現在の高岡軌道線にあたる路線は富山地方鉄道に、新湊港線にあたる路線は越中鉄道(1943年に富山地方鉄道へ吸収合併)によって造られたものである。 1930年10月12日、現在の新湊港線区間にあたる西越ノ潟駅(現存せず) - 新湊東口駅(現在の東新湊駅)間が開業[8][9]、12月23日には越ノ潟駅 - 西越ノ潟駅間が開業した[8][10]。当時は越中鉄道(後の射水線)の一部だった。その後、1932年11月9日に東新湊駅 - 庄川口駅間[8][11]、1933年12月25日に庄川口駅 - 新伏木口駅(現在の六渡寺駅)間が開業した[8][12]。 1948年に現在の高岡軌道線区間にあたる地鉄高岡(現在の高岡駅停留場) - 伏木港間が開業[8]、当時は伏木線(または高伏線)と呼ばれていた。また、これ以降、宇都宮芳賀ライトレール線が2018年に着工(2023年に開業)するまで長らく軌道線の新規建設が
新高岡駅前を走る城端線の列車。氷見線と併せてJR西日本からあいの風とやま鉄道に経営移管することが決まった=高岡市内 ●再構築検討会、財源など5条件了承 ●沿線4市以外に負担求めず JR城端線・氷見線の再構築に向けた検討会が23日、富山市の県民会館で開かれ、両線の運行主体をJR西日本から第三セクター「あいの風とやま鉄道」(富山市)に将来的に移管することで正式に合意した。前回の検討会であいの風の日吉敏幸社長が提示した、財源確保や人的支援など5条件への対応案を示し、あいの風側が了承した。具体的な移管時期は未定で、今後検討を進める。 検討会には会長の新田八朗知事をはじめ、角田悠紀高岡、林正之氷見、夏野修砺波、田中幹夫南砺の沿線4市長、JR西の漆原健常務理事金沢支社長、あいの風の日吉社長らが出席した。 9月の前回会合で、4市長から城端線・氷見線の運営をあいの風に移管するよう求められた日吉社長は、同社
2023年は特定小型原付の導入、路線バスの運転士不足、ライドシェアの議論など、例年以上にモビリティの話題が多かったと感じています。さらに前年のJR西日本の公表がきっかけとなった赤字ローカル線では、同じJR西日本の芸備線が、国が指針を示した再構築協議会で議論されることになりました。 そして3月にここで取り上げた、富山県内を走るJR西日本の城端線・氷見線でも、活性化の取り組みが決まりました。 富山県では7月に城端線・氷見線再構築検討会を立ち上げ、議論を行ってきました。その結果、今週月曜日に城端線・氷見線再構築実施計画(案)がまとまったのです。内容は県やJR西日本のオフィシャルサイトで見ることができるので、興味のある方はご覧になってください。 富山県城端線・氷見線再構築検討会ウェブサイトはこちら 再構築事業の実施予定期間は10年間で、事業主体はJR西日本からあいの風とやま鉄道に変わり、車両は電気
富山~長野県境の秘境地帯・黒部ダムへの観光ルートに新たに「黒部宇奈月キャニオンルート」がまもなく誕生します。今回、一足先にここを体験してきました。 「行き止まり」の黒部峡谷鉄道が黒部ダムへ直結 富山~長野県境の秘境地帯・黒部ダムへの観光ルートに「第3ルート」がまもなく誕生します。 拡大画像 欅平駅から黒四発電所まで向かう専用鉄道線(乗りものニュース編集部撮影)。 現在は富山県側の立山~美女平~室堂~大観峰~黒部平~黒部湖(ダム西側)、さらに長野県側の黒部ダム(ダム東側~扇沢~信濃大町)を通り抜ける「立山黒部アルペンルート」があります。 その北側に、魚津、黒部から宇奈月温泉を経由し、黒部峡谷鉄道で黒部川を上流へ向かう観光ルートがあります。黒部峡谷鉄道は途中の欅平駅が終点で、そこから先へは進めません。来た道を引き返す必要がありました。 しかし、実際は関電関係者だけが通れるルートが、黒部川第四発
全国のJRが利用者の少ないローカル線の赤字額を公表し、各地で存廃を巡る議論が起こる中、鉄道を住民生活に欠かせない「地域の足」として維持する方針を明確に掲げる地域がある。全国で唯一、県内の全ての自治体に鉄道が走る富山県。各自治体は、利用者の利便性を高めながら最適な地域交通サービスを実現すべく奮闘している。 「鉄軌道王国とやま」。県内の12路線に多種多様な車両が集まる同県はこう自称する。玄関口の富山駅には北陸新幹線や第三セクター、路面電車がひっきりなしに乗り入れ、富山地方鉄道(富山地鉄)では全国の私鉄から譲られた往年の名列車が現役で快走。王国ぶりを一目見ようと足を運ぶ鉄道ファンも多い。 高齢化を見越し実は、同県はかなりの「車社会」だ。自動車検査登録情報協会によると、都道府県別の1世帯あたりの車の保有台数で、同県は1・652台で福井県(1・708台)に次ぐ2位となっている(今年3月末時点)。 そ
朝は吹雪模様となった。富山・立山をのぞむ谷間に走行音が響く。現れる2両編成の車両。「こんな天気でも走らせるんだ」。カメラを構えながらうれしくなった。その後もダイヤ通り運行を続ける富山地方鉄道(富山地鉄)の立山線。別の車両を撮影したころには雪はやみ、立山に日光が差し込んでいた。 富山県が「鉄軌道王国」と呼ばれていることは、あまり知られていない。上司に話したときも「?」という表情だった。 県内の全市町村に鉄道が通っていることが理由の一つだ。全ての自治体、10市4町1村に駅があるのは都道府県で唯一。路線は計12あり、立山黒部アルペンルートのケーブルカーなどの観光路線もあるが、多くは生活路線だ。 立山連峰を背に常願寺川を渡る車両。利用者には「かぼちゃ電車」と呼ばれている=富山市(萩原悠久人撮影)富山市に本社を置く富山地鉄が、鉄道網の充実に大きな役割を果たした。昭和5年の設立時から県内のどこからでも
路面電車によって街に活気が出た。そんなうれしい事例が富山市で起きている。コロナ禍で景気が落ち込む中、富山市の基準地価が対前年比で0.2%の上昇となった。小さな数値だが、全国的に景気か落ち込み、とくに金沢市と福井市の基準地価が下落する中で、富山市の上昇は目立つ。その理由が今年3月21日に完成した「路面電車南北接続事業」だという。 富山駅周辺は、路面電車の南北直通運転開始で活気づいている 日本経済新聞電子版は9月29日から3日間、「点検・基準地価」という企画記事を上・中・下の3回にわたって掲載した。 9月29日は金沢市編で、基準地価は対前年比で下がった。JR金沢駅周辺の下落率は2.9%、古い街並みを残す「ひがし茶屋街」周辺は6.0%の下落。北陸新幹線開業時は約20%の上昇率だったものの、新型コロナウイルス感染症の拡大によって観光客が落ち込んだ。繁華街では空きテナントも目立ち始めた。 10月1日
創立者故佐伯宗義会長 当社は、創立者故佐伯宗義会長の「一県一市街化」構想実現のために、昭和5年2月11日、資本金150万円で富山電気鉄道株式会社として創立されました。 翌6年には立山鉄道を合併し、富山~滑川間及び寺田~五百石間に高速鉄道の営業を開始。昭和10年には早月まで、11年には魚津を経て西三日市(現電鉄黒部)まで延長。更に昭和16年には富南鉄道及び富岩鉄道を吸収し県下の交通網の整備が着々と進められました。 その後、昭和18年1月1日、県営、市営、私営の鉄道・軌道・バスを大統合し、一県一市街化構想の実現とともに、将来への飛躍を期して社名も富山地方鉄道株式会社と改称いたしました。 戦後は、鉄道網の充実とともにバス路線も飛躍的に拡充され、また観光ブームに先がけて立山有峰の開発、後には「立山黒部アルペンルート」の完成等、多様化する社会のニーズを的確にとらえ、各種の事業を展開し今日に至っていま
佐伯 宗義(さえき むねよし、1894年(明治27年)2月28日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山地方鉄道創業者、立山黒部貫光創業者。 経済学博士、従三位、勲二等、富山市名誉市民、立山町名誉町民。 経歴[編集] 1894年(明治27年)2月28日、富山県立山村(現・立山町)芦峅寺に生まれる。代々雄山神社の神官を務める家柄であった。 1924年(大正13年)に信達軌道(現福島交通)の再建に携わることとなり、専務に就任。1930年(昭和5年)に富山電気鉄道を設立し、代表取締役専務に就任。「富山県一市街化」をスローガンとして戦前戦後を通じ、国鉄を除く生活交通を主力として県内交通の整備と充実に注力した。 1943年1月1日「陸上交通事業調整法」に基づいて富山電気鉄道を中心に富山県内のすべての私営・公営の鉄軌道・バス会社を合併、社名を富山地方鉄道と改称
2020年3月21日、富山市内の「富山ライトレール富山港線」と「富山地方鉄道市内線(路面電車)」が、富山駅の高架下で接続する。これで富山駅の南北で展開している2つのLRT(次世代型路面電車)路線が相互直通運転を開始する。そればかりか、接続に先駆けて、2月22日に富山地方鉄道と富山ライトレールは合併し、南北の全線が富山地方鉄道の管轄になる。 現在、富山ライトレールは1回の乗車で210円の均一料金。富山地方鉄道市内線も同じで、210円の均一料金だ。富山駅で2つの路線を乗り継げば、それぞれ210円、合わせて420円かかる。しかし、3月21日からは全線が富山地方鉄道市内線となり、富山駅南北の直通運転が始まる。それでも運賃は全区間210円に据え置く。 つまり、いままで富山駅南北の路面電車をまたがって利用していた人にとっては「直通運転で便利になる上に、運賃は今までの半額」となる。合併で同じ会社の路線に
黒部峡谷鉄道の欅平より先、黒部ダム方面に抜けるルートの受け入れ拡大が検討されていることがわかりました。富山県と関西電力が協議中です。 知られざるルート 黒部観光といえば、立山黒部アルペンルートが有名です。ロープウェイ、ケーブルカー、トロリーバスなどを乗り継いで、富山県の立山から黒部ダムを経て、長野県の信濃大町に至るルートです。北アルプスを横断する、世界的にみても大規模な山岳観光コースとして知られてきました。 しかし、実は黒部ダムに至る道筋は、もう一つあります。宇奈月から欅平を経て黒部ダムへ至る「黒部ルート」です。 宇奈月~欅平間のうち、現時点で一般開放されているのは、宇奈月温泉から欅平まで。この区間は、黒部観光鉄道で乗車できます。 その先、欅平駅から黒部峡谷鉄道の工事用線(下部軌道)、竪坑エレベーター、関西電力黒部専用鉄道(上部軌道・地下トロッコ列車)、インクライン(ケーブルカー)、専用地
富山駅周辺で進められている路面電車の南北接続事業が完了した2020年春以降、富山地方鉄道が全車両の運行を担う方向で富山市、富山ライトレールと協議していることが、関係者への取材で分かった。ライトレールは鉄道資産を保有する会社になる可能性が高い。運賃は現在と同じ「200円均一」を軸に調整される見通しで、国への認可申請に向け、3者は早期の合意を目指している。 南北接続は、富山駅の南側で富山地鉄が運行している市内電車と、同駅北側で第三セクターのライトレールが走らせているLRT(次世代型路面電車)のレールを駅の高架下でつなぐ事業。20年3月の営業開始を予定しており、直通便はライトレールの区間(富山駅~岩瀬浜)と、駅南側の3系統(南富山駅~富山駅~富山大、南富山駅~富山駅、環状線)を組み合わせることが想定されている。 事業の完了に備え、市と両社は運行形態などに関して協議を続けている。南北で異なる運行主
工場が林立する富山県黒部市の郊外から、しばらく車を走らせると、再び工場群が目に飛び込んでくる。YKKグループが「技術の総本山」と位置付ける黒部事業所は市内4カ所に点在する。敷地面積は計171万平方メートル。東京ドーム約37個分に相当する。 ファスナー大手「YKK」と建材大手「YKK AP」を中核とするYKKグループの創業者は富山県の生まれ。その縁で、黒部市には従来から従業員約6千人の一大生産拠点を構えていた。さらに定期の人事異動とは別に2015年4月と16年4月に延べ約230人を黒部事業所に配属し、人事部門や経理部門など本社機能の一部を東京から移転した。黒部広報グループ長の熊谷一廣さんは「生産拠点との連携強化や、災害に備えた機能の分散が狙い」と説明する。その追い風となったのが、15年3月の北陸新幹線開業という。 東京から黒部宇奈月温泉駅(黒部市)まで片道約2時間半。「顧客と黒部事業所で商談
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