ヨハネの福音書(第14章15~31節) ここの主題は、パラクレートス(聖霊)である。ブルトマンは、聖霊についてどう考えているのか。しかし、非神話化を提唱する彼が、意外にも「霊」という言葉を使う。彼は言う、「教会にとってイエスがそれであったものに霊がとって代わるのである」と。しかし、同時にそれは、「強力な身体的または心霊的な体験によって証明される呪術的な力でも、教会に対して力を行使し、教会は無責任にただ待っていさえすればよいような力でもない。むしろ霊は教会において言葉の宣教を推進する力である」と。そればかりでなく、教会は、そこに働く霊によって、自ら主イエスの体として実存するのである。つまりブルトマンが言うように、「宣教については教会に責任がある。その責任を果たすことによってだけ、教会は啓示の言葉としての言葉の力を体験する」のである。ブルトマンは、主イエスとその御体としての教会の関係をもう一度
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