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書評に関するjudgeerのブックマーク (2)

  • ノア・スミス「書評:ブラッドフォード・デロング『20世紀経済史――ユートピアへの緩慢な歩み』」(2022年6月12日)|経済学101

    「きれい……みんなが死んだ場所なのに」(中川典子) 出版前の書評を書くのは,これがはじめてかも! ありがたいことに,ポッドキャストのホスト役をいっしょにやっているブラッド・デロングの近刊を一冊確保できた.出版予定日は9月6日だ.それまでの場つなぎとして,高まってるみんなの期待をこの書評で支えられたらいいなと思う. ブラッド・デロングは現在経済史に関して百科事典のように通暁してる.それでいて,読者をおじけづかせない文体の書き手でもある――かく言うぼくが経済学ブロガーになりたいと思った最初のきっかけは,2000年代中盤に彼のブログを読んだときのことだった.彼のを読み始めると,その「デロング節」にどんどん引き込まれてしまう――愉快な事実を次から次に繰り出しつつ,デロングのありとあらゆる知識をその物語で統合してみせる.読みはじめは少しばかりとっつきにくく感じるかもしれないけれど,慣れてしまえ

    ノア・スミス「書評:ブラッドフォード・デロング『20世紀経済史――ユートピアへの緩慢な歩み』」(2022年6月12日)|経済学101
  • そしてみんな広告になった - 栗原裕一郎のブログ

    広告と批評について考えてみたい。休刊した雑誌『広告批評』の話ではない。広告と批評という、水と油が溶け合った話だ。 東京五輪・パラリンピック開幕を控えた今年7月、開会式の作曲担当に抜擢された小山田圭吾をめぐって大炎上が起こった。四半世紀ほど前に音楽雑誌などで語ったいじめ加害の“武勇伝”が問題視されたのだったが、小山田への糾弾が苛烈になる一方で、形ばかりの謝罪でお茶を濁した音楽ジャーナリズムに対する批判も噴出した。読者や関係者だけでなく、一部とはいえミュージシャンからも声が上がったレアケースだった。 あげく、雑誌側がアーティストに無断で話を面白おかしく盛ったんじゃないかという疑惑を発端に(後に小山田は、記事に事実の歪曲があることを認めた)、ほとんどの音楽誌が、広告出稿をインタビューや新譜レビュー掲載の条件にしていること、つまりジャーナリズムや批評が、レコード会社から広告費をせしめるための手段に

    そしてみんな広告になった - 栗原裕一郎のブログ
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