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歴史に関するjudgeerのブックマーク (17)

  • 外務省: 日中歴史共同研究(概要)

    (1)2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。 (2)2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意(別添参照)。 (3)2006年12月26-27日に北京で第1回全体会合、2007年3月19-20日に東京で第2回全体会合、2008年1月5-6日に北京で第3回全体会合を開催。研究成果をとりまとめる予定。 (4)2008年5月、胡錦濤国家主席訪日時に、首脳間で歴史共同研究の果たす役割を高く評価するとともに、今後も継続していくことで一致。 (5)2009年12月、第4回全体会合(最終会合)を実施し、今期の歴

  • 江戸時代末期、日本の自然環境は既に崩壊寸前だった~木材伐採と、禿げ山など

    まとめ管理人 @1059kanri 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ というブログの管理人でございます。 iiwarui.blog90.fc2.com 主にブログ更新のお知らせとか戦国時代のこととかそれ以外のこととかつぶやきます。 iiwarui.blog90.fc2.com まとめ管理人 @1059kanri 江戸後期、末期の日の自然環境って調べれば調べるほど、崩壊寸前か既に崩壊しかけていますね。近代化による石炭へのエネルギーの転換ででぎりぎり救われた、という感が。 2021-04-26 23:50:47

    江戸時代末期、日本の自然環境は既に崩壊寸前だった~木材伐採と、禿げ山など
  • 歴史は現代文学である « 名古屋大学出版会

    内 容 文学的ゆえに科学的? 真実と物語のあいだで揺れ動き、その意義を問われてきた歴史。ポストモダニズムの懐疑を乗り越えた後で、いかにして「歴史の論理」を立て直すことができるのか。自らの実践に基づき、社会科学と文学の手法を和解させ、歴史記述を刷新するための挑戦の書。『メタヒストリー』以後の新たな歴史論であり、好評既刊『私にはいなかった祖父母の歴史』の姉妹編。 【ALL REVIEWS】『図書新聞』書評(2019年1月1日号、第3381号、評者:鹿島徹氏) 著者紹介 イヴァン・ジャブロンカ (Ivan Jablonka) 1973年生まれ。現在,パリ第13大学教授。書の実践編でもある『私にはいなかった祖父母の歴史』(2012年。邦訳は田所光男訳、名古屋大学出版会、2017年)によってアカデミー・フランセーズ・ギゾー賞、歴史書元老院賞、オーギュスタン・ティエリ賞を受賞。ほかの著作に『レティシ

  • 呉座勇一×辻田真佐憲×與那覇潤「歴史修正と実証主義――日本史学のねじれを解体する」 @reichsneet #ゲンロン220114 ゲンロン完全中継チャンネル | シラス

    無料ダイジェスト動画はこちらからご覧いただけます。 https://youtu.be/e3M0aefyWbQ ■ 【イベント概要】 ゲンロンカフェでは2021年7月、歴史学者の與那覇潤氏と近現代史研究者の辻田真佐憲氏を招き、東浩紀が聞き手となって「物語と実証の対立を超えて」と題したイベントを開催しました。 SNSやネットでは、過去の経緯を無視し、「いまここ」の正しさだけを意識した応酬が繰り返されています。そこでは右派も左派も実証(エビデンス)を振りかざしますが、いっこうに新しい物語は立ち上がってきません。そんな不毛な状況を乗り越えるためには、「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれ、歴史修正主義と実証主義が同時に流行し、過去への視線が大きく変わった1990年代まで遡り、歴史学の語り全体を振り返る必要があるのではないか。そのような問題提起でイベントは終わりました。 このたびゲンロンカフェでは、

    呉座勇一×辻田真佐憲×與那覇潤「歴史修正と実証主義――日本史学のねじれを解体する」 @reichsneet #ゲンロン220114 ゲンロン完全中継チャンネル | シラス
  • Amazon.co.jp: 日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る (ブルーバックス): 播田安弘: 本

    Amazon.co.jp: 日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る (ブルーバックス): 播田安弘: 本
  • 「山口組と香港マフィアの意外な共通点」現代中国を読み解く"東洋史"の視点 中国がらみの陰謀論がよく出るワケ

    にないものを日語で表現すると「ひとり歩き」する 【安田】日の地盤沈下やコロナ禍による社会不安もあってか、近年ではフェイクニュースや「トンデモ歴史学」が従来に増して盛んです。なかでも「新型コロナは人民解放軍の生物兵器」といった、中国がらみのデマは特に多い。そこで「東洋史学はいかにトンデモに立ち向かえるか?」というのを今日の隠れたテーマにしたいのですが……。 【岡】それは大きい話だなあ(笑)。わが「東洋史学」のありかたは追い追い語り合うとして、まずは「トンデモ」説の一つとして、中国がらみの陰謀論について話しましょうか。安田さんの著書『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)の副題「マフィア、政党、カルト」も、ぱっと聞くといかにも陰謀論的な臭いの単語が並んでいます。日語で説明するとこういう言葉を使わざるを得ないわけですが……。 【安田】そうなのです。実際のところ、中国の民間組織である「

    「山口組と香港マフィアの意外な共通点」現代中国を読み解く"東洋史"の視点 中国がらみの陰謀論がよく出るワケ
  • 追悼・ウォーラーステイン 世界システム論を提唱、資本主義批判を貫いた(山下範久・立命館大学教授)|好書好日

    イマニュエル・ウォーラーステインが逝去した。世界システム論を提唱し、人文学・社会科学に広範な影響を与えた彼の仕事を三つの著作で振り返る。 まず主著中の主著は『近代世界システム』、特にその第1巻である。アフリカを専門とする政治社会学者としてすでに米国のアフリカ学会を代表する研究者であった彼が、44歳で「世界システム論」という新しい学を切り開いた記念碑的著作である。同書は当時の社会科学が閉じ込められていた三つの前提を覆すものであった。 地球規模の理論 一つは一国的アプローチ。彼は「社会」といえば暗黙に国民国家が前提となる発想を批判し、社会科学は「史的システム」を単位として再構築されなければならないと主張した。 二つめは冷戦的思考。当時は国内問題でも国際関係でも、あらゆることが資主義と共産主義の対立として捉えられがちであった。ウォーラーステインはそれを偽の二分法だと批判し、私たちが生きている資

    追悼・ウォーラーステイン 世界システム論を提唱、資本主義批判を貫いた(山下範久・立命館大学教授)|好書好日
  • グローバル・ヒストリー - 岩波書店

  • 歴史学の慰め - 白水社

  • 波多野澄雄『国家と歴史』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    12月10 波多野澄雄『国家と歴史』(中公新書) 8点 カテゴリ:政治・経済8点 小菅信子『戦後和解』、大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』など、中公新書には戦争責任の問題を扱ったバランスがとれていて、なおかつためになる が多いですが、この『国家と歴史』も同じように冷静に偏ることなく戦後日戦争責任と歴史の問題の軌跡を追った。 なにか斬新な主張があるわけではありませんが、戦後の戦争責任や補償の問題、靖国神社、歴史教科書などについて、その内容と議論になった文脈を丁寧に追っており、非常に勉強になります。この戦後責任の問題を考えていく上でこれからの基図書となるであろうです。 戦争が終わって60年以上がたった今も戦争責任の問題はくすぶりつづけています。 このくすぶりつづける火種は単に日国内における右派と左派の対立だけにあるのではありません。日が植民地帝国としてアジア・太平洋地域

  • 「天皇と軍隊の近代史」書評 更新続ける通説 なお残る難題|好書好日

    ISBN: 9784326248506 発売⽇: 2019/10/19 サイズ: 20cm/365,9p 天皇と軍隊の近代史 [著]加藤陽子 世間では「過去は変わらないのだから、歴史は暗記ものだ」という印象が強い。受験勉強の名残だろうか。しかし歴史学界では新しい研究成果が不断に生み出され、通説は日々塗り替えられていく。作家や評論家がしたり顔で語る史論が、学界ではとっくの昔に否定された説に依拠していることも珍しくない。 近代史においては、歴史像が更新されていくスピードが特に速い。司馬遼太郎の『坂の上の雲』や『この国のかたち』で理解が止まっている人が書を読んだら驚くだろう。 たとえば日清戦争については、当時外相だった陸奥宗光の戦後に発表された回顧録『蹇蹇録(けんけんろく)』に引きずられて、日側が意図的に戦争に持ち込んだとかつては考えられてきた。だが近年の研究では、清国に対する強硬な外交姿勢

    「天皇と軍隊の近代史」書評 更新続ける通説 なお残る難題|好書好日
  • GSOMIA破棄の衝撃…韓国・文在寅に対抗するには「攻守」が必要だ(篠田 英朗) @gendai_biz

    GSOMIA破棄の衝撃…韓国・文在寅に対抗するには「攻守」が必要だ 国際法vs.歴史認識をどうすればいいか 「真相を語る」ということ 1907年ハーグ密使事件をご存知だろうか。 オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に大韓帝国(韓国)の皇帝高宗が密使を派遣し、日韓国の外交権を握った第2次日韓協約の不当性を各国に訴えた事件である。 各国は訴えに耳を貸さず、絶望の中で密使の一人の李儁(Yi Jun)はハーグで死亡した。事態を問題視した日は、高宗を退位させ、1910年に韓国を併合する。 当時の日の駐蘭大使は、「丹毒」が死因だと省に電報した。日の情報サイトには李儁はハーグで自殺したとするものもある。しかし韓国の情報ソースには李儁は暗殺されたと伝えるものもある。密使事件を伝えるハーグ市内のYi Jun Peace Museumを紹介するオランダの観光サイトは、李儁は「不思議な死を遂

    GSOMIA破棄の衝撃…韓国・文在寅に対抗するには「攻守」が必要だ(篠田 英朗) @gendai_biz
  • ナチス時代まん延した集団自殺、ドイツの知られざる物語(The Telegraph) - Yahoo!ニュース

    【記者:Joe Shute】 暖かい日差しが感じられる午後、ドイツ北東部デミンの住民たちは、町を流れる3の川へ向かう。ペーネ川のほとりでは、釣り人がきらめく川面に釣り糸を垂れている。 これといった特徴のないのどかな風景だが、ここはドイツ史上最多となる集団自殺が行われた場所だ。1945年4月30日~5月3日、若者も年配者も、金持ちも貧乏人も関係なく数百の家族がこの川に入水したのだった。 この町は、疫病のようにドイツ全土にまん延した集団自殺の中心地だ。ナチス・ドイツの弱体化に伴い、全国で数万人が自殺を選んだ。デミンには当時、数千人の避難者を含め1万5000人ほどが住んでいたが、このうち推定1000人が自殺したとされている。 ナチス高官らの自殺については記録が残っている。アドルフ・ヒトラーはソ連軍がデミンに侵攻した4月30日、総統地下壕でシアン化合物のカプセルを飲んだ後、新エバ・ブラウンとと

    ナチス時代まん延した集団自殺、ドイツの知られざる物語(The Telegraph) - Yahoo!ニュース
  • 明治維新の敗者たち | 小栗上野介をめぐる記憶と歴史 | みすず書房

    小栗上野介忠順(1827-68)は万延元年の使節団員として渡米し、勘定奉行や外国奉行を歴任、崩壊しつつある幕政を中枢で支えた人物だが、後世の評価は二分した。一方に、横須賀造船所を建設し、最初の株式会社「兵庫商社」を構想した合理主義者で、近代化の立役者という評価があり、もう一方に、薩長との主戦論を唱え無用な戦争に固執したという見方がある。その主戦論が原因で罷免され現在の群馬県に隠棲したが、謀反の容疑をかけられ新政府軍により斬首。以来、逆賊の謗りを受けてきた。 歴史は勝者によって書かれる。幕末維新史も例外ではない。書は小栗上野介という類稀な人物を敗者の代表として選び、敗者への公正さを要求した人びとが「勝てば官軍、負ければ賊軍」式の明治政府史観に、いかに抗ってきたかを跡づける。それは草の根的に地方で始まり、全国的な歴史観に影響を与えるに至った。書はこの過程を豊富な一次史料、文学作品、映画、テ

    明治維新の敗者たち | 小栗上野介をめぐる記憶と歴史 | みすず書房
  • 清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書) 9点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    8月22 清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書) 9点 カテゴリ:歴史・宗教9点 『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)、『耳鼻削ぎの日史』(洋泉社歴史新書y)などで、現代とは異なる価値観を持つ中世の人々のありようを史料を通して面白く描いてきた著者が、戦国大名の分国法を紹介し、その中身と意義を探った。 「結城氏新法度」というマイナーな分国法から始まり、伊達氏、六角氏、今川氏、武田氏の分国法を見ていくこのは、内容、構成、結論とどれをとっても面白く刺激的なものとなっています。 分国法のイメージを一新するとともに、中世の人々の意識や戦国大名のあり方も考えさせる内容です。 目次は以下の通り。 第1章 結城政勝と「結城氏新法度」―大名と家臣たち 第2章 伊達稙宗と「塵芥集」―自力救済と当事者主義 第3章 六角承禎・義治と「六角氏式目」―戦国大名の存在理由 第4章 今川氏親・義元と「今川かな

  • 漢倭奴国王から日本国天皇へ―臨川書店

  • 中国と延々と渡り合ってきたベトナムに日本は学べ もしも尖閣で紛争が起きたら日本はどうすべきか | JBpress (ジェイビープレス)

    ベトナムは中国と国境を接し、有史以来、何度も戦火を交えてきた。昨今の日中関係を考える時、その歴史から学ぶところは多い。 ベトナムは長い間中国の支配下にあった。その支配は漢の武帝(前141~前87年)の頃に始まり、約1000年間続いた、しかし、唐が滅びて五代十国と言われる混乱の時代を迎えると、その隙をついてベトナムは独立した。938年のことである。 ただ、その後も、宋が中国大陸を統一するとベトナムに攻め入った。その際は、今でもベトナムの英雄である李常傑(1019~1105年:リ・トゥオーン・キエット、ベトナムでは漢字が用いられてきた)の活躍により、なんとか独立を保つことができた。ただ、独立を保ったと言っても冊封体制の中での独立。ベトナムは中国の朝貢国であった。 中国大陸に新たな政権が生れるたびに、新政権はベトナムに攻め込んだ。朝貢していても安全ではない。相手の都合で攻めて来る。

    中国と延々と渡り合ってきたベトナムに日本は学べ もしも尖閣で紛争が起きたら日本はどうすべきか | JBpress (ジェイビープレス)
    judgeer
    judgeer 2018/02/20
    歴史に学ぶ対中交渉術(武力行使含)
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