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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (164)

  • 『流言蜚語』 - Arisanのノート

    流言蜚語 (ちくま学芸文庫) 作者: 清水幾太郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2011/06/10メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 今日が関東大震災の起きた9月1日だというのは、書きはじめてから気がついた偶然なのだが、清水幾太郎の『流言蜚語』というについて、少しだけ書いておきたい。 このが、ちくま学芸文庫から出たのは、東日大震災直後の2011年6月であって、僕もその直後に読んで、このブログに感想を書いた気でいたのだが、いくら検索しても出てこないので、きっとアップしてなかったのだろう。 表題作の「流言蜚語」については、粉川哲夫氏による鋭い批判の文章がネットで読めるので、それを参照していただきたい。 「流言蜚語」考 http://cinemanote.jp/books/medianorogoku/m-005.html この文章は、おそらく1970年代末頃に

    『流言蜚語』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2015/09/05
    60年安保を境に右派に転向した清水であるが、戦前の震災における朝鮮人虐殺や大杉栄殺害には心を痛めていたという記述。清水は社会学研究の分野でユニークな仕事をしているように思う。
  • 『「共倒れ」社会を超えて』 - Arisanのノート

    「共倒れ」社会を超えて: 生の無条件の肯定へ! (筑摩選書) 作者: 野崎泰伸出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2015/03/11メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る 野崎泰伸さんの新著です。 このは、私は生まれて初めて「献」ということをしていただきました。 さて、表題にある「共倒れ」社会ということですが、こう書いてあります。 他方で、ある特定の相手と閉じた関係性が形づくられ、そこでのみ〈生きづらさ〉が共有されるような場合、「共倒れ」の危険性が出てきます。(p075) つまり、この社会は、私たちの生存を保障する代わりに、家族など親密な関係にある人びとの愛情によってサポートするよう促すわけです。こうして生存の保障は、社会保障の問題ではなく、家族や近親者の問題へとすり替えられてしまうのです。このような社会であるからこそ、私たちの生存や尊厳を支えるということが、こと

    『「共倒れ」社会を超えて』 - Arisanのノート
  • 養子と天皇 - Arisanのノート

    前回のエントリーだが、アップしたあとになってから、初めから終りまで「養子」というテーマをめぐって書いていたことに気がついた。 柄谷が『遊動論』のなかで書いていた「双系制」というのは、父系や母系に対置される用語で、平たくいえば、「家」という場を存続させることを第一義とし、そのための手段として養子をもらったり、婿養子をとったりすることを当然と考えるような、家族観だといえよう。これは、「血統」(一般的には父系)の正統的な存続を第一義とする家族観とは、異なるものだと考えられるのである。 柄谷は、この双系制を日の社会や文化の重要な制度的特徴だと考えているわけだ。 また、この双系制を強調していた頃の柄谷の著作では、漢字かな混用文における、漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けによる対象の「区別」が、それに通じる日文化の特徴として語られていた。つまり、島国である日では、外来の文物を導入するにあたって、

    養子と天皇 - Arisanのノート
  • 小野十三郎『日は過ぎ去らず』 - Arisanのノート

    日は過ぎ去らず―わが詩人たち (1983年) 作者: 小野十三郎出版社/メーカー: 編集工房ノア発売日: 1983/05メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見る 最近、かなり以前にツイッターで感想を述べた、或る古いのことで質問されることがあった。 そのの題は、『日は過ぎ去らず』といって、大阪出身の有名な詩人、小野十三郎が文学者たちとの交流の思い出をつづったである。 色々と面白いなのだが、その中でも私が特に関心をもったのは、やはり詩人の、谷川雁と黒田喜夫の二人について語っている箇所だった。 入手しにくくなっているで、いま手元にないので、不正確な要約になると思うが、概ね次のようなことが書いてあったはずだ。 小野は、この二人の詩人の資質の違いの原因と呼べるものを、両者の「故郷」の捉え方の差異に見出す。 黒田は東北の農村の出身であり、谷川は(実兄の民俗学者健一とともに)九州(

    小野十三郎『日は過ぎ去らず』 - Arisanのノート
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    ishikawa-kz 2015/01/09
    すばらしいです
  • 『圧殺の海』 - Arisanのノート

    幸久・影山あさ子共同監督によるドキュメンタリー映画『圧殺の海』をようやく見た。 辺野古の基地建設反対闘争の現状を捉えた、たいへん重要な作品で、是非多くの人に見てもらいたいと思った。 私は、この映画の映像の何割かは、すでにDVDで見ていたのだが、こうして映画館で全体を見てみると、DVDには含まれていない貴重な部分も多く、比較にならないぐらいに強烈な印象を受けた。 強引に推し進められる基地建設の暴力性は、画面を正視できないほどで、上映中、何度もため息をついた。 そこで実感されるのは、もちろん海上保安庁(いわゆる海猿)や、施設局などの役人や、県警や、あるいは政治家たちによる、直接・間接の暴力の酷さということもあるが、それ以上に、その人たちをも含めた沖縄という土地の全体に圧し掛かっている、米日両国による基地と戦争の押し付けという構造的暴力の重苦しさだ。 この映画を見ると、沖縄が、もちろんずっと

    『圧殺の海』 - Arisanのノート
  • 「南島」はなぜ欲望されるか - Arisanのノート

    柳田国男対談集 (ちくま学芸文庫) 作者: 宮田登出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1992/11/01メディア: 文庫この商品を含むブログ (2件) を見る この『柳田國男対談集』では、民族学(フォークロア)と民族学(エスノロジー)の違いや関係が何度か話題になるのだが、戦前の対談の中で、柳田が次のように定義しているのは、かなり明快だと思った。 自分の人種のことを調べるのがフォークロアで、他人種のことを調べるのがエスノロジーです。(中略)エスノロジーというと文化人類学とはちがうと言う人があるが、これは大体同じなんです。(p051) 「民俗学」の主張は、民族学や文化人類学といった西洋出自の学問の、主客分離的というか植民地主義的な体質(ニーチェなどが批判してきたもの)に対するアンチテーゼとしては、共感できるところがある。 フォークロアでは、どんなことでも知りたいのです。(中略)エスノロジー

    「南島」はなぜ欲望されるか - Arisanのノート
  • 橋下「見直し」発言について - Arisanのノート

    http://www.asahi.com/articles/ASGBP3RLBGBPPTIL00C.html ここでは何か、橋下市長が在特会側の主張を聞き入れて、(差別・ヘイトスピーチ防止のために)制度の「見直し」に取り組むことを考えたかのように書いてあるが、もともと橋下氏や維新と在特会とでは、その主張の内容においても、活動のスタイルにおいても、ほとんど違いはないのだから、実際には、昨日の「面談」をいい機会にして、自分が思っている政策を実行に移す、そしてそのことを正当化しているだけであろう。 政策といっても、この人の場合、いや、橋下氏ひとりに限らず、今の日の多くの政治家に見られる傾向だが、その眼目は、「よりよい社会や制度」を作り出すということではなく、特定の対象、とりわけマイノリティへの攻撃を行うことを通して、権力や権益の確保を図るところにある。 攻撃的な社会が、彼のような政治家を産み出

    橋下「見直し」発言について - Arisanのノート
  • 前回への補足 - Arisanのノート

    前回書いたことに、一点だけ補足します。 今回の「反日デモ」に対する、運動内部からの(かりに、こう言っておきます)批判として、「なぜ仲パレと同日同時刻にデモをぶつけたのか」とか、「仲パレに参加しながら、自分たちの主張を表現すればよかったではないか」といった意見がある。 僕は、こうした意見が出るのは、このデモの意図するところが、よく理解されていないからではないかと、思う。ここでは、便宜上、特に後者の意見(仲パレに参加しながら、批判を行えばよかったではないか、ということ)に関して書いてみる。 あくまで僕の考えだが、このデモが、仲パレに対する批判として発している重要なメッセージは、おおまかに言って二種類ある。 一つは、仲パレが、植民地主義に代表されるような、日政治や制度、あるいは社会における根的・構造的な問題への切り込みを行っていない、もしくはあえて禁じているように思われるので、そのことへの

    前回への補足 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/08/01
    自由と平等を模索するのが、つまり権利を見つめることがファッショに抗する道「 硬直した、柔軟性や曖昧性を認めない態度をとっている というわけではなくて、この「非対称的な関係の強制」に対して抗っている 」
  • 「(通称)反日デモ」について - Arisanのノート

    日曜日に、京都で行われた「(通称)反日デモ」に参加した。 ファシズム化、軍事国家への道をひた走っている今の日において必要なデモというだけでなく、非常に好いデモだったと思う。 それは、参加していて、自分のなかに抑圧を感じなかったからだ。何か一番大事なところで無理をして、言いたくないことを言ったり、言いたいことを言わなかったりということがない。 むしろ、「反日」という、いま最も否定的な意味を押しつけ貶められている言葉に向き合って、そこに込められているものを通して、一番言わなければいけないことを、人びとに向って(「過激」に思われようとも)訴え続ける。 これは、滅多にない体験だったが、それが当たり前であるようにしていかけなければ、今の世の中の流れは変えられない、とも思った。 だがネットなどを見ると、このデモが何かネガティブな行動であるかのような印象で語られているのを目にする。 たしかに今では(司

    「(通称)反日デモ」について - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/07/23
    スッキリした文章でよいと思いました
  • 『カタロニア讃歌』 - Arisanのノート

    カタロニア讃歌 (ちくま学芸文庫) 作者: ジョージオーウェル,George Orwell,橋口稔出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2002/12メディア: 文庫 クリック: 12回この商品を含むブログ (22件) を見る はじめて読んだのだが、僕は読むまでは、このスペイン内戦時の共和派の内部抗争、つまりスターリン政権とコミンテルンとの意志を体現した当時のスペイン共産党による、「トロツキズム」グループやアナーキストに対する迫害を主題にしたドキュメントだと思っていた(とりわけ冷戦期やその後の一時期には、このような作品解釈が支配的だったのではないかと思う)。 実際、それはここに描かれている主要な出来事の一つではあるのだが、オーウェルのこの手記のベースになっている感情や思考は、そこに向けられているものではない。このはあくまで、彼が体験した、スペインという国における革命の記録であり、「ス

    『カタロニア讃歌』 - Arisanのノート
  • 渡辺京二「私説自主交渉闘争」批判 - Arisanのノート

    わが死民―水俣病闘争 (復刻・シリーズ1960/70年代の住民運動) 作者: 石牟礼道子出版社/メーカー: 創土社発売日: 2005/11/01メディア: 単行この商品を含むブログを見る 石牟礼道子編集による『水俣病闘争 わが死民』は、当初1972年に現代評論社から出版され、2005年に渡辺京二、原田正純による「新版あとがき」と「解説」を付した増補版が創土社から出た。 とにかく読み応えのあるで、今こそ多くの人に読まれるべきだと思う。 ところで、ここでは、当時「熊告発する会」の中心メンバーだった渡辺京二の書いた「私説自主交渉闘争」という文章について考えてみたい。それは、この文章にはらまれている問題が、今日の社会運動の場において、また社会全体においても、改善されないまま、悪い状態を生み出していると思うからだ。 当時は、水俣市のある熊県をはじめ、各地に「告発する会」という市民団体ができ、

    渡辺京二「私説自主交渉闘争」批判 - Arisanのノート
  • 前回の梗概 - Arisanのノート

    公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 作者: ユルゲンハーバーマス,Jurgen Habermas,細谷貞雄,山田正行出版社/メーカー: 未来社発売日: 1994/06/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 43回この商品を含むブログ (79件) を見る 内容はほぼ繰り返しになるが、ちょっと気になるので、前回書いたことの梗概のようなものを書いておきたい。 僕はずっと、「リベラル」といわれている政治的な考え方の定義が分からなかったのだが、ハーバーマスのこのを読んで、それは「広義の自由主義」のことだと言っていいのではないか、と思った。 「広義の自由主義」を、このの内容に沿って定義すると、ヨーロッパの近世・近代において、私有財産制と自由市場の形成を背景に発達した、市民の論議による政治遂行の思想のことだ。王侯貴族や教会や大権力者といった、一部の支配階級ではなく、市民

    前回の梗概 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/05/03
    「 いや、自己を反省し、他者との関わりの中で自 己の考えや態度を修正していくということこそ が、「理性的」という語の本当の意味なのではな いか 」
  • 『公共性の構造転換』 - Arisanのノート

    公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 作者: ユルゲンハーバーマス,Jurgen Habermas,細谷貞雄,山田正行出版社/メーカー: 未来社発売日: 1994/06/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 43回この商品を含むブログ (79件) を見る 原書の出版は1962年。この第2版は1990年に出たもので、著者による長い序言が付されている。 ハーバーマスは、このでまず、われわれが近代的なデモクラシー(民主主義政治)と呼んでいるものが、西洋のある時期の歴史的経験の産物に他ならないことを明確にしている。 その経験とは、重商主義の経済政策の結果としてもたらされた産業資主義の発達であり、そこから生じた私有財産制の確立と、それに基づくいわゆる「自由市場」の形成という事態である。 私有財産制は、近代的家族というものを生み出したが、それによって形成されるのが「私人

    『公共性の構造転換』 - Arisanのノート
  • 『ビヒモス』その3 - Arisanのノート

    フランツ・ノイマン著『ビヒモス』の読書ノートの三回目。 ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年) 作者: フランツ・ノイマン,岡友孝,小野英祐,加藤栄一出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1963メディア: ?この商品を含むブログを見る 今回は、ナチスの政治形態や思想を論じた第一編のうちの後半について書こうと思うのだが、実は僕が持っている(1976年発行の第七刷)では、この箇所に計8ページも落丁がある。文があるべきページがまるまる白紙なのだ。 はじめ気づいた時は、検閲か何かかと思ったほどである。古だけに言って いくところもない。僕のような門外漢にとっては、それによって理解の程度が大きく左右されるということもないだろうが、得心のいかないことこのうえない。 いくらナチスを題材にしただといっても、ページにまで「穴」を作ることはなかろうと思うのだが。 第一編第六章で著者は、ナチス

    『ビヒモス』その3 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/01/30
    「 軍備増強と植民地支配の拡張を行いたい軍 部や産業界が、大衆や自由主義者を抱き込むために、 社会改良(福祉政策など)の決定とセットにしていこ うという戦略 」
  • スターリン外交の実態 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る 結局、スターリンという政治家の資質について、ドイッチャーは総合的にどのような判断を下しているのか。 彼は、スターリンがすぐれた洞察力や判断力、また遠大な深慮をもってさまざまな政策決定や外交を行った、あるいは権力闘争の権謀術数をなしたという、スターリン神話と反スターリン神話の双方に共通する前提を否定する。 スターリンには、状況を判断したり見通す力が根的に欠けており、その政策や外交は、その都度の場当たり的なものでしかなかった、というのである。スターリンは、状況を見定めることもコントロールすることも出来ない政治家であり、常に状況に流されるままに政策を次々に変更して、無用の犠牲を生じさせることが甚だしかった。 これが、ドイッチャーの提示する

    スターリン外交の実態 - Arisanのノート
  • スターリン体制と思考の硬直化 - Arisanのノート

    前回書いてから日にちが経ったが、ようやくこのを読み終わりそうだ。 まだ付け足すことがあるかもしれないが、一応ここまでで印象的だったことをまとめておきたい。 スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る まず、最も肝要な点は、スターリン体制とソビエト・ロシアの民衆との関係である。 「大粛清」と全体主義国家の悲惨さを知っているわれわれは、スターリンの体制を、民衆を恐怖と管理と洗脳によって支配したものとだけ考えがちだが、著者が強調しているのは、スターリン体制は(特に第二次大戦が終わった頃までは)民衆からも、また政敵をも含めた政治家や党員たちからも、基的には広く支持され、支えられていた体制だった、ということである。 これは、戦前・戦中の天皇制国家日について考える際にも、ある程度は参

    スターリン体制と思考の硬直化 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/01/28
    完全同意「 議論や相互批判において考え方が硬直する、教条化するということは、自由に物事を考えて自分の責任で判断するという態度を放棄してい ることだから、もう半分は転向しているのと同じなのである。 」
  • 『ビヒモス』その二 - Arisanのノート

    ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年) 作者: フランツ・ノイマン,岡友孝,小野英祐,加藤栄一出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1963メディア: ?この商品を含むブログを見る 序論に続く第一編では、政治形態・政治イデオロギーとしてのナチズムが分析される。 ナチズムや(イタリアの)ファシズムは、まったく機会主義的なデマゴーグの塊りで、確たるイデオロギーなどというものはないということが、一つの定説になっていると思うが、著者のノイマンは、それを認めた上で、実際にナチスの言説や政策には、どのような傾向が見られるのかを、詳細に分析していく。 そこで浮かび上がってくる重要なことは、ナチスのエリート主義という特徴である。 それはまず、政治運動の主体である「党」を、国家とその装置である官僚機構とに対して優位に置く発想の中に見出せる。 ヒトラーは、「国家は、人種的民族(レイシャル・ピープル

    『ビヒモス』その二 - Arisanのノート
  • 『ビヒモス』その1 - Arisanのノート

    ビヒモス―ナチズムの構造と実際 (1963年) 作者: フランツ・ノイマン,岡友孝,小野英祐,加藤栄一出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1963メディア: ?この商品を含むブログを見る ナチス研究の古典とされているだが、書かれたのは1941年。執筆時には独ソ戦も始まっておらず、何より、ユダヤ人に対するいわゆる「最終解決」、つまり絶滅政策というものも、まだ始まっていないか、少なくともまったく知られていなかった時期である(強制収容所の存在そのものは知られていたが)。 このため、書の中では、ドイツの市民(特に労働者階級)は、「宣伝とテロ」によって一時的にだまされたり沈黙を強いられているだけだという可能性が考えられ、「ヒトラーとドイツ人の間に楔を打ち込む」必要が述べられている。 また、ドイツという国は元来、ヨーロッパの中でも自然発生的なユダヤ人憎悪の少ない所であり、ナチスにとってユダヤ

    『ビヒモス』その1 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/01/28
    「 労働組合は闘争力を失って弱体化し、議会は自らそ の権能を独裁的権力へと放棄(委譲)していき、司法 は左翼への弾圧と右翼の台頭を後押しするための機構 と化していく。 」
  • スターリンの「一国社会主義理論」 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る年末から体に不調があって、正月休みは遠出をせず、このを読んでいた。 それで、「第一巻」「第二巻」と分かれている「第一巻」の方を、三が日の間に読み終わった。 ちょっとメモ的に書いておく。 先に書いたように、著者のドイッチャーは「スターリンはなぜ成功したのか」という問いを立てているのだが、書の前半でスターリンが権力の中枢を握るようになった大きな理由としてあげられているのは、革命後のソ連の政治機構が、動乱のなかで革命を守護するという必要から、次第に独裁色を強め、巨大な官僚的機構にならざるを得なかったという背景である。 革命を救うため、党は独立心と批判精神と勇気を持つ革命家の自由な集まりでなくなってしまった。党の大部分はますます強力になって

    スターリンの「一国社会主義理論」 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/01/05
    「「一国だけでやっていける」と いう幻想にとりつかれた、狂気じみた全体主義と 「成長主義」の政治が始まった。 「独裁者」スターリンの政治は、自負と安定に安らい続けたいという人々の願望の、巨大すぎる産物 」
  • 『スターリン』 - Arisanのノート

    スターリン―政治的伝記 作者: I.ドイッチャー,上原和夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1984/07メディア: 単行この商品を含むブログを見る 現実逃避したいからでも、秘密保護法が怖いからでもないのだが(逃避したいことも怖いことも否定はしないが)、今年の特に後半はの紹介や感想ばかり書いている。 今年の最後も、やはりの話題だ。 いま読んでるのは、アイザック・ドイッチャーの評伝『スターリン』。 相当なボリュームのだが、文章が粗雑になるどころか、きわめて精緻な構成で、しかも驚くほど面白い。大変な筆力だ。 彼の代表作であるトロツキー三部作は、この三倍ぐらいあるということだろう。そちらの方は、機会があったら読むかな。 第二次大戦直後に書かれたこのの、第二版(1966年)に付された1961年執筆の序論のなかで、ドイッチャーは、こう書いている。 私はスターリンの手で無残に打ち敗られ

    『スターリン』 - Arisanのノート
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2014/01/05
    深い