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科学哲学に関するishikawa-kzのブックマーク (4)

  • ハイエク「経済学と他の科学の間には深くて暗い誰も渡れぬ川がある」 - himaginary’s diary

    ジョージ・ソロスが昨年5000万ドルを投じて設立した新経済理論研究所(Institute for New Economic Thinking)が、今年4月にカンファレンスを開催したという。そこでBruce Caldwellがハイエクとケインズについて講演しているが、その中のハイエクの1955年の論文からの引用が面白かったので、以下に該当の引用部分を紹介してみる(VOX watcherさん経由)。 But if it is true that in subjects of great complexity we must rely to a large extent on such mere explanations of the principle, we must not overlook some disadvantages connected with this technique.

    ハイエク「経済学と他の科学の間には深くて暗い誰も渡れぬ川がある」 - himaginary’s diary
  • 時代と思想――当事者性の抑圧と配分のスタイル - Freezing Point

    カテゴリー当事者への居直りではなく、素材化としての《当事者-化》。 プロセス中心主義。 私は9年前、「ひきこもりの当事者」という役割固定で社会参加の機会を得た*1。 しかしその後の私は、「当事者的分析」を周囲に要求したことで、排除されるようになった。 私に近づいてくる人のほとんどは、私を「ひきこもり当事者」という役割フレームに監禁するだけで、取り組みとしての当事者的言説化は拒否する*2。 ほとんど全てのマイノリティ論は、《コスプレ的役割固定》と、politically correct な《メタ正義の居直り》のカップリングでしかない。 この発想では、マイノリティ側は役割としての「当事者=被害者」に居直りたがるが、実際に生きられた関係のなかでの当事者性を引き受けなおすことをしない*3。 私は、既存の当事者論に洗脳されたままコミュニティを築こうとして(あるいは参加を続けようとして)、メチャクチャ

    時代と思想――当事者性の抑圧と配分のスタイル - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/10
    「私が維持しようとした正当性は、最初からなにか理不尽な無理だった。」正しいという時に、力んで苦しむこと。
  • 反証可能性 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月) 反証可能性(はんしょうかのうせい、英: falsifiability)またはテスト可能性[1]、批判可能性[1]とは、「誤りをチェックできるということ」であり[2][注 1]、「科学的理論は自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」という科学哲学の用語である[3]。方法論として「トライアル&エラー」(試行錯誤)とも呼ばれる[3]。 科学哲学者カール・ポパーは、反証可能性を科学的基条件と見なし、科学と非科学とを分類する基準とした[4]。反証可能性は、「ある言明が観察や実験の結果によって否定あるいは反駁される可能性をもつこと」とも説明される[4]。 概要[編集] 「絶対的

  • 特別演習「科学哲学」知識の『客観性』について――カール・ポパーの理論

    特別演習「科学哲学(2)」第2回発表レジュメ 「知識の『客観性』について――カール・ポパーの理論」 宮崎 文彦(今田研M1/政治社会学) はじめに 今回のテーマは「知識の『客観性』」であるが、この問題に対して非常に有益なる貢献を行った科学哲学者の一人にカール・ポパー(Karl Popper 1902‐94)が挙げられる。また彼の場合、単に科学哲学のみに止まらず、そこでの理論を社会科学(方法論)へ応用していることから特に重要になるものと思われるので、ここで取り上げ紹介しておきたい。ただそれだけポパーの理論は広範囲に及ぶものであるので、ここではポパーがいかなる文脈において「科学」(「科学的方法」)というものを考えていったのかという点に絞って、以下のような論点から紹介していきたいと思う。 基的認識「科学と非科学」の境界設定 実証主義批判 可謬主義と客観性 帰納法批判 カール・

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/10
    われわれ人間は「真理の追求者(seekers)であるが、真理の所有者(possessors)ではない」
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