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オンライン衆知と歴史に関するkanoetatsuのブックマーク (2)

  • 情報を掴んでいた英軍がなぜ? チャーチルが生涯悔やんだ「シンガポール陥落」の裏側

    大英帝国史上、最大の悲劇と言われたシンガポールの陥落。日軍が電光石火のごとく驚異的なスピードで成し遂げた作戦成功の裏には、英国が驚愕した完璧な諜報活動があった。 ※稿は、岡部伸著『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。 イギリスが驚愕した日軍の諜報活動 ウィンストン・チャーチルといえば、イギリスでは「歴史上で最も偉大な人物」と尊敬される名宰相だ。そのチャーチルが生涯悔恨し続けたのが、「東洋のジブラルタル」と称され、難攻不落の要塞と謳われたシンガポールの陥落である。 1941年12月8日未明、ハワイの真珠湾攻撃に先立つ1時間以上前に、マレー半島北端のコタバルに奇襲上陸した日軍は、わずか55日間で半島南端のジョホールバル市まで到達。開戦からわずか70日間でシンガポールを陥落させた。マレー(馬来)作戦である。 イギリスを完膚なきまでに打ちのめした日のマレー

    情報を掴んでいた英軍がなぜ? チャーチルが生涯悔やんだ「シンガポール陥落」の裏側
  • 昭和天皇の側近まで...陸軍親ソ派による「共産主義国家の建設」という野望

    敗戦間近、日政府はこともあろうに、すでに参戦を決意していたソ連に対して、戦争終結の和平仲介を依頼することに決した。その裏には、陸軍に巣くう親ソ派、共産主義者たちの暗躍があった。 ※稿は、岡部伸著『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。 なぜソ連参戦情報が活用されなかったのか ヤルタ会談直後にストックホルムから小野寺信少将が参謀部に打電したソ連参戦情報は、大戦末期の日の政策に活かされることはなかった。大営の「奥の院」によって、握り潰されたのはこの「小野寺電」だけではない。 3月に入り、ドイツのリッベントロップ外相からソ連参戦の情報を聞いた大島浩駐ドイツ特命全権大使は、これを外務省に伝えたと、戦後に防衛庁(現防衛省)の聴取に答えたことが、「防諜ニ関スル回想聴取録」(防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵)に書かれている。 つまり、ドイツが降伏した5月

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