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存在論に関するishikawa-kzのブックマーク (2)

  • サルトルの「人格」再考 - Arisanのノート

    『存在と無』の巻1をやっと読み終わったが、よく分からないことばかりなので、読み返している。 存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫) 作者: ジャン=ポールサルトル,Jean‐Paul Sartre,松浪信三郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/11/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 56回この商品を含むブログ (55件) を見る 先日、「非人格的」という語について、サルトルの場合も、この語が肯定的な意味で用いられているのではないかという予想を書いたが、どうもそれは当たっていないようだということが分かった。 というのは、最初読んだ時には注意しなかったのだが、このの302ページから306ページぐらいのところに、「人格(的)」とか「非人格的な」という訳語が集中的に出てきていて、その部分を読むと、よく分からないながらも、とにかく「人格」という語は否定的な意

    サルトルの「人格」再考 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/29
    サルトルのいう「人格」 ドイツの哲学ではペルゾンリッヒというのかなと。ペルゾンは英語のパーソンにあたり、人格のほかにペルソナつまり仮面とかつまり対他的な面もあるのかなと。
  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/10/14
    「われわれが基本的には自己欺瞞を免れ得ないのは、われわれがわれわれ自身とぴったり重なることのない存在だからだ。」免れえない条件を必ず自覚すること。
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