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2007.09.20 現代詩を読んで テーマ:お勧めの本(7350) カテゴリ:本 吉野弘著『現代詩入門』新装版 青土社 小説を書いていて、自分を掘り下げるみたいなことをして、書くわけだが、どれだけ掘り下げようと思っても、大して掘り下げられたりしない。元々、脳天気な性格で、あまり深いものを持った人間というわけでもないし、世間、通りいっぺんの発想しか持たずに生きてきているので、そーゆーツケというものがでるわけです。 じゃ、どうすればいいかというと、ほかの人からアイデアをいただくことで、そのために無駄な映画を見たり、現代詩を読んだりしている。そういうのを積み重ねて、どうにか、深い部分を少し掘り下げられたりすることがあるからである。 今日、印象に残った詩の一節 引用です パンジー 笹井剛 陽は留守の家を暖めてめぐり 花は平穏な日になびいて睡る ひとはみな巨きな予告の中 お気に入りの記事を「いいね
April 12, 2007 「岩が」 ・・・ 吉野 弘 テーマ:心に残ることばを 書いていきます(130) カテゴリ:カテゴリ未分類 「岩が」 吉野 弘 岩が しぶきをあげ 流れに逆らっていた 岩の横を 川上へ 強靱な尾をもった魚が 力強く ひっそりと 泳いですぎた 逆らうにしても それぞれに特有な そして精いっぱいな 仕方があるもの 魚が岩を憐れんだり 岩が魚を卑しめたりしないのが いかにも爽やかだ 流れは豊かに むしろ 卑屈なものたちを 押し流していた 幻・方法 より 自分の考えを述べることは 邪魔をしたり 嫌がらせをすることではない ただ 流れのままに従うだけでなく 自分の意見を はっきりと表現してもいいのではないか 対する側も はねつけたり 無視したりせずに 正々堂々と受け入れ 対処していけばいい ちょっと そんなことを 思いました (*^^*) ぽち いつもありがとうございます
2008年08月12日 虹の足 詩:吉野弘 テーマ:小さな幸せ探し(106) カテゴリ:詩 虹の足 吉野弘 雨があがって 雲間から 乾麺みたいに真直な 陽射しがたくさん地上に刺さり 行手に榛名山が見えたころ 山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。 眼下にひろがる田圃の上に 虹がそっと足を下ろしたのを! 野面にすらりと足を置いて 虹のアーチが軽やかに すっくと空に立ったのを! その虹の足の底に 小さな村といくつかの家が すっぽり抱かれて染めていたのだ。 それなのに 家から飛び出して虹の足をさわろうとする人影は見えない。 ――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ 乗客たちは頬を火照らせ 野面に立った虹の足に見とれた。 多分、あれはバスの中の僕らには見えて 村の人々には見えないのだ。 そんなこともあるのだろう 他人には見えて 自分には見えない幸福の中で 格別驚きもせず 幸福に生きていることが――
2009/03/18 吉野弘「過」「自分自身に」 カテゴリ:カテゴリ未分類 吉野弘さんの詩が好きだ。吉野弘さんの全詩集(1994年版)を読み通した。吉野弘さんの詩は好きな詩、有名な詩がたくさんある。溢れるほどある。詩集では『北入曽』が一番だ。 その『北入曽』から好きな詩のうち短いものを二つ紹介しよう。 自分自身に 他人を励ますことはできても 自分を励ますことは難しい だからーというべきか しかしーというべきか 自分がまだひらく花だと 思える間はそう思うがいい すこしの気恥ずかしさに耐え すこしの無理をしてでも 淡い賑やかさのなかに 自分を遊ばせておくがいい 過 日々を過ごす 日々を過つ 二つは 一つことか 生きることは そのまま過ちであるかもしれない日々 「いかがお過ごしですか」と はがきの初めに書いて 落ちつかない気分になる 「あなたはどんな過ちをしていますか」と 問い合わせでもするよう
昭和5年4月14日(1930年。 ソ連(現・グルジア)出身の詩人・マヤコフスキー(36歳)が死去しました。 マヤコフスキーは、ダイナミックな詩型、激烈な比喩、原始的な擬人化、パロディー、押韻、誇張や変形といった詩の技法を駆使して、風刺と内省、叙情と叙事といった一見相容れないものを融合、1900年代以降の世界の詩人に絶大な影響を与えました。 マヤコフスキーの死は、ソ連当局が「拳銃自殺」としたことから、永らくそう考えられてきました。マヤコフスキーを翻訳したことで知られる小笠原豊樹(岩田 宏の名で詩も書いた。当地(東京都大田区の北馬込二丁目、山王二丁目)にも在住)でさえ、「最晩年の恋人、モスクワ芸術座の女優ベロニカ・ポロンスカヤとの感情のもつれから(自殺した)」と書いていました(昭和63年発行「日本大百科全書 22」(小学館))。様々な悩み(スターリンに幻滅、戯曲「風呂」の失敗など)から病的な精
5月1日に奈良新聞社と業務統合 4月26日付をもって休刊に 明治31(1898)年に創刊した歴史ある「奈良日日新聞」は、1年間の休刊の後、平成18年10月27日に、皆さま方のご支援のお陰で復刊させていただきましたが、時代の趨勢(すうせい)と諸般の事情により、奈良日日新聞社は5月1日、奈良県唯一の日刊紙「奈良新聞」を発行する奈良新聞社と業務統合することになり、「奈良日日新聞」は4月26日付をもちまして休刊させていただくことになりました。 復刊してから12年6カ月の間、読者の皆様はじめ、クライアント各位、行政、諸団体の方々によって、歴史ある地方紙として支えていただきました。特に同22年7月からは日刊新聞から地方紙としては画期的な週刊新聞に移行して、検証・調査報道に徹して果敢に健筆を奮ってまいりました。 また、週刊新聞となったことから、日刊の奈良新聞社との間で、営業面を主体とする一部業務統合を行
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 「みっどさまーこんさあと」無事終了いたしました。 関係してくださったすべてのみなさんに感謝感謝です。 2ステージで140名弱のお客様に足を運んでいただきました。 名古屋から仙台から日帰りできてくださったり、盲導犬と一緒にきてくださったり、嬉しかったです。 40歳の時にバースデイコンサートとして、たくさんの人を巻き添えにした大コンサートをして、それから色々なコンサートをやってきましたが、完全なる「ソロコンサート」というのは、こんにゃく座に入って以来はじめて。 (つまり、いつも、なんらかの巻き添えを作っていたのです。) 『プログラム』 ・ルフラン 岩田宏 詩 萩京子 作曲 ・暗い柳の木立のかげ ベルトルト・ブレヒト 作詩 野村修 訳詞 萩京子 作曲 ・おれが墓
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4309409326.html 澁澤龍彦 澁澤龍彦 書評集成 河出文庫 2008年 を今読んでいる。編集部の後書きによれば、『澁澤龍彦全集』から分野別に並べ替えて編集したオリジナル・アンソロジーである。フランス文学者として作家として様々な小説や詩についての書評である。滅多に小説を読むことがないし横文字の難しい言葉が多いので論評についていくのもやっとだが、文学作品に対する違った角度からの見方というのは大いに参考になる。作者が何を意図して書き上げたのか、その作品の背景にあるものは何か、その作品に対する澁澤氏の率直な感想、素人でも恐ろしいほどの洞察力を垣間見ることができる。 渋澤氏の作品はこれまでもいくらか読んだことがあるが、たぶんテーマについて恣意的な選択をしていたせいで今回の書評は随分と印象が異なる。もともと澁澤氏の本を
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詩人の岩田宏に「住所とギョウザ」というとても印象的な詩があります。詩人がかつて幼い頃の、友達だった朝鮮人のリー君との想い出を綴ったものです。詩人はリー君が好きだった。けれどもある時、たくさんの子どもたちが朝鮮人のリー君をいじめたとき、自分もとっさにいじめっ子たちの側に回って、みんなといっしょに「くさい くさい 朝鮮 くさい」と叫んでしまったのです。その苦い想い出、リー君に対する申し訳なさ、その時のぬぐい去ることのできない罪の意識を見事にうたった詩です。 「住所とギョウザ」 岩田宏 大森区馬込町東4の30 大森区馬込町東4の30 二度でも三度でも 腕章はめたおとなに答えた 迷子のおれ ちっちゃなつぶ 夕日が消えるすこし前に 坂の下からななめに リイ君がのぼってきた おれは上から降りて行った ほそい目で はずかしそうに笑うから おれはリイ君が好きだった リイ君はおれが好きだったか 夕日が消え
あおぞらのふかいところに きらきらひかるヒコーキ一機 するとサイレンがウウウウウウ 人はあわててけものをころす けものにころされないうちに なさけぶかく用心ふかく ちょうど十八年前のはなし 熊がおやつをたべて死ぬ おやつのなかには硝酸ストリキニーネ 満腹して死ぬ さよなら よごれた水と藁束 たべて 甘えて とじこめられて それがわたしのくらしだった ライオンが朝ごはんで死ぬ 朝ごはんには硝酸ストリキニーネ 満腹して死ぬ さよなら よごれた水と藁束 たべて 甘えて とじこめられて それがわたしのくらしだった 象はなんにもたべなかった 三十日 四十日 はらぺこで死ぬ さよなら よごれた水と藁束・・・・・ 虎は晩めしをたべて死ぬ 晩めしにも硝酸ストリキニーネ 満腹して死ぬ さよなら よごれた水と・・・・・ ニシキヘビはお夜食で死ぬ お夜食には硝酸ストリキニーネ まんぷくして死ぬ さよなら よごれ
ヨハネの福音書(第14章15~31節) ここの主題は、パラクレートス(聖霊)である。ブルトマンは、聖霊についてどう考えているのか。しかし、非神話化を提唱する彼が、意外にも「霊」という言葉を使う。彼は言う、「教会にとってイエスがそれであったものに霊がとって代わるのである」と。しかし、同時にそれは、「強力な身体的または心霊的な体験によって証明される呪術的な力でも、教会に対して力を行使し、教会は無責任にただ待っていさえすればよいような力でもない。むしろ霊は教会において言葉の宣教を推進する力である」と。そればかりでなく、教会は、そこに働く霊によって、自ら主イエスの体として実存するのである。つまりブルトマンが言うように、「宣教については教会に責任がある。その責任を果たすことによってだけ、教会は啓示の言葉としての言葉の力を体験する」のである。ブルトマンは、主イエスとその御体としての教会の関係をもう一度
■Lévinas, Emmanuel 1974 Autrement qu'être ou au-dela de l'essence, The Hage: Martinus Nijihoff. =199907 合田 正人 訳 『存在の彼方へ』,講談社学術文庫,477p. ISBN-10: 4061593838 ISBN-13: 978-4061593831 1400+ [amazon]/[kinokuniya] ※ w/le03, p *一般注記:『「存在するとは別の仕方で, あるいは存在することの彼方へ』(朝日出版社 1990年刊)を全面改訂したもの ■内容 (「BOOK」データベースより) フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。戦争の世紀の証人として生き、「平和とは何か」の問いを極限まで考察したレヴィナスは、本書において他者への責任とは他者の身
「宇宙の中の人間」(Universal Man),ヒルデガルト・フォン・ビンゲン『神の業(わざ)の書』,1165年 キリスト教神秘主義(キリストきょうしんぴしゅぎ)は、人間が、神、イエス・キリスト、聖霊を直接経験するための実践である [注釈 1]。また、そこでのキリスト教神学は神秘神学と呼ばれる。 伝統的には、以下の実践が行われる。 聖なる読書(英語版)(霊的読書とも言う)[注釈 2] 祈り(口祷、黙想、観想) 自己制限(従順[注釈 3]、忍耐、沈黙、断食) 他者(または神)への奉仕(労働[1]、慈善) キリスト教の一般的教理では、人々は聖書を学び、イエス・キリストを信じること、教会の儀式に参加することによって神に近づくこと、神を知ることができるとされている。特に、キリスト教神秘主義では、知性では到達できない霊的な真理を、おもに「キリストに倣う」ことにより、把握しようと努める。 キリスト教
何を問うても、自分に問いが返ってくる。渡辺位さんとお話していると、いつもそうだった。そういう意味で、多くの方にとってそうであったように、私にとっても、まさに「鏡」としてきた存在だった。何というか、まるで「無」に対しているような感があった。 自分を問い、自分が縛られている価値観を問い直していくこと。そういう作業をすっ飛ばして、現象だけを見ることは、まちがっているということ。一言で言えば、そういうことを教わってきたように思う。 その渡辺位さんが、他界された。 個人的な思いを言えば、2月に上梓した拙著『迷子の時代を生き抜くために』は、ある意味では、渡辺さんから教わったことを、自分なりにかたちにしたようなものだった。渡辺さんには草稿段階で読んでいただき、昨夏には、かなり長時間にわたって、おしゃべりさせていただいた。渡辺さんは、とても評価してくださり、推薦文まで書いてくださった。それに見合う内容かど
「いやはや語」めった斬り(1/3) 読売新聞に「いやはや語辞典」(金曜夕刊)というコラムがあって愛読している。いろんな人がいろんな言葉に抵抗を覚えているようだ。 ひどい日本語だとあきれる思いと、時代は変わった、仕方ないか、というあきらめが「いやはや」なのである。これを読んでいると、自分にとっての「いやはや」が次々に思い出されて、手帳に書き留めたくなってしまう。 ○私にとってのあきれ、あきらめ語録 まず、簡単なところから。当たり障りのない行政用語。「いきいき」「さわやか」「いこい」「水と緑の」「ふれあい」「きらり」。あまりに安売りで言葉が安っぽいし、実態を反映していないことは火を見るより明らか。その裏に「住民に対する適正な指導」とか「合理化と民間活力の活用」なんて本音の鎧(よろい)がちらりと見える。 これらの言葉は、当たり障りのないところからNHKの番組名にも多用される。そのNH
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