • 民主党政権の方が自民党政権よりはるかに危険 | 私にも話させて

    1. 菅直人政権への支持率がこれだけ高いとは、率直に言って予想外だった。当に、暗澹たる思いである。菅首相自身については、昔書いた記事以上の感想はないが、これも以前指摘したように、「目指されているのは、絶対的な安定政権なのであって、その下でのみ、改憲や消費税増税や日米FTAの締結など、大衆から強い反発を買うであろう政策を実施できるのである。だから、より力の強まった形での民主党政権と大連立は基的に同義なのであって、両者は簡単に入れ替わる」。仮に民主党が参議院選で単独過半数が実現するほど勝利すれば、上で言うところの「より力の強まった形での民主党政権」になるのであって、大連立が成立したのとほぼ同じことになる。 そして、これも以前指摘したことであるが、「自民党にせよ民主党にせよ、日国家・日社会の排外性・親ファッショ的な性格を問題にしていないのだから、両党の抗争がそれなりに互角の場合には、相手

    民主党政権の方が自民党政権よりはるかに危険 | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2010/06/20
    "<理念>的なものを(本気で)信じているらしい人々(もちろん、の方が、「日本のため、国益のため」しか考えていない人々よりも、はるかにはた迷惑"
  • 私にも話させて : マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(下)

    gskim2000@gmail.com   金光翔と申します。韓国国籍の在日朝鮮人三世です。3. 実は、岩波書店には、私以外にも在日朝鮮人が一人存在する。仮にAとしておこう(私より若年であるから実名を出すのはとりあえず勘弁してやる)。Aは、私より1年後に入社し、私よりも3歳下であり、中学校までは朝鮮学校に通っていた男性である。当初は、同じ在日朝鮮人ということで私も彼の入社を大変喜び、親しくしていたのだが、私が『世界』編集部から異動したあたりからは、社内で会っても目を合わせようともしなくなり、在日朝鮮人である私と関係があるなどと思われるのを回避するためであろうが、私への嫌がらせを公然と繰り返している岩波書店労働組合の活動を熱心に行ない始める。岩波書店労働組合のさまざまな役職を務めたり、岩波書店労働組合壁新聞に頻繁に投稿したりといった具合で、昨年7月には岩波書店労働組合執行委員に就任し、現在で

    holyagammon
    holyagammon 2010/06/05
    "君も、もう少し慎重に振る舞ったら?君は、岩波書店に入社したという時点で、在日の方としては特権的な、恵まれた地位にあるのだから"
  • マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(上) | 私にも話させて

    1. <差別を感じていなかったり、親日的であったり、「民族主義」に否定的な「在日」もいるのだから、「在日」への「差別」を殊更に取り上げること自体が、一面的なものの見方で、「差別に苦しむ在日朝鮮人」や「民族主義者の在日朝鮮人」を前提とした「オリエンタリズム」だ>といった言説をたまに見かける。主観的にはリベラル・左派との意識を持っていると思われるこうした言説の発言者たちは、自分たちに、「ステロタイプ」なものではない、「在日」の「友人」がいることを殊更にひけらかす。 前にも述べたが、「在日朝鮮人問題」について考えられるべきは、在日朝鮮人の民族的権利という抽象的権利の尊重と、それに基づく施策の実現である。個々の「在日」がどのように言っているか、ということは「在日朝鮮人問題」において基的に関係がない。 この、抽象的権利と個々の人格との関係性は、在日朝鮮人だけではなく、マイノリティ全般について考える

    マスコミ界隈の在日朝鮮人と日本人リベラル・左派の「共生」、または共犯関係(上) | 私にも話させて
  • 在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて

    朝鮮総連の高校無償化排除への日での反対論を見るにつけて、それらに一定の敬意は払いながらも憂慮せざるを得ないのは、有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない点である。反対論の主な論拠は、外国人の教育権の擁護、差別禁止といった、一般的な権利論であり、それら自体はもちろん重要な論点であるにしても、植民地主義の問題はほぼ全くといっていいほど触れられていない。日の任意の反対声明を、韓国の「真実と未来,国恥100年事業共同推進委員会声明」と比べてみれば、そのことは明らかであろう。 念のために言っておくが、私は、植民地主義の問題が触れられていないから駄目だ、と言っているのではない。私は、反対声明の表明等の行為については一定の敬意を払っているし、この問題を、外国人の一般的権利の侵害として捉えること自体は、もちろん間違っているわけではない。 だが、以下に述べるとおり

    在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた権利を(も)強調すべき――朝鮮学校排除問題 | 私にも話させて
  • どの口が言えるのか?――佐藤優の朝鮮学校に対する「寛容」論 | 私にも話させて

    1. 久しぶりに爆笑させてもらった。以下の文章である。 「【佐藤優の眼光紙背】外国人地方参政権と高校無償化問題」 http://news.livedoor.com/article/detail/4624878/ 佐藤はここで、外国人地方参政権への反対、朝鮮学校を高校実質無償化の対象にすることへの賛成を述べている。「右」と「左」の主張を同時に打ち出し、ハッタリ的に一般論を述べることで正当化し、それを教養俗物が好きそうな用語や引用で補強するという手法自体は、いつものワンパターンだが、今回の「高校の実質的無償化に関しては、朝鮮高校を含めるべき」という主張は、よく言うよ、と呆れさせられたのだが、大変興味深いものである。 これが興味深いのは、もちろん、主張それ自体ではない。そうではなくて、かつてはこれと180度異なる主張を精力的に訴えていた佐藤が、なぜこのような主張をするに至ったかが興味深いのである

    どの口が言えるのか?――佐藤優の朝鮮学校に対する「寛容」論 | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2010/03/06
    "民主党政権内部・日本社会から発されている朝鮮学校排除論は「拉致問題」の解決、「国益」のためには在日朝鮮人に対して差別的に扱ってもよいという「国民感情」を背景としてなされている"
  • 朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象> | 私にも話させて

    1. 民主党政権内で、4月からの「就学支援金」支給対象から朝鮮学校を外そうという動きが活発化している。第一報を聞いたのが、「イデオロギーの終焉(上)」で、安倍政権と鳩山政権の連続性を指摘した直後だっただけに、その符合に驚いた。 今回の差別措置案については、kscykscy氏がブログ「日朝国交「正常化」と植民地支配責任」で明快かつ明晰に論じておられるので、未読の方はそちらを是非ご参照いただきたい。 「「公的確認」の論理と教育「内容」の問題――朝鮮学校と高校「無償化」問題②」 http://kscykscy.exblog.jp/12886916/ それにしても、下の産経の社説を読むと、その余りのご都合主義とむき出しの排外主義ぶりにうんざりさせられる。 「【主張】朝鮮学校 無償化除外へ知恵を絞れ」 http://sankei.jp.msn.com/life/education/100223/ed

    朝鮮学校排除問題と<佐藤優現象> | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2010/03/06
    "朝鮮学校排除案を成り立たせているような土壌――その象徴が<佐藤優現象>である"
  • 鑑賞:萱野稔人の「立ち位置」調整 | 私にも話させて

    前回に続いて、『思想地図』創刊号(2008年4月刊)での発言を取り上げる。「鼎談 日論とナショナリズム」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大。鼎談の日付は2008年2月13日)での、萱野の発言である(279~280頁)。 「萱野 (中略)まあ、個人的には、「愛国心」教育を義務教育のなかに導入したり、国民道徳を復活させようとするようなナショナリズムの再生はまったくナンセンスだと思いますが、たとえば、昨年(2007年)11月に改正入管法の施行にともなって導入されたJ―VISIT(入国時に外国人の顔写真や指紋といった生体情報を採取するシステム)なんかを見ると、ナショナリズムに訴えたい気持ちにかられますね。あれ、「テロの未然防止」という口実のもと、たんにアメリカの公共事業の下請けをしているだけですから。 東 アクセンチュアですね。『権力の読みかた』で触れていました。 萱野 そう。アクセンチュアと

    鑑賞:萱野稔人の「立ち位置」調整 | 私にも話させて
    holyagammon
    holyagammon 2009/10/13
    "萱野の「立ち位置」調整は、あまりにも小心かつ稚拙なので、萱野には佐藤優大先生に学ぶことを勧めたい。"かやのん、おすぎとテレビにでててびっくりしたことあったなああ
  • 「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ | 私にも話させて

    ブックオフで105円で売っていたので、遅ればせながら『思想地図』創刊号(2008年4月刊)を買ってきたのだが、突っ込んでくれと言わんばかりの発言のオンパレードで笑ってしまった。刊行時に少し立ち読みして馬鹿馬鹿しさに放置していたが、こんなに面白かったとは。気が向いたときに、「一日一言」方式で取り上げることにしよう。 まずは第1回目である。「共同討議「国家・暴力・ナショナリズム」」(参加者は東浩紀・萱野稔人・北田暁大・白井聡・中島岳志。討議の日付は2008年1月22日)の白井聡の発言より(強調は引用者)。 「僕が思想について勉強を始めたのは、90年代後半です。で、いろいろと知識の摂取を始めると、入ってくるものの多くが左旋回したポストモダニズム思想だということになる。そんななかで、僕は漠たる不満を感じるようになってくるんですね。僕は当時、遅れてきたニューアカ少年的なところがあって、いわゆるニュー

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  • 姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて

    2. 前置きが長くなった。もう一つ補足しておくと、今回の主題は、姜の転向をどのように位置づけ、それをどのように批判するかであって、転向それ自体を倫理的に批判する、というものではない。もちろん、転向それ自体への倫理的な批判もあってよいと思うが、ここではそうした点に重きを置いていない。 だが、姜のファンや擁護者たちは、姜が転向したなどとんでもない誹謗中傷だ、と言うかもしれない。姜自身、ごく最近でも、以下のように発言している。 「これまで左だった人が一挙に右に傾くこと、あるいは、これまで中間だった人が一挙に右か左に変わること、これは由々しいことです。大切なことは、ブレないことではないでしょうか。 自分自身の最小限の矜持として言えることは、私は変わらなかったのではないか、ということです。学生時代から三十数年経っても、あのとき言っていたことと、いまの考えに変わりはありません。韓国の民主化により、日韓

    姜尚中はどこへ向かっているのか――在日朝鮮人の集団転向現象 2 | 私にも話させて